第四十六話 《エアルラ》

 俺は魔喰剣ベルゼラの魔核の輝きを頼りに、魔迷宮を壁伝いに歩いていた。

 前方から足音が響いて来るのを聞き、俺は足を止めた。


 もしも逃げ出して来た灰色教団の魔導器使いなら大変なことになる……と警戒していたが、現れたのはマニとエッダの二人であった。

 エッダは顔から肩に掛けて血塗れになっていた。


「よかった……ディーン、生きていたんだね」


 マニが深く安堵の息を漏らす。


「……チルディックを取り逃がしたのであれば、今生き残っても全滅するしかないのだがな」


 エッダが目を細めて口にし、自身の目元の血を雑に拭った。


「お、お前……その怪我、大丈夫なのか?」


「返り血だ。私が窮鼠を相手に後れを取るものか。そんなことより、奴はどこへ向かった? あの下衆男は、両足斬り飛ばして引き摺って来てやる」


 エッダが魔導剣を振るい、刃の血を飛ばしながら言った。

 た、逞しい……。

 エッダならば、追いつきさえすれば本当にやりかねない。


「……チルディックには逃げられたけど、あいつももう長くは持たないはずだ。……亜物魔法マターは、俺がどうにかするよ。調子を合わせてくれ」


「どういうことだ……?」


 エッダが困惑気に表情を歪める。


「チルディックの《エアルラ》の魔法を、俺が奪った。前に話した、《魔喰剣ベルゼラ》の能力だ」


「……なら奴は、亜物魔法マターなしで地下四階層の瘴気を突破せねばならんということか。因果応報だな」


 エッダが通路の先へと目を向ける。


「でも……ディーン、今の状態で魔法を使えるのかい? 僕の目には、かなりオドを消耗しているように見えるけれども……」


「正直……自信はない。限界を二回りくらい越えた気がするよ。でも、やるしかないからな」


 ちょうど俺がそう言ったとき、視界が眩んで身体からふっと力が抜けた。

 マニが大慌てで俺の身体を支えた。


「や、やっぱり、厳しいんじゃないかな。地下四階層を人質の人達を連れて通り抜けるには、ちょっと時間が掛かるよ。その間の瘴気払いを一人で続けるのは無謀過ぎる」


 ……確かに、あの大人数で安全にここを抜けるには、かなり時間を掛ける必要がある。

 一般人にはほとんど闘気がないため、走って素早く魔迷宮を抜けることもできない。


「それに……あの状況で一人でチルディックを追って飛び出したディーンが亜物魔法マターを使ったら、どうしても他の冒険者の目からは不自然に映ると思う。勘のいい人なら、気が付いてもおかしくないかもしれない」


 ……マニの言うことはもっともだ。

 どう言い逃れしようが、俺が《エアルラ》を使えるのならば、危険を冒してチルディックを単身で追うことは愚行でしかない。

 オルノア司教との戦いも見ていた冒険者ならば、《魔喰剣ベルゼラ》に辿り着いたとしてもおかしくはない。


 そもそも、《魔喰剣ベルゼラ》の対応している魔法は造霊魔法トゥルパ呪痕魔法カース放射魔法アタック異界魔法サモンの四分類なのだ。

 俺がチルディックから奪った《エアルラ》を使うためには、亜物魔法マターの使える魔導器を借りる必要がある。

 その点でもどうしても不自然さが強くなってしまう。


「だが、他に手が……」


 マニは少し考える素振りを見せた後、口を開いた。


「……僕に、《エアルラ》を移してもらうことはできるかな? 僕はオド自体の消耗は少ないし、それに《悪鬼の戦槌ガドラス》は亜物魔法マターにも適合している。ディーンの戦闘と結び付けられるリスクも抑えられるはずだ」


「確かに……その方が、いいかもしれないな」 


 ……今の俺では、《エアルラ》を長時間維持する余裕がない。

 マニに《魔喰剣ベルゼラ》を使って俺から《エアルラ》を奪ってもらえば、その方が上手く行くはずだ。


『むぅ……妾が力を貸してやると決めたのは、ディーンだけなのだが。そう気軽な譲渡に使われては、物として扱われているようで不愉快というか、軽んじられているようで妾としてはあまり気分がよくないの』


 ベルゼビュートの思念が聞こえて来た。


「悪いが、それだと全滅しかねないんだ。聞き入れてもらえないか?」


『わかってはおるが……それなりの誠意というか、気持ちをみたいなと妾は言うておるのだが……』


 ……この緊急事態で面倒臭いことを言い出したと思えば、それが目的か。


「……ここから無事に帰れさえすれば、市場でいつもの倍以上の食材を買い込んでやるよ」


『やったぞー! 妾、確かに聞いたからの! 悪魔は契約に煩いのだから覚悟するのだぞ!』


 相変わらずの、安上がりな《魔界オーゴル》の元支配者であった。

 魔法の譲渡は他の冒険者の目のつかない内に終わらせる必要がある。

 早速俺はマニに《魔喰剣ベルゼラ》を渡し、《エアルラ》を抜き取ってもらうことにした。


「……や、刃に魔力を込めて、斬ればいいんだよね?」


『うむ、そうである。闘骨に近い方がよいから、下腹部辺りが好ましいの』


 マニは《魔喰剣ベルゼラ》に魔力を込め、そうっと俺の腹部に刃を掠める。

 手が震えていた。


『もうちょっとざっくりとやってしまわぬか! レベルの高い人間はそう簡単には死なぬぞ』


「……マニ、あんまり時間も取れないし、一気にやってくれ。俺も、時間を掛けられるとちょっと怖いかもしれない」


「わ、わかってはいるよ、わかってはいるのだけれども……デ、ディーンを斬ると思うと、どうしても力が入らなくて……。ご、ごめん、僕、身体を斬らないと魔法を奪えないことを、深く考えていなかったんだ」


 声も震えていた。

 ……俺も逆の立場だったらまずできないだろうから、仕方のないことではあるのだが。


「何を遊んでいる、時間がないのだぞ。おい鍛冶女、腕を持たせろ。私が一気に振り下ろさせてやる」


 エッダが背後からマニの腕を掴んだ。

 マニが「ひっ!」と小さく悲鳴を漏らしてエッダを振り返った。

 目に、涙が滲んでいた。


「おっ、お前は本当に加減しなさそうだから駄目だ!」


「わ、わかった! 僕がやる! 僕がやるからエッダさんは一旦手を放して!」


「失礼なことを言うな、私は剣の扱いを弁えている。なるべく外傷が残らず、楽な斬り方を選んでやる。腕の力を抜け、抵抗するな。ズレた方が危険だ」


 震えるマニの腕が、エッダの補助によって振り上げられる。

 加減する人間の構えには到底見えない。

 そのまま振るわれた《魔喰剣ベルゼラ》の刃が、俺の腹部を薄く斬った。


 ……こうして無事に、マニへの《エアルラ》の譲渡は終わった。

 包帯で簡単に止血だけしてもらい、俺はマニに体重を支えてもらいながら魔迷宮の通路を歩く。


「ご、ごめんね、本当にごめんね、ディーン」


「別に、マニに悪いことは何もないよ……」


「そうだ。必要なことだった、それだけだ。何も気に病む必要はあるまい」


 ……エッダは、ポーズだけでもいいので少しでも気にする素振りを見せて欲しい。

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