第四十二話 マルティ魔導佐の罠

「……闘気は低いんだから、あんまり前面に立たせないでくれよ。動き回るのは、本当に得意じゃねえんだ。本分は感知術士なんでな」


 ヘイダルは他の冒険者達を振り返り、冗談めかしてそう口にした。


 あちらも手強い相手だったのだろうが、ヘイダルは《予言する短剣ギャラルホルン》の力で、相手の動きの先読みすることができる。

 極限の命のやり取りの中で、相手が見せた一瞬の隙を、ヘイダルは逃しはしないだろう。


 ヘイダル達の戦いが終わったとほぼ同時に、エッダの剣がディグの腹部を深く斬っていた。

 ディグは血を吐いた後に再び短剣を構えたが……さすがに無視できるダメージではなかったらしく、がくんと身体が揺らぎ、その場で膝を突いた。


「あ、あぁ……? おっかしーな、身体に力が、入らねえぞ……?」


 あちらも、既に勝負はついたらしい。

 これで完全に戦いが終わったかに見えたとき……残る一人の教徒が、戦いを抜けて魔迷宮の別方向へと走り出した。


 戦っていた冒険者達も、逃げる背を、ぽかんと口を開けて不審げに眺めていた。

 彼が環境士でもない限り、逃げたとしても生存は困難であるはずだ。

 そうだったしても、あの怪我であれば、とても単身で地上階層まで上がれるとは思えない。

 逃げて死ぬくらいなら、戦って死ぬことを選びそうな連中だと思っていたが……。


 真っ先に動いたのはヘイダルだった。

 自身も傷だらけだというのに、一目散に教徒の逃げた後を追って走り出した。


「馬鹿野郎! アイツは、最後に人質を殺すつもりだ! 早く追え!」


 ヘイダルの叫び声で、負傷の少ない冒険者達が一斉に後を追いかけ始める。

 エッダは息を荒げながら、魔導剣を地面に突き立てて身体を支え、その場に残っていた。

 ディグの刃をいくらか受けたらしく、彼女もすぐには動けないようであった。


「ひ、人質狙い……?」


 理解ができない。

 最後に逃げるわけでもなく、目前の敵だけでも倒そうとするのでもなく、腹癒せに捕らえた人質を殺しに向かうとは思わなかった。


「だ、大丈夫ですよ、あの男も怪我をしていましたし……そう速くは動けない様子でした! それに、わざわざ殺しに向かったということは、失敗したときに人質を殺す様な仕掛けや、人質の番もいないということです!」


 他の冒険者が俺へと言う。

 確かに……そういう考え方はできる。

 それに、あの調子だと冒険者の誰かが追いつくペースではあった。


「これでようやく……灰色教団騒動もお終いですよ。後は、帰るだけですね。しばらくちょっと軍から睨まれちゃうかもしれませんが……」


 そう簡単に終わってくれればいいのだが……と思いながら彼へ視線を戻した、まさにそのときだった。


「ふむ……今しかないか」


 やや離れたところに立っていた、今回の実質的な纏め役であったチルディックが、自身の顎の髭を指でなぞりながらそう零した。

 それから手にしていた魔導剣を持ち上げ、俺達へと向ける。


 チルディックの前方に魔法陣が展開された。


「チ、チルディックさん、何を……」


「みんな、散らばって!」


 マニが叫びながら俺へとタックルを仕掛けて来た。

 マニの身体から、赤い蒸気が昇っている。

 《鬼闘気》を使っていた。

 至近距離で抗う間もなく、マニの肩が俺の胸元に当たり、後方へと弾き飛ばされた。


「《ニードルストーム》!」


 チルディックが叫ぶ。

 五本の大きな石の針が浮かび上がり、俺達目掛けて放たれた。

 冒険者の二人が、横っ腹と太腿を石の針に削り飛ばされ、血肉が舞った。

 俺を庇って飛び込んだマニの背にも石の針が掠り、衣服が削り飛ばされて出血していた。


「マ、マニ……!」


「ひ、ひぃっ! チルディックさん、なな、何を……!」


 チルディックの傍らに立っていた、予備の環境士として連れて来られた青年シエルが悲鳴を上げる。

 チルディックはそのまま魔導剣を一閃し、脅えるシエルを躊躇いなく斬った。

 胸部が深く斬られ、夥しい量の血が辺りに飛び交い、地を赤く汚した。


 俺は目を見張る。

 シエルが即死であることは、疑いようもなかった。

 チルディックは口許についた返り血を軽く舐め、素早く身を翻した。


 一瞬、何が何だかわからなかった。

 だが、すぐに、恐れていたことが起こったのだと理解した。


 チルディックは、軍のスパイだったのだ。

 ヘイダルも何人か軍の庁舎を出入りしている冒険者がいるようだ、と口にしていた。

 恐らく、手駒にできそうな冒険者を捜していたのだ。


 あの時点で軍は、冒険者が徒党を組んで灰色教団の討伐に当たることを予期していたのかもしれない。

 いや……そもそも、事実上のトップであるチルディックが軍の手先だった時点で、ガムドン決死団は最初から軍の掌の上だったのだ。


 目的は、軍の邪魔となるが人質がいるために容易に手出しのできない灰色教団を、冒険者達に処分させることだろう。

 それも……仮に冒険者が人質の奪還に成功すれば、肝心な都市の危機に動いたのが冒険者だったということになり軍のトップであるマルティ魔導佐の立場が危うくなるため、共倒れが狙いだったのだ。

 冒険者達が功を焦って勝手に飛び出した挙句、人質を巻き込んで死なせる結果に終わった、という筋書きだったのだろう。


 軍が動かなかったことに変わりはないが、最悪の結果を叩き出した冒険者に非難の目を向けさせ、責任転嫁するつもりなのだろう。

 元々、情報戦では軍に冒険者は一切太刀打ちできない。

 商会が絡んだとしても、それは同じことだ。


 結果として、軍は灰色教団の交渉に応じることも、肝心なときに行動しなかったと叩かれることもなく、冒険者に責任を被せてこの事件を終わらせることができる。


 マニは身体を起こして膝立ちになり、俺を安堵したように見た後、すぐチルディックを睨みつけ、手にした《悪鬼の戦槌ガドラス》をぶん投げた。

 《鬼闘気》で引き上げられていたマニの膂力により、《悪鬼の戦槌ガドラス》は一直線に宙を飛び、チルディックの腰をわずかに抉った。

 マニは苦しげながらに笑みを浮かべ、そのまま地面の上へとへたり込んだ。


「ぐう……! クソガキめ!」


 チルディックは苦悶の表情を浮かべながらマニを睨んだが、そのまま地面を蹴って逃げ出した。

 マニは地面に手をつきながら、俺を見上げる。


「ディーン……なんとしても、あいつを生きたまま連れ戻さなきゃ駄目だ。シエルさんが殺された今……環境士は、チルディックだけだ! このままだと……ここまで来たのに、みんな瘴気にじわじわと殺されることになる!」


 そう……魔迷宮奥地の有害な瘴気を浄化できるのは、シエルとチルディックだけなのだ。

 地下四階層の浅部ならまだしも、今回はかなり奥まで入り込んでしまっている。

 環境士なしでの帰還はほぼ不可能だ。


「あ、ああ、わかっている! 手足を斬ってでも、チルディックを連れ戻す!」


 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を抜き、チルディックの後を追った。

 俺も万全の状態ではないが……今、ここで動けるのが俺しかいない。


「チッ! どうやら、厄介なことになったらしいな!」


 エッダが身体を支えるために地面に突き立てていた魔導剣を構え直し、俺の方へと駆けて来ようとした。

 エッダも随分と負傷しているようだが、彼女はレベル上の相手にも追いつけるほど瞬間速度が速い。

 エッダが共に戦ってくれるなら希望は見えるかと思ったのだが……倒れたまま固まっていたはずのディグがゆらりと起き上がり、エッダの前に立ち憚った。


「どうしたよ……白髪女、俺はまだ生きてるぜ? ハハハハハ! 殺しきる気力もなかったかア! 内輪揉めで全滅なんて、面白いことやってるじゃねえか。もうちょっと、俺と踊ってもらうぜ……」


 ディグが嫌な笑みを浮かべる。

 奴とて……瀕死だったのには変わりない。

 だが、俺達の危機と見て、最後の気力を振り絞って起き上がったらしい。

 本当に、最後の最後まで嫌な奴だった。


 こうなった以上……やはり俺が単身で、チルディックを連れ戻すしかない。

 チルディックは環境士であると同時に、後衛からの援護や白兵戦も熟す、熟練の冒険者だ。


 おまけに……俺はオドの消耗が激しく、《プチデモルディ》のような、多量の魔力を消費する魔法はもう使えない。

 その上にチルディックはここまでほぼ無戦闘で、どうにか帰りの環境士にしなければならないため、殺すこともできない。

 最悪の状況だったが……それでも、ここで足を止めることはできない。

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