第三十七話 逃亡の始まり
軍の人間がわざわざ冒険者ギルドに来たのは、ラージン商会の一件絡みだろう。
俺はカンヴィアと彼の部下の姿を確認してから、隣のマニと顔を合わせ、顔を俯かせた。
軍の人間とは関わるべきではない。
揉め事になれば間違いなく損をすることになる。
だが……俺はつい目線が上がり、俯きながらもカンヴィアを睨んでいた。
元々軍にはいい印象がなかったが、最近は特に連中の汚い部分が目につく。
カンヴィアは、ヒョードルが溜め込んだ魔導器を軍で回収するために敢えて強盗を見逃していたようなことを口にしていた。
灰色教団の事件の際には、自分達の仕事を投げ出して冒険者に押し付けた挙句、チルディックを使って人質諸共冒険者を皆殺しにしようとしていた。
一冒険者に過ぎない俺が知っているだけでも、これだけ散々なことをやっているのだ。
他にも似たようなことを繰り返しており、その数だけ被害にあった人達がいるのだろう。
そして今回……恐らくは無実であるガロックを、強盗殺人の容疑者として追い掛け回している。
「ディーン、目が合うと厄介なことになるよ」
「……ああ、悪い」
俺は目線を下げ、唇を噛み締めた。
俺はちらりとエッダの様子を見る。
エッダはこの都市の内情についてあまり詳しくない。
何度か警告はしていたが、彼女の性格だと何か衝突すれば魔導剣を抜きかねない。
そんなことがあれば、場に飛び出してでも彼女を止める必要がある。
エッダは俺の方をジロリと見た後、カンヴィアから遠ざかるように動いていた。
俺は安堵の息を漏らした。
俺は以前、エッダの前で魔導尉の一人であるプリアの前に飛び出し、彼女の行動を遮ったことがあった。
灰色教団への対応を求める住民を、プリアが邪魔だからと見せしめに連れて行こうとしたときのことだ。
あのとき、俺はひたすらプリアへと頭を下げ続けたが、それでもヘイダルが助け舟を出してくれなければ危ないところだったくらいだ。
きっとエッダはそのときのことが印象に残っていたのだろう。
だが、そのときだった。
「カンヴィア魔導尉殿……あの女では?」
部下の一人が、エッダの方を指差した。
カンヴィアはエッダへと目を向け、口許をニヤリと歪めた。
「奴だな。ナルク部族の未開人は、どいつも白髪でわかりやすくていい。おい、出て来いそこのアマ」
カンヴィアのその言葉を聞いた瞬間、俺は顔が強張るのを感じた。
軍が、エッダを捜しに来た……?
俺が知る限りでは、特にエッダは軍の人間に目をつけられるような行動を起こしていないはずだった。
エッダは無言のまま、戸惑った様にカンヴィアを睨み返していた。
その場凌ぎで逃げても意味がない。
後で追い掛け回され、いずれ捕まる。立場が悪くなるだけだ。
刃を向けでもすれば、それこそお終いだ。
だが、素直に従ってもどうなるか、わかったものではない。
「おいおい、耳が悪いのか? 出て来いと、そう言っているのだ」
「……何の用だ?」
「目上の人間には敬語で話せと教わらなかったか? ナルクの狂犬共には無理な話か」
カンヴィアが下品に笑う。
俺の額を冷えた汗が伝った。
これは、かなりまずいかもしれない。
「悪い、マニ。ちょっと行って来る」
俺は人混みを回り込み、エッダの許へと移動し始めた。
どうにも厄介なことになろうとしているようだ。
彼女よりも、まだ俺の方が軍への対応は上手くできるはずだ。
「商会の会長が一家惨殺と、物騒な事件が起きたところだからなぁ。貴様が何か知っていることがないか、ちょっと教えてもらいたいというだけだ。なに、疚しいことがなければ何も問題はない。疚しいことがなければ、な」
「その事件について、私は全く知らない。なぜ、わざわざ私が貴様らについていかねばならないのだ!」
エッダが苛立ち始めている。
カンヴィアの部下の一人が大きく前に出た。
「魔導尉殿を相手になんという口の利き方だ! 知っていることがないか、それを確かめるからついてこいと言っているのだ!」
「いいじゃねえか、落ち着けよ。女はこれくらいの方がそそる。おい、尋問は俺に回せよ」
