第三十九話 【Lv:42】の壁

「おお……おお……なんと、愚かしきことか! たった一人で、私とターリアに挑もうなどと!」


 オルノア司教が不気味な三日月の目の皺を伸ばし、歯を見せて笑う。

 本人のレベルが恐ろしく高いため、純粋な闘気を用いた白兵戦においてもかなりの脅威となるはずなのだが、オルノア司教本人は動かない。

 《愛しの導き手ターリア》を《マリオネット》で操作しつつ、白兵戦を十全に熟す様な真似はできないのかもしれない。


 冒険者を強襲していた《愛しの導き手ターリア》の頭部がぐるりと回り、俺を振り返った。

 上体を回し、そのまま這い這いの姿勢になって俺へと向かって来る。

 人間ではまず有り得ない動き方であった。


 ……覚悟していた通り、《愛しの導き手ターリア》が俺を標的に捉えた。

 俺は唾を呑む。

 なんとしても、ここを凌ぎ切ってオルノア司教に一太刀浴びせなければいけない。


 地を駆けていた《愛しの導き手ターリア》が四肢で地面を押し、俺へと飛び掛かって来た。

 俺は身体を翻し、《魔喰剣ベルゼラ》の先端を《愛しの導き手ターリア》へと向けた。


「《プチデモルディ》!」


 俺の詠唱と共に魔法陣が展開され、その中央を潜り抜けてベルゼビュートが現れた。

 ベルゼビュートが真紅の凶爪を振るい、《愛しの導き手ターリア》の腹部を狙う。

 《愛しの導き手ターリア》の動きが、がくっと静止する。

 ベルゼビュートの爪は、《愛しの導き手ターリア》の洋服の表面を裂いた。

 ……仮に人間なら、留まり切れずに当たっていただろう。


 ベルゼビュートが続けて振るった爪を、《愛しの導き手ターリア》はか細い腕で受け止めた。

 ベルゼビュートの金色の目が見開かれる。

 戦鼠ムースの分厚い体表さえ軽々と切断する爪撃を受けて、びくともしてない。


 ……恐らく、オルノア司教の魔力を基に、魔導器である《愛しの導き手ターリア》の身体能力が決定されているのだろう。

 先程イムで確認した、【MAG(魔力):125+51】という馬鹿げた数値が頭を過ぎった。


「こやつは少々、妾の手に余るぞ!」


 ベルゼビュートの爪を弾いた《愛しの導き手ターリア》が、俺へと顔を向けた。

 再び大きく前傾して両手で床に触れ、地面を蹴って跳びかかってくる。

 間に分け入ったベルゼビュートの腹部に、《愛しの導き手ターリア》の小さな指が喰い込んだ。


「がはっ!」


「ベルゼビュートッ!」


「ぐ……ぐぬぅ……また祝宴の料理を一人前増やしてもらうからの、ディーン……!」


 ベルゼビュートは両手で《愛しの導き手ターリア》の腕を掴んでいた。

 《愛しの導き手ターリア》は、押さえられているのとは逆の腕を振り上げ、ベルゼビュートを狙う。


 次にベルゼビュートにまともな一撃が入れば、造霊魔法トゥルパを維持することはできなくなる……!

