第三十三話 夜間の見張り

 地下四階層からは、慎重に動かなければならない。

 牙鬼オーガという魔獣がいるのだが、そいつはとにかく硬くて頑丈で、その上に剛力で、おまけに脚まで速い。

 中堅冒険者でもまず単騎で相手取ることはできないとされている。


 ……それがここ《ロマブルク地下遺跡》の地下四階層では、複数体で現れるのだ。

 例えこちらが十六人いるとしても、まず出会いたくない魔獣である。

 よくぞ四人や五人でここまで潜ろうと思える冒険者がいるものだ。


「……牙鬼オーガの特徴として、奴らは闘気の塊の様な奴らだが、魔力が極端に低い。呪痕魔法カースでもあるならば、身体能力を落としてやって殺せばよい。それでも楽に相手取れるわけではないがな……」


 チルディックは魔導剣を掲げて歩きながら、俺達へと牙鬼オーガの特徴を教えてくれた。


 チルディックの魔導剣の先には緑に輝く魔法陣が浮かんでいた。

 魔法陣の周囲には風が渦巻いており、光の中へと空気エアルが吸い込まれ、逆側より吐き出されているのがわかる。

 今、彼が《エアルラ》を使い、この地下四階層の空気エアルを浄化してくれているのだ。


 基本的に魔迷宮の地下深くに進むほど瘴気が濃くなる。

 特に地下四階層以降の瘴気は、数時間連続で吸っていれば命に関わる。

 攻略には亜物魔法マターによって空気エアルを浄化する環境士の存在が不可欠となるのだ。


「右側の通路の奥には、魔獣の気配がする。避けた方が良さそうだぜ」


 ヘイダルは《予言する短剣ギャルラホルン》を手に、チルディックに並んで先頭を進むガムドンへとそう声を掛けていた。

 ヘイダルは戦闘も熟せるが、都市ロマブルク一の感知術士でもある。

 いざとなれば俺の《オド感知》を明かす必要があるかと考えていたが、ヘイダルの方が距離も精度も上の様だ。


 これだけの数の一流冒険者が揃っているというのはやはり心強い。

 完全に役割に特化した冒険者が揃っているというだけで、どれほど動きやすくなるものなのか実感させられる。


 牙鬼オーガの気配が複数存在する道は避け、単騎の牙鬼オーガは挑発して誘い出してから囲んで攻撃し、確実に仕留めて道の先を行く。

 道中は事前の心配が嘘の様に、驚く程にスムーズだった。


 ただし、灰色教団の気配はなかなか追えずにいた。

 突入から一日近くが経過して疲弊が目立ってきたため、迷宮内の一角を用いて、見張りを交代しての四時間の仮眠を取ることとなった。


 俺やマニ、エッダが見張りに起きている間、寝ているチルディックの代わりに、シエルが《エアルラ》の浄化を必死に維持していた。

 魔迷宮内では空の色から判断することはできないので、他の冒険者に借りた懐中時計で時間を確認している。


 俺は魔迷宮の壁を背に床に座り、眠い目を擦っていた。

 懐から小瓶を取り出し、中に入っていた干した木の実を摘んで口に入れる。

 口内に軽い痺れが走り、目が冴える。


「見張り中に甘味とはな」


 通路の向かいの壁に背をあずけているエッダが、小ばかにする様に俺へと言った。

 俺は小瓶を持ち上げて軽く振った。


「これは目覚まし用だ。クラジュの実って奴でな」


 クラジュの実は煮詰めれば麻痺毒の材料にもなるが、毒抜きをしてから乾燥させれば、ちょうどいい眠気覚ましになるのだ。

 今は干したために茶色に変わっているが、元々は青緑色をしている。


「エッダも一つどうだ?」


「結構だ。ナルク部族は、魔獣が地上を歩く未開地での生活が日常であったのでな。夜の見張りなど珍しくない。もっとも、戦士でなくとも、魔獣が近づいても暢気に寝ていられる様な腑抜け者はいなかったのだがな」


 エッダは鼻を鳴らし、首を小さく左右に振った。

 いまだにマニとさほど打ち解けられていないのはそういうところだぞと、俺は内心で皮肉を零す。


「ディーン……僕、もらっていいかな? 前の日も鍛冶の依頼の都合であまりしっかりと眠っていなかったから、どうにも瞼が重くてね」


 傍らに座るマニが、口を手で隠しながら俺へと言う。


「一応この時間は、こっち側の通路は俺達三人で見ておくことになってはいるけど、寝ていてもいいんだぞ。見張りなんて、本来一人いればいいんだから。身体の不調が元で、戦闘中に思う様に身体が動かない、なんてこともあり得るんだし……」


「いいんだよ。それに……あのガムドンさんに気付かれたら事だからね。ただでさえディーンは、目を付けられているのだから。僕が眠っていたのがわかったら、何を言い始めるかわからないよ」


 マニの言葉に、俺は俯いた。

 ……そう、俺は道中で牙鬼オーガを討伐した際、闘骨の回収に反対してガムドンの反感を買ってしまったのだ。


 牙鬼オーガは凶悪な分、その闘骨には高い価値がある。

 適当に売り飛ばしても十万テミスを下回ることはまずないだろう。

 だが、牙鬼オーガは大柄で肉が硬く、闘骨を取り出すのには時間が掛かるのだ。

 ……そのため、少しでも早く目的を果たす必要がある今、牙鬼オーガの闘骨を回収するべきではないと、俺はガムドンへ言ったのだ。


 だが、聞き入れてはもらえなかった。

 そればかりかガムドンは気を悪くしたらしく、俺を罵倒して胸倉を掴み、殴り掛かってきそうな勢いであった。


 もしもヘイダルが仲裁してくれなければ、俺が殴り飛ばされるか、魔導剣に手を当てていたエッダがあのままガムドンの腕を斬り飛ばすかのどちらