第四十九話 新たな影

 都市ロマブルクの墓場にて、八人の影があった。

 皆一様に黒衣を纏っており、夜の闇に溶け込んでいた。


 先頭には、目を包帯で覆った、黒髪の女が立っていた。

 肌は死人のように青白く、唇も紫色をしていた。


「オルノア司教殿が……夢の果てへと、既に旅立たれたようですね。軍と交渉するに当たって、人質を取るにしてもあれだけの戦力なのは不安がありましたが……まさか、ただの冒険者相手にあの方々が後れを取るとは誤算でした」


 女はガリガリと自身の人差し指の先を噛む。

 皮膚が千切れ、血が垂れる。だが、他の七人も、それを気には留めていなかった。


 彼女は灰色教団の三大司教の一人、リディスであった。

 オルノア司教に比べても過激であって軍に顔も割れており、手配書も出回っていた。


 魔導杖鏡国の杖アリスによって上位の造霊魔法(トゥルパ)を操り、自身の無数の分身を造り出す。

 たった一人で軍人六人を返り討ちにした過去もあり、野放しにされている魔導器使いの殺人鬼の中でも、軍より特に警戒されている人物であった。


「《黒輝のトラペゾヘドロン》は……輪廻龍ウロボロス様に仕える、我々が所有するべき代物。解析すれば、夢界リラールに眠る輪廻龍ウロボロス様を目覚めさせることができるかもしれない魔導器です。一刻も早く、この地の魔導佐の手より取り戻さなければなりません……。オルノア司教殿が先走ったため、あの方々と手を組んで動くことができないのは残念ではありますが……我々の手で、あの魔導器を取り戻さねばなりません」


 リディス司教が《鏡国の杖アリス》を掲げてそう宣言した。

 そこに、高い笑い声が水を差した。

 教徒達の顔が、一斉に笑い声の主へと向けられる。

 灰色教団において、最上位の位階を持つ司教の話を遮ることは重罪であった。

 ましてや笑い声など、万死に値する。


輪廻龍ウロボロス様に仕える……か、いや、笑ってしまうヨ。キミ達は一万年も前から封印され続けている龍に仕えているってことになるけど、それは一体誰の了解を得て仕えていることになっているのかな?」


 墓石に、先程まではいなかった橙髪の男が凭れ掛かっている。

 左目を含む顔の半分近くを髪で覆い隠していたが、それでも一目見て端正な顔つきであると断言できるような容姿であった。

 人を嘲弄する様な独特のイントネーションの喋り方をしていた。


「ンフフ……私の目から見てキミ達の理屈は破綻しているように思うのだけれど、キミ達にはキミ達なりの論理というものがあるらしいネ。よければご教授してもらえないか? もしも返答が気に入ったら、キミ達に暇潰しで入団してあげてもいいのだけれど」


 リディス司教は男を無言で睨みつけていた。

 彼女の目から見て、この人物がただ者でないことは明らかだった。

 八人の魔導器使いを前に誰にも気づかれずに近くまで移動し、かつその利を捨ててあっさりと正体を晒して出てきたのだ。

 よほどの自信がなければこのような真似はできない。


「ちょっとした冗談だヨ、お気に召さなかったかな? ちょっと試しておきたいことがあったからキミ達を野放しにさせてもらっていたのだけれど、もうその必要もなくなってしまったからネ。私のレベリングに、付き合ってもらうヨ」


 リディス司教が《鏡国の杖アリス》を振り上げた。


「《ミラーカレイド》!」


 大きな魔法陣が展開され、リディス司教の周囲に八人の彼女の姿が浮かび上がった。

 Bランクに該当する上位の造霊魔法トゥルパ、自分の分身体を造り出す《ミラーカレイド》である。


 《ミラーカレイド》の発動を合図に、他の七人の教徒達も一斉に動き出す。

 各々に、橙髪の男を取り囲むように回り込んでいく。


「参ったね、さすがに十五人を同時に相手取ることになるとは考えていなかったよ。本体を叩くのが正攻法なんだろうけれど……ううん、どれだったかな? 瞬きをしたら忘れてしまった」


