第二十二話 黒腫茸《ドリュン》の香り

 料理が完成して、机の上へと並べ終わった。


 今回の料理は《葉玉キャベンと燻製肉のサラダ》に《赤牛ラカウ型焼きテリヌ》、《鬼鶏オーガチキンの黄金焼き》、《猩々鯛オラウスナ油煮ヒジョン》であった。

 型焼きテリヌは挽肉や刻んだ野菜を四角の型に嵌めて焼き上げる料理、黄金焼きは蜂蜜ベースのタレを付けて焼き上げる料理、油煮ヒジョンは味付けした油で煮込む料理である。


『お、お、おおお……!』


 ベルゼビュートの感嘆の思念が漏れて来る。

 《魔喰剣ベルゼラ》の刀身が、なぜか妙に艶々しているように見えた。


『ディ、ディーンよ……本当に、妾がこれを全て食してよいというのか!?』


「全てではないぞ」


 この暴食の悪魔には、ここに俺とマニとエッダがいるのが見えていないのだろうか。

 単なる言葉の綾の類であればよいのだが、ベルゼビュートの場合、実体化した瞬間に俺とマニの食事を滅ぼした前科があるので注意が必要であった。


『よくぞやったぞ! クク、魔核だけの姿になろうとも、現界イルミスへと逃げ込んだ甲斐があったというものだ! あのとき、肉体を吹き飛ばされていて良かった!』


「……さすがにもうちょっと自分の身体を上に置いた方がいいんじゃないのか?」


 元々ベルゼビュートは、魔界オーゴルでは支配者層の一人であるという話であった。

 そのときの地位を失ったことがベルゼビュートは惜しくないのだろうか。

 もっとも、魔界オーゴルがどのような世界であるのかは、俺には想像もできないことではあるが。


『馬鹿を言うでない、ディーン。せいぜい百の時を生きることしかできぬニンゲンに、元七大罪王の一角として忠告しておいてやろう。富や権力など、手段であって目的にはなり得ないものなのだ。それ自体が意味を持つなど、妄執の生み出した幻想に過ぎぬ』


 それは、そうなのかもしれない。

 俺は今も昔も金銭不足に悩まされているが、真に欲しいのはお金でなく、それによって得られる生活の安定であるといえる。

 思い返せば、たまにそこが抜けて、お金そのものに囚われていたことがあったかもしれない。


 普段のどこか抜けた言動を聞いていると忘れそうになるが、ベルゼビュートは千年以上の時を生きる大悪魔なのだということを再認識させられた。

 ベルゼビュートの言葉には時に含蓄がある。

 少し彼女を見縊っていたかもしれない。


『つまり、料理どころかロクな食材もない魔界オーゴルの玉座などに何の価値もないということであるの』


「おい、他の悪魔から怒られるぞ」


 ……やっぱり気のせいだったかもしれない。

 ベルゼビュートはベルゼビュートだ。


「材料を見たときから思っていたけれど……今回は、本当に力を入れたね。ここまでディーンが本気を出すのは、かなり久方振りなんじゃないのかい」

 

 マニが机の上に並んだ料理を眺めながらそう言った。


「折角エッダが来てくれたんだし、それに、たまにはもうちょっとベルゼビュートを労ってやらないと、と思ってな」


『うむ、うむ! 良い心がけであるぞ、ディーン! さあ、早く妾を造霊魔法トゥルパで実体化させるのだ!』


 《魔喰剣ベルゼラ》がゴロゴロと床を転がる。

 ……こいつ、その内単体で飛んで行って敵を突きさしたりできそうだな。


「よくここまで凝ったものだ。冒険者よりも料理人の方が向いているのではないのか」


 エッダも腕を組みながらそう口にしていた。


「ははは……珍しいな、エッダが手放しに褒めてくれるなんて」


「……皮肉だ。この料理の腕が、少しでも剣術の足しになっていれば私ももう少し楽だったのだがな」


「うぐっ」


 い、痛いところを突かれた。

 剣術の本は読むし、他の冒険者から軽い指南を受けたこともあるが、基本的には独学だ。

 切磋琢磨する相手がいたわけでもないし、模擬試合みたいなものもほとんどやったことがない。

 部族で幼少より剣術を磨いて来たエッダからしてみれば、俺の剣は拙いものに映るのだろう。


「ま、また、機会があったら指南してもらってもいいか?」


「フン、仕方ない。それで足を引っ張られるのは私だからな」


 エッダは言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうにそう言った。

 ……また丸一日しごかれることになりそうだ。


 料理を配分し、ベルゼビュートに自分の分しか食べないようにしっかりと言い聞かせる。

 ……そうしないと、ベルゼビュートは俺達の分まで食べつくしてしまいかねない様子であったからだ。


 それから《魔喰剣ベルゼラ》を振るい、ベルゼビュートの化身を造霊魔法トゥルパの《プチデモルディ》で造った。

 いつも通り、魔法陣を潜り抜けてベルゼビュートが姿を現して、素早く机の椅子へとついた。

 既に涎で口許が汚れている。


「ほうほう、ほほう! こうして近くで見れば、より素晴らしいではないか! 見よ、見よディーン! この黄金焼きの光沢を! 絶対に美味しいに決まっているではないか!」


 見よも何も、作ったのは俺なのだが……。


「……何にせよ、喜んでくれて何よりだよ。ベルゼビュートくらい気持ちよく喜んでくれたら、俺も作り甲斐があるよ」


 ベルゼビュートが料理に顔を近づけ、すんすんと匂いを嗅いだ。


「むむ……? サラダから、随分と芳しい香りがするの。特に変わったものが使われている様子はないのだが……これは、ドレッシングからであるか?」


「ああ、実はドレッシングに黒腫茸ドリュンという茸を使っているんだ」


 黒腫茸ドリュンとは、森奥に生える茸である。

 黒色をしており、通常の茸とは違い、モコモコとした形状をしている。

 味はほとんど無味であり、食感が特にいいわけでもない。


 だが、黒腫茸ドリュンの香りは間違いなく一級品である。

 森を凝縮したような濃厚な香りと形容されることが多い。

 何よりも、それほど芳醇な匂いを放ちながらも、上手く扱いさえすれば、他の食材の邪魔をすることなく溶け込んでくれる。

 そして、その食材の魅力を何倍にも引き立ててくれるのだ。


「高級食材なんだけど、安めの値で出ていてね。きっとベルゼビュートも気に入ってくれると思ったから買ってみたんだ」


 黒腫茸ドリュンは《赤牛ラカウ型焼きテリヌ》と《猩々鯛オラウスナ油煮ヒジョン》にも入っている。


 ベルゼビュートが目を輝かせながら、次々に料理を平らげていく。

 しっかり事前に料理を分けておいてよかった。

 この勢いだと、確実に全て持っていかれていた。


「うむ! うむ! 素晴らしいぞ! 案外工夫が凝らされておれば貧民芋ポアット料理でも悪くないかと騙されかけておったが、やはり質が違うの! 食材それぞれの持つ良さ、それらの調和の成す味わいあってこその料理である!」


 相変わらずベルゼビュートは、どこで得たのかわからない食への見識を語る。


「どうも……」


「ディーンよ! 絶対にまた黒腫茸ドリュンを仕入れておくのだぞ! これは命令であるぞ! 型焼きテリヌ油煮ヒジョンも、絶対にまた作ってもらうからの!」


 ベルゼビュートの口許は《赤牛ラカウ型焼きテリヌ》につけていたソースによって汚れていた。

 新しい食材や料理が出る度に、ベルゼビュートは同じことを言っているような気がする……。

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