第四十五話 ある冒険者の末路(side:チルディック)

 ディーンとの戦いの後、チルディックは一人、魔導剣に埋め込まれた魔核の薄い光を頼りに魔迷宮を駆けていた。

 ディーンは撒いたが、他の冒険者がまた後を追い掛けて来ないとも限らない。

 とにかく今の間に距離を稼ぐ必要があった。 


 チルディックは途中で足を止め、血の混じった唾を吐き出した。

 よろめいた後に壁へと凭れ掛かり、周囲へと目を走らせて魔獣の姿がないことを再確認する。


「ここまでくれば、ひとまずは大丈夫だろう……」


 チルディックは胸部の傷を押さえた後、「くそっ!」と呟いた。


「二流冒険者め……無様な剣を振るいやがって」


 冒険者業の長いチルディックにとって、ディーンの最後の一撃はあまりに拙い剣であった。

 返しの一撃を受けることを考えれば、あそこであんな大振りを振るうことは理解しがたい。

 単なる相手のミスだと気になるものではないが、理に合わない一撃で自身が怪我を負ったことに対する苛立ちがあった。


「馬鹿の考えは、読めないのが厄介だ……」


 チルディックは血の混じった咳をし、それから自身の魔導剣を構えた。


 チルディックはディーンに深く斬られていた胸部の傷へ、魔迷宮の瘴気が染み込むのを感じていた。

 加えて息を荒げて走っていたために瘴気の症状が早めに出ているのか、頭の奥から疼くような頭痛があった。

 そろそろ亜物魔法マターの《エアルラ》によって瘴気の浄化を展開した方がよさそうだと、そう判断したのだ。


 それに、魔迷宮の地下奥に住まう魔獣ほど、浄化された綺麗な空気エアルに不快感を抱くようになる。

 地下奥地の濃い瘴気に適合した魔獣達にとって、逆に綺麗な空気エアルは微弱な毒霧として作用するのだ。

 魔獣の動きを鈍らせられるほどではないが、瘴気を浄化しておけばある程度の魔獣避けにはなる。


「《エアルラ》!」


 チルディックは魔導剣を掲げる。

 宙に、灰色の薄い光を帯びた魔法陣が展開された。

 魔法陣はすぐにぐにゃりと崩れ、魔迷宮の暗闇に霧散していった。


「は……?」


 こんなことはチルディックにとっても初めてだった。

 《エアルラ》を使う前から既に違和感はあった。

 自分の中にこれまであった、《エアルラ》を使うためのオドが、すっぽりと抜け落ちてしまったような感覚だった。


「《エアルラ》……《エアルラ》!」


 チルディックは貴重な魔力を使い、不完全な魔法陣を紡ぎ続けた。

 だが、まるで亜物魔法マターは発動しない。

 彼の顔がどんどんと蒼くなっていった。

 《エアルラ》がなければ、チルディックは魔迷宮の中で野垂れ死ぬ他にないのだ。


 まだ地下三階層までの距離が短ければ助かったかもしれない。

 しかし、今の距離ではまず間に合わないであろうことを、経験豊富なチルディックだからこそはっきりと理解してしまった。

 既にチルディックは斬られた傷のために、瘴気中毒の第一症状が出始めているのだ。


 《エアルラ》が使えないと気が付いた瞬間、一気に周囲の瘴気の濃度が高まったようにチルディックは錯覚した。

 瘴気による不快感を、今までよりもずっと強く意識してしまう。

 意識せざるを得ない。

 彼の頬に無数の汗が伝った。


「ば、馬鹿な……こんなことは、有り得ない……なぜ……? なぜ……?」


 心当たりはないわけではなかった。

 呪痕魔法カースの中には、対象の魔法を一時的に封じ込めるようなものもある。

 しかし、その手の魔法はどれも高位のもので、ディーンが身に着けているとは思えない。

 だが、魔導剣の特性に、そのようなものがあってもおかしくはない。


 実際、ディーンの一撃を受けた際、チルディックの身体を形容しがたい不快感が襲っていた。

 魔導剣の刃が奇妙な魔力を帯びていたこともチルディックは気づいていた。


「ふ、ふざけるなよ! そんなことをして、何になるという! この俺に、最後の嫌がらせをするために、力不足とわかっていて相打ちの剣を振るったというのか! それこそガキの発想だ!」


 チルディックは魔獣への警戒も忘れて思わず叫んでいた。


「《エアルラ》! 《エアルラ》! 《エアルラ》!」


 チルディックはその後も、喉から血を絞り出して魔法の行使を行っていた。

 だが、どれも当然成功することはなかった。


 やがて瘴気に身を侵され、その場へ膝を突いた。

 胃液が掻き乱されたような悪寒を覚え、床へと吐瀉物を吐き出した。

 既に頭痛の酷さのあまり、意識が朦朧としていた。


 そこへ複数の足音が近づいて来る。


「ひっ、ひぃっ!」


 チルディックは悲鳴を上げて身を捩った。

 魔獣か、そうでなければ自身が裏切って死へと追い込んだ冒険者に違いない。

 どちらであろうとも、チルディックを殺そうとするであろうことに変わりはない。


「随分と憐れな姿だなあ、チルディックよ」


 チルディックの目前に光が差した。

 瘴気の苦しみが和らぐ。

 顔を上げれば、地味なローブを纏った大柄の、髭面の男が向かって来るところだった。

 後ろにも、同様のローブを纏った男達が並んでいる。

 マナランプを持っている者や、空気エアルの浄化に専念している環境士の姿もあった。


「カ、カンヴィア……カンヴィア魔導尉! よかった……軍服でなかったから、わからなかったぞ」


「軍はここにいてはならないことになっている。わかるだろう、チルディック」


 名を呼ばれたカンヴィアがニマリと笑う。


「それから、馴れ馴れしい口は止めろと言ったはずだが? 俺は既に、冒険者の時分とは違うのだ」


「……も、申し訳ございません、カンヴィア魔導尉様。嬉しさのあまり、つい。ここまで手際よく合流できるとは思っておりませんでしたので」


 チルディックが頭を下げる。

 チルディックのコネというのは、カンヴィアのことであった。

 彼は元冒険者であり、その際にチルディックとは顔見知りだったのだ。

 というよりは、チルディックが軍の魔導尉と繋がりを作りたかったために、入軍しそうな冒険者へ手当たり次第に唾をつけていたのだが。


「何があったのか、結果を伝えろ。簡潔にな、俺は気が長くない」


「は……! 灰色教団は、壊滅しました。私が見たときに最後の一人でしたが、すでに殺されていることかと。それから……冒険者の中の、もう一人の環境士は処分致しました。冒険者の連中は地下四階層を抜けられず、すぐに死に絶えるはずです」


「ほう、理想の展開だな。これで俺達が尻拭いをする必要もなくなったわけだ」


 軍は当初、冒険者との戦いで弱った灰色教団を襲撃し、同士討ちとして処理する算段であった。

 仮に人質を盾に取られても気にせず攻撃することができる。

 冒険者が先に突入したという事実があるのだから、彼らに責任を被せて軍は素知らぬ振りを決め込めばよいのだ。


「……これで私は約束通り、ほとぼりが冷めた頃に軍の魔導尉にしてもらえるのですよね?」


 チルディックがカンヴィアへと恐る恐ると尋ねる。


「ん……? ああ、そうだな。もっともその頃までに、お前が生きていれば、だが」


「カンヴィア魔導尉様、それはどういう……?」


 カンヴィアが魔導剣を抜いた。

 チルディックが状況を理解した時、彼の腹部へと素早く魔導剣が突き立てられた。


「カ、カンヴィア、貴様……!」


 魔導剣が引き抜かれ、チルディックがその場へと倒れた。

 カンヴィアは屈み、瀕死のチルディックへと顔を近づける。


「馬鹿め、貴様が生きていれば不都合だろうが。わざわざ庇い立てするだけの理由が貴様にあるのか? うん?」


 カンヴィアは下品に笑い、チルディックが事切れたのを確認してから立ち上がった。

 チルディックから漏れたオドの輝きがカンヴィアへと移る。


「なかなかのオドだ、レベルが上がったかもしれんな」


 カンヴィアはチルディックの亡骸を蹴とばした後に、魔導剣へと視線を移したが、すぐに背を向けた。


「魔導器の回収はしないのですね、カンヴィア魔導尉殿」


 部下の一人がカンヴィアへと尋ねる。


「ああ、マルティ魔導佐様からの指示だ。あの御方は、軍が入った痕跡をとにかく残したくないらしい。さっさと出るぞ、野良の冒険者共に顔を見られれば面倒だ」


「冒険者共の状態の確認はよろしいのですか?」


「動けば関係のない奴に見られるリスクが増えるだろうが。今回は、魔獣狩りも、魔導器回収もなしだと言われている。とっととこんなシケた仕事は終わらせちまえばいい。魔導佐様には確認したと伝えるが、余計なチクリはするんじゃねえぞ」


「は、はい」


 軍の一派が、来た道を戻っていく。

 後にはチルディックの亡骸だけが残っていた。

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