 そうなれば、後がなくなる。

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を構えて前に出た。

 《愛しの導き手ターリア》の間合いに入るのは危険過ぎるが、今ベルゼビュートの化身を消滅させるわけには絶対に行かない。


 そのとき、《愛しの導き手ターリア》の背後で、エッダが魔導剣を構えて跳び上がっているのが視界に入った。

 エッダは《愛しの導き手ターリア》に対し、真上から華麗に突きを放った。


 《愛しの導き手ターリア》は掌を上に向けて、エッダの刃を易々と防ぐ。

 俺の正面からの斬撃は、ベルゼビュートを軽々と引き摺って背後へと跳んで回避してみせた。

 わかってはいたが、尋常ではない怪力だ。


「どうしたものかとは思っていたが、まさか唐突に単身で向かっていくとはな。犬死するつもりか?」


 エッダが《愛しの導き手ターリア》へと刃を向けながら言う。


「助けられたよ。俺だけだったら……多分、今ので殺されてた」


 俺の身体能力や闘術では、ベルゼビュートの補助があったとしても、《愛しの導き手ターリア》には全く敵いそうになかった。


「……続けて悪いんだが、一分……いや、その半分、こいつを引き付けてくれないか? その間に、そいつの主を叩きたいんだ」


 酷だが……灰色教団を押し切るには、それしか勝ち筋がない。

 エッダとベルゼビュートで動けば、《愛しの導き手ターリア》を相手に凌ぎ切ることも不可能ではないはずだ。


「厄介ごとを簡単に押し付けてくれる」


 エッダの額に汗が垂れる。


 《愛しの導き手ターリア》が身体を捻り、俺へと跳び掛かってきた。

 エッダが地面を蹴り、《愛しの導き手ターリア》の背へと刺突を放つ。

 《愛しの導き手ターリア》は身を翻し、地面に着地した。


「早く行け、しくじればただでは済まさぬぞ!」


「ありがとう、エッダ!」


 俺はオルノア司教へと向かって駆けた。

 オルノア司教は顔に皺を寄せ、不満気に俺を睨んだ。


「面倒な……!」


 いける……はずだ。

 闘気では圧倒的にオルノア司教が勝っているが、闘術の種類は少ない。

 それに魔導器である《愛しの導き手ターリア》が独立しているため、オルノア司教自身の白兵戦における攻撃のリーチは短い。


 そのとき、背後で大きな音が響き、オルノア司教の顔が歪んだ。

 《愛しの導き手ターリア》がベルゼビュートに腹部を殴打され、地面へ叩きつけられているのが目尻に見えた。


 オルノア司教が魔導人形の操作から意識が逸れたため、動きに甘い部分が出たのだろう。

 《愛しの導き手ターリア》はすぐさま立ち上がっていたが、洋服が裂け、身体に薄っすらと亀裂が入っていた。


「お、おおお……! 我らが愛しの導き手、ターリア……!」


 オルノア司教は額に血管を浮かべて怒りを露にする。

 ただでさえ大きな鷲鼻を膨らませ、興奮しているようであった。

 恐ろしい形相だが、相手が冷静さを欠いてくれているのは好機である。


「ターリアが離れておっても……ガキがこの私に一人で挑んで、どうにかなると思ったか!」


 オルノア司教が大きな腕を俺へと振りかざす。

 前腕に《硬絶》を用いてガードしたが、背後へと弾かれた。

 芯から骨に響く衝撃が走る。左手が震え、自然に地へ向けて垂れた。


 レベル差の開きが、あまりに痛い。

 《硬絶》込みで、まともに防ぐことさえできないとは。

 だが……ここに時間を取られてはいられない。

 俺がもたついていては、《愛しの導き手ターリア》の相手をしているエッダの命が危ない。


 オルノア司教の顔が一層険しくなる。


「……雑魚相手に仕損じたか。とっとと死ね!」


 大きな握り拳を作り、俺へと大きく踏み込みながら放つ。

 目線は、やや俺の背後へ逸れていた。

 《愛しの導き手ターリア》の操作のため、完全に俺との戦いに集中することができないのだろう。

 動きに、焦りも見える。

 まさか、冒険者の烏合の衆に、《愛しの導き手ターリア》と互角に立ち回ることのできる、エッダとベルゼビュートの様な相手がいるとは思っていなかったのだろう。


 ここだ!

 さっきのオルノア司教の初撃で温存した甲斐があった。

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を構えて、魔力を込める。刃を魔力の光が薄く走った。

 そしてオルノア司教の腕の大振りへと突っ込んで、《水浮月》の透過によって回避すると共に、懐へと潜り込んだ。


「もらった!」


 オルノア司教の腹部に《暴食の刃》をぶち当てた。

 刃との接触部を通して、オルノア司教の中にいくつかの光があるのを感じる。

 これが、奴の魔法と闘気だ。

 俺はその中から《マリオネット》を探り当てて引き抜いた。


「チイッ! しつこいガキめ……よかろう、適当に殺すつもりだったが、徹底的に嬲り殺してくれる。貴様は、本当にこの私を怒らせ……」


 オルノア司教は腹部の傷を押さえながら、背後へ跳んだ。


「む……?」


 オルノア司教の顔から表情が失せる。

 俺は顔を僅かに傾け、背後で交戦中だったはずの《愛しの導き手ターリア》が地面へ突っ伏しているのを確認した。

 運頼みの策で、本当にギリギリだったが……やりとげたのだ。

 オルノア司教と、《愛しの導き手ターリア》のリンクが途切れた。

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