第三十七話 オルノア司教

 俺はディグへ向けて魔導剣を構えた。

 この場に集まっている冒険者と灰色教団の連中では、個人のレベル差が大きすぎる。

 俺とて、ベルゼビュートの力を借りて格上の魔獣や冒険者と渡り合っては来たが、高レベル冒険者とはまだまだいえない。


 魔法連打で疲弊し、かつ孤立したところを叩かれては、凌ぎ切れるかどうかも怪しい。

 おまけにディグは、魔法や闘術に頼らず、速度特化の闘気を活かして戦うタイプなので《暴食の刃》でのリターンも小さい。


「はあああっ!」


 マニが《悪鬼の戦槌ガドラス》を振りかぶってディグの背へと飛び掛かった。

 身体から赤い蒸気を発している。

 魔導槌の特性、膂力を強化する《鬼闘気》だ。


 ディグは身体を翻し、マニへと向き直った。

 マニの魔導槌が、ディグの手前で空振った。


「なんだぁ? 届いてねえじゃねえか、これ見よがしにプンプン闘気を出して脅かしやがって。馬鹿なのか?」


 ディグがマニへと魔導小刀を突こうとする。

 俺は背後より、首を狙って魔導剣を振るった。

 ディグは刃を魔導小刀で防ぎ、マニを蹴り上げて背後へ飛ばした。


「きゃっ!」


 マニの華奢な身体が宙を舞い、地面へと叩きつけられる。


「マニッ!」


 ディグは俺とマニの顔を見比べ、ニマリと笑う。


「なるほどなぁ、孤立したこいつが戻る時間を稼ぐために、敢えてバカみたいな掛け声を上げて気を引いたわけだ。お前、この男のことが好きなのか」


 ディグは笑い、素早く小刀を引き、何打も打ち込んでくる。

 速い上に、力が強い。

 間合いも、完全に小刀の小回りを活かせる距離を維持されている。


「だったら! ぜひ目の前でこいつをぶっ殺してやらねぇとなぁ! ンハハハハハハ! きったねぇー血泥塗れの臓物抉り出して、地べたに並べてやるよ!」


 ガードの上から力押しし、俺の肩や腰を刻んでいく。


「見てぇだろお? 好きな奴のきったねぇ内側の肉! 俺もそれが見たくて見たくて、初めて殺したのが八歳のガキン頃だった。今だって夢に出るぜ!」


「このっ……!」


 隙を見つけたつもりで振り上げた剣を、小刀で更に上へと跳ね上げられた。


「はい、お終い」


 ディグが腹部へ小刀を突き出す。

 俺は身体を捻じりながら横へ跳んだ。


 小刀が、俺の臍の横へと突き刺さる。

 痛みを感じた瞬間に《水浮月》を用いて辛うじて回避に成功した。

 危ないタイミングだった。


「ほう、ようやくわかってきたぜ。透過とは、なかなかレアな闘術じゃねえか。魔導器の方の特性か……?」


 ディグの背後で、マニが立ち上がった。


「なかなか根性のある女だ。俺の蹴りをくらって立つとはな」


 ディグが口端を吊り上げてマニへと尻目を向ける。


 ディグとの距離が開いたので、ひとまずの猶予ができた。

 残りの魔力を絞り、再びベルゼビュートを出すしかない。

 

 俺とディグが向かい合ったまま睨み合っている最中、戦地の中心に魔法陣が浮かび上がった。

 光の中より、大柄の男と、小柄な少女が現れる。


 大柄の男は、歳は四十、五十といったところだろう。

 鷲鼻に尖った顎、細く異様に長い目を持ち、まるで悪魔の様に醜悪な容貌をしている。

 纏っているローブから、灰色教団の一員であることは間違いなかった。

 男は左の手で、同時に現れた少女の肩を押さえていた。


 少女はツバの広い、薔薇飾りのついた帽子を深く被っており、目元は見えなかった。

 レースやフリルのついた、暗色の派手なドレスを纏っている。


時空魔法パラドクス……それも、中距離以上の空間転移の!?」


 時空魔法パラドクス持ちというだけでも珍しいが、移動として使うことのできる空間転移を可能とする魔術師は本当に稀である。

 軍部も欲しがってはいるが、あまり人数は集められていないだろう。

 国内で十人もいるのか怪しいところだ。

 空間転移の魔法を習得できた時点で人生が保証されると言っても過言ではない。


「オ、オルノア司教よ……祈りのため、我らに任せてくださると……」


 男が現れた瞬間、攻めに出ていたはずのディグの動きが止まり、俺から一歩退いた。

 いや、他の灰色教団の魔導器使い達も、脅えた様に固まっている。

 冒険者は劣勢だった者ばかりなようで、追撃よりも態勢を立て直し、相手の出方を窺っている者が多いようだ。


「……おお、悲しかな。信仰深きお前達に任せれば、二流冒険者共如き、簡単に打ち払ってくれるものだと信じておったというのに……。輪廻龍ウロボロス様への祈りを止め、こうして私が直々に出て来ねばならぬとは!」


 オルノア司教と呼ばれていた男は、戦地の真ん中で、ボロボロと涙を零し始め、ついには膝を突いた。

 ひと目見て、異様な男であった。

 見ていて寒気が止まらない。

 隙だらけのはずなのに、不用意に近づいてはいけないと本能が告げていた。


 傍らに立つ少女は、オルノア司教の異常な振る舞いにも一切動じず、ただそこに立ち続けている。


「愛しの導き手ターリアよ、我々はどうすればいいのです? どこへ向かえばいいのです!」


 オルノア司教はそのまま膝を突いたまま、自分の三分の一の年数も生きていないであろう少女の腰へと抱き着いた。


「お、お前が、頭目かっ! 変態野郎め!」


 一人の冒険者が、魔導剣を構えてオルノア司教へと突進した。

 ターリアと呼ばれていた少女はオルノア司教の腕から綺麗に抜けて冒険者の前に立ち、腕を奇妙な動きで回した。

 何が起こったのか、わからなかった。

 ただ、一瞬の内に冒険者の首が捩じれ、口と目から血を噴き出してその場に倒れた。

 とんでもない速度と、それ以上の剛力だった。


「気の早い奴らよ。これだから信仰なき愚図共は困るのだ。ターリアの啓示さえ、ゆっくりと聞くことができぬではないか」


 ゆっくりと、オルノア司教が立ち上がる。

 泣き顔から一転し、不気味な笑みを浮かべていた。


「遊ぶのはここまでにして……とっとと終わらせようではないか。まだまだ我らの仕事は残っている。捧げるのは、敵の心臓だけでよいのだから」

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