カンヴィアは下卑た表情でエッダの身体を舐めるように見た後、太い舌を口から伸ばした。
「そういう回り諄い言い方はナルクの馬鹿にはわからんだろう。はっきり言ってやればいい。貌剥ぎドルガーに蒐集家ペルエット、血の翼ヒリア。最近なら皆殺しのロティアか?」
カンヴィアの言葉に、エッダの様子が明らかに殺気立った。
「貴様らナルクの蛮人共は、昔から頭のおかしい凶悪犯罪者を生み出してきたクズ共だ。街に降りてきた魔獣みたいなもん……いや、それよりもなお酷い。だからなぁ、こうした事件が起こったら、真っ先にきっちり調べ上げねぇといけねえんだよ! わかったか?」
エッダは眉間に皺を刻み、カンヴィアを睨む。
だが、彼女は動かなかった。
自身を諫める様に、ゆっくりと息をする。
どうにか怒りを抑えようとしているのだろう。
強張った身体がやや柔らぐ。
だが、殺気立った目はそのままだった。
「……わかった……貴様らに、従ってやる」
エッダの言葉に、カンヴィアが品のない笑みを浮かべる。
「連れて行くぞ」
「はっ! カンヴィア魔導尉殿」
カンヴィアの命令で、部下の男が一人、エッダへと近付いていく。
俺は前に出てエッダの腕を掴み、引っ張った。
「おい、ディーン何を……」
「逃げるぞ……エッダ」
汗と動悸が収まらない。
だが、もう後には引けない。
俺はエッダの腕を引き、冒険者ギルドの入口へと向いた。
前に出ていた男が進路を遮る。
「貴様は何のつもりだ? 我々軍の仕事を妨害して、無事で済むなどと思ってはいないだろうな?」
俺は一瞬躊躇った。
軍相手に手を出すのは、御法度中の御法度だ。
しかし、避ければその間に他の一般兵に取り押さえられかねない。
いや、もう引くわけにはいかないのだ。
俺は《魔喰剣ベルゼラ》の鞘を握り、自身の闘気を強化した。
《硬絶》で逆の手を硬化させ、目前の一般兵の顎を殴り抜いた。
軍相手に手を出すとは思っていなかったのだろう。
無警戒なところに綺麗に入り、一般兵の男は顎を押さえてその場に倒れた。
「ぼ、冒険者如きが、我々に手を出したな!」
俺は一気に入口へと駆けた。
「どういうことだ。いつもは手を出すなと、お前はあれほど……」
エッダは俺の顔を覗き込み、黙った。
多分、俺の顔は焦燥で真っ青になっていたのだろう。
エッダに軍の庁舎に向かってもらった方がよかったのかもしれない。
普段の俺なら、きっとそう考えていただろう。
だが、最近の軍の行動は過激さが目立つ。
おまけに今回の強盗事件において、軍は全く信用ができない。
俺も直前まで、出るべきか否か悩んでいた。
今でもまだ自分の行動が正しいのかはわからない。
だが、もう賽は投げられた。
《炎獄姫レティシア》といい、ガロックの扱いといい、軍の行動は犯人に仕立て上げられる人間を捜しているようにも思える。
そして、ナルク部族の評判は……実際、あまりよくはない。
流れ者なので庇う人間も少ない、という打算もあったのかもしれない。
何にせよ、軍が犯人にできる人間を捜しているとして、ナルク部族のエッダはその標的として手頃過ぎるのだ。
国の権力から独立しているというのに、ナルク部族はあまりに過剰な力を持ちすぎていた。
特に、部族から逸れて一人で動いているナルクの剣士というのは凶行に陥りやすい、という風潮がある。
元々問題があって部族から追われたためだろう。
おまけにナルク部族は都市社会の常識に疎い。
そして一人一人が強すぎるために、いざナルクの剣士が犯罪者となった際に、その悪名が広く、長く響き続けることになるのだ。
貌剥ぎドルガーは聞いたことがある。
確かに彼はナルクの剣士で、恐ろしい殺人鬼であったという。
しかし、もう百年以上前の人物であったはずだ。
だが、恐怖は記憶を鮮明にし、偏見を強固なものにする。
俺もエッダと会ったため今はこう考えることができているが、その以前はナルク部族に対して『よくわからないがおっかない集団』くらいのイメージしか持っていなかった。
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