 橙髪の男がヘラヘラと笑う。

 八人のリディス司教は《鏡国の杖アリス》を掲げ、魔法陣を浮かべる。


「……初っ端から、随分と魔力を消耗するのだね。まさか、迷いなく放射魔法アタックの連打を選ぶなんて。そんなに私が怖かったのかい?」


「魔法に当たるつもりで、男の動きを阻害してください。どうやら、厄介な相手の様です。《ブリザード》!」


 八つの氷の塊が、橙髪の男へと飛来していく。

 彼は教徒の魔導器使いにも囲まれており、逃げられる場所などないはずだった。

 教徒達の大半は、灰色教団の教徒として死を選ぶことを受け入れている。

 囮になって司教の魔法で死ぬことにさえ抵抗はない。


「さすがに厳しいから、ちょっとしたズルをさせてもらおうか。見せてあげよう、現界イルミスで最も価値ある魔導器の一つ……《時忘れのポーラ》」


 橙髪の男は首に掛けていた黄金の懐中時計を手にし、その場で掲げた。

 懐中時計には、一切の針が存在しなかった。


「〖タイムルーラー〗」


 多色の輝きを持つ魔法陣が浮かび上がり、橙髪の男の姿が消失した。

 リディス司教は、驚きに目を見開いた。


時空魔法パラドクスの、空間転移系魔法……? 発動まで、随分と速いようだけれど……」


 リディス司教が男の姿を捜して首を動かしたとき、彼女の死角より魔力の糸のようなものが放たれていた。

 極細であり、リディス司教の目でも一瞬しか捉えられなかった。

 次の瞬間には、リディス司教の隣に立つ、彼女の分身体の一体の首が刎ね上げられた。


「大した魔法精度ですが……本体を見失うなんて、どうやら詰めが甘いようですね」


 次の刹那、リディス司教の残る六つの分身体全ての首が刎ね上げられ、輪郭が崩れて光となって消えて行った。

 部下の教徒達も、半数近くが首や足を切断され、戦うことができない状態になっていた。


「おやおや、七体消したけれど、全て偽物だったとはネ。八分の一を引いてしまうとは、なんとも運が悪い。私はどうやら、キミの御指摘通りに随分と詰めが甘いようだネ」


 リディス司教は、そこでようやく、この男に遊ばれているのだと気が付いた。

 《鏡国の杖アリス》を震える手で握っていたが、それさえもついに取り落とした。

 実力差が、あまりにも大きすぎた。

 リディスはこんな相手と戦ったことなど一度もなかったし、そもそもこれほどの魔導器使いがリューズ王国にいたということ自体知らないことであった。


「あ、ああ……有り得ない! 私達が、手も足も出ないなんて! こんな、こんな出鱈目な魔導器使いが、無名であるはずがない! いったいこの国のどこにいたというのですか!?」


「狂信者団体だと聞いていたけれど、こんなものか。実力もなければ、諦めも早い。《黒輝のトラペゾヘドロン》を君達の手に委ねてみるのも面白いかと本気で考えていたのだけれど、底が見えてしまったようだ。実態は、信仰を依り代にした、ただのサイコキラーの寄り合いといったところかナ? 君達は輪廻龍ウロボロスの使者としては、あまりに役者としての格が足りないんだヨ」


「な、何を……!」


 男はそう言って、首に掛けた針のない魔導時計、《時忘れのポーラ》へと再び手をやった。


「それではサヨウナラ。《タイムルーラー》」


 再び男の姿が消える。

 残っていた教徒達とリディス司教の身体が、何かに切断された様にバラバラになった。


「ンフフ……こんな都市をちょっと荒らすくらい放っておいてあげてもよかったのだけれど、久々に長く遊べそうな玩具を見つけたもので、昂ってしまってネ。それにたまには、報告できる実績を稼いでおかないといけないものでネ」


 男は赤紫の長い舌を伸ばして自身の唇の周囲を這わせ、都市ロマブルクの墓場を去って行った。

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