第四十話 最後の決め手

「タ、ターリア……?」


 オルノア司教が青褪めた顔で、指を蠢かす。

 俺は背後へ目をやる。

 床に伏した《愛しの導き手ターリア》は、微動だにしていない。


「わ、我らが愛しの導き手ターリアよ、なぜ、なぜ動いてくださらないのです……?」


 エッダは《愛しの導き手ターリア》の頭部を踏んで固定し、首へと魔導剣を突き立てた。

 身体が衝撃で揺れる。エッダは雑に魔導剣を引き抜いた。


「硬いが……完全に切断するべきか。いや、それよりも魔核を剥がした方が速そうだな」


 エッダがいつもの平坦な声で呟く。


 か細い道だったが……やり遂げたのだ。

 間違いなく、オルノア司教と《愛しの導き手ターリア》の繋がりは切れている。

 ヒョードルの様に時空魔法(パラドクス)専用の小型魔導器でも隠していて、《ボックス》で新しい武器でも取り出されない限り、オルノア司教は徒手だ。


 俺も魔力の限界が近かったため、ベルゼビュートの化身を造り出す《プチデモルディ》を解除させてもらった。

 今回もギリギリだが……どうにかオルノア司教から、《愛しの導き手ターリア》を取り上げることに成功した。

 野放しにしていれば冒険者側が一気に全滅させられかねない勢いだった。

 しかし、被害が増える前にどうにか潰すことができてよかった。


 高揚感があった。

 今回ばかりは、本当に駄目かと思った。


「妙だと思ったら、人形だったか!」


「あ、あの化け物を、無力化できたのか?」


 オルノア司教とターリア登場以来敗戦ムードであった冒険者達も、士気を取り戻しつつあった。


「馬鹿な、あんなガキが止めたのか……?」


 あの傲慢なガムドンも、敵と交戦しながらも、俺とエッダを交互に見て、口を開けて呆然とした顔をしていた。

 直接ターリアと戦っていたのはエッダだが、オルノア司教と対面している俺を見て、何か関係あるらしいとは考えているようであった。


「あ、ああ、ああああああああ! たーりあああああああああああ! ああああああああああああっ! んあああああああああああああああ!」


 オルノア司教は奇声を発しながら、大きな両手で、自身の髪を掻き毟り始めた。

 大男が涙や涎を垂れ流しにし、周囲の目を気にせず絶叫する様は、見ているだけで恐怖があった。

 隙だらけ、には思えた。

 殺すには絶好の機会に感じたのだが、恐怖と警戒が勝り、無暗に跳び掛かる気にはなれなかった。

 それに、俺も、かなりオドを消耗してしまっている。


「んお、おおおおおおおおおおお! おおおおおおおおおおおおおっ! 我らの、ターリアァアァアアアアアッ! あああああああああああっ!」


 オルノア司教が絶叫を上げながら身体を捩る。

 俺は警戒気味に《魔喰剣ベルゼラ》を彼へと向けながら、背後へと退いた。

 ……《プチデモルディ》で安全に攻撃できればいいのだが、魔力が足りない。


 何か、消耗魔力の低い他の魔法で牽制してみるのはアリだろう。

 それくらいなら、今の俺の魔力でもできる。


 間合いを取ってから俺は小さく呼吸を挟み、詠唱を始めた。


「トリックドー……」


 そのとき、オルノア司教の目が見開かれた。


「キサマかぁぁあああっ!」


 オルノア司教が大口を開けて吠える。

 彼の巨体が震えて筋肉が膨張し、黒い瘴気が昇り始めた。

 ブラッドも用いていた、《邪蝕闘気》だ。

 生命力と引き換えに、身体に変化を齎すほどの強大な闘気を全身に纏う、凶悪な闘術だ。


 右手の指を伸ばし、俺へと掴みかかってくる。

 避けるのは、無理だ。【Lv:42】の動きが、単純に速すぎる。

 間合いは取ったが、多少の開きがあったところで、この速度差だとすぐに接近されて埋められる。


「うっ……!」


 俺は咄嗟に《魔喰剣ベルゼラ》を構え直し、オルノア司教の腕へと斬り掛かった。

 オルノア司教の人差し指が宙を舞った。続けて、親指の根元が裂ける。


 だが、オルノア司教は止まらなかった。

 剣を強引に押し返して突進してくる。

 この域までレベルが上がると、生身でも凶悪な魔獣と変わりない。


 胸部に掌底が押し当てられる。《硬絶》でガードはしたが、それでもなお抑え切れない衝撃だった。

 身体の奥から何かが込み上げてくる。口から、赤い液体が漏れた。

 受け身を取って起き上がるつもりだったが、身体が動かない。


 胸部に、強烈な痛みがあった。

 ただ、殴打のせいではない。目線を落とせば、革鎧が三本線に裂かれ、そこから血が滲んでいるのが見えた。

 指を突き立てられた痕だ。


「ふむ、心臓を引き摺り出してやるつもりだったのだが」


 オルノア司教が鼻息を荒くしながら言う。

 事前に奴の指を二本斬り落としたのと、《硬絶》のガードが幸いした。

 直接受けていれば、本当に心臓を抉られていたかもしれない。


 倒れたままでは、無抵抗に殺される。

 俺はどうにか立ち上がろうとしたが、膝を突いてしまった。

 まだ、視界がぐらつく。身体が言うことを聞かない。


「く、くそっ……!」


 オルノア司教が俺へとまた掴みかかってくる。

 これ以上、攻撃を受けるのはまずい。

 魔力も体力も厳しいが、どうにか《水浮月》で凌ぎ続けるしかない。


 そのとき、駆けつけて来たエッダが、オルノア司教の肩から脇腹に掛けて深く斬りつけた。

 《愛しの導き手ターリア》の再起不可能を確認してからすぐこちらへ向かってきていたようだ。


「ぐぅおおっ!」


 オルノア司教の身体から血が噴き出る。


「玩具を取り上げられて泣き喚くとは、まるで幼児だな」


 エッダが続けて斬り掛かる剣を、オルノア司教は強引に腕で弾く。

 多少の身体の負傷は気にしていないようであった。

 オルノア司教は剛力を武器に腕を振るうが、エッダには紙一重で避けられ続けていく。


「ちょこまかと、鬱陶しい小娘め!」


 オルノア司教とエッダのレベル差の開きは大きいが、エッダの魔導剣はかなり上質なものだという話だった。

 闘気への補正も恐らくは桁外れだ。

 それに、エッダは俺よりも剣技に関して数段は上だ。

 徒手と剣のリーチの差もあり、オルノア司教相手にくらいついていた。


 そして、オルノア司教の温い攻撃に対し、エッダがその隙を突いて正面から斬り掛かった。

 頭部への斬撃は首を曲げて躱されたものの、肩へと刃が深々と突き刺さった。


 エッダが勝ったと、そう思った。

 だが、彼女の刃は肩に入ってすぐのところで止まっていた。

 オルノア司教は《邪蝕闘気》を肩に集中させて筋肉を局所的に隆起させ、刃をがっしりと掴んでいるようであった。

 とにかく不気味な光景だった。


 オルノア司教もさすがに苦痛を感じているのか、顔中に汗を垂らしていた。

 だが、三日月の不気味な目はそのまま、至近距離からエッダを捉えている。

 エッダは魔導剣を引き抜こうとするが、動かない。


「ぐっ!」


「フッフッフ、最初からこうすればよかったのだな。捕まえた」


 エッダの顔へと、オルノア司教が腕を伸ばす。


「エッダ! 一度剣を手放して離脱しろ!」


 俺の声にエッダは僅かに迷いを見せたが、魔導剣を手放さなかった。


「ガムドンストライク!」


 野太い咆哮と共に、オルノア司教の後頭部へと、炎を上げて高速回転する円盤が突き刺さった。

 オルノア司教の頭部が裂けて血が噴き上がった。

 オルノア司教は身体を震えさせながら、円盤が飛来してきた方向を振り返り、その場へ崩れ落ちた。


 円盤が地面に突き刺さって動きを止める。

 円盤と見紛えたのは、炎を纏うガムドンの魔導器、《剛斧ギガンテス》であった。


「よし……これで俺様の面子を保てるな」


 飛来してきた方向を見れば、唯一の武器を投擲したガムドンが息を切らしながらこっちを見ていた。

 彼の目前には、頭部を叩き割られた教徒の死体があった。


 オルノア司教が《愛しの導き手ターリア》を失って激昂し、エッダ相手に気を取られている、まさに絶好のタイミングへの投擲だった。


 《ガムドンストライク》…………が正式名称ではないだろうが、魔導器を放り投げることで発動する闘術のようだ。

 とんでもない威力とリーチだ。

 本人の手から魔導器が離れるため、必然的にしばらく闘気の強化も受けられず無防備になるが、それを踏まえても優秀な攻撃方法だ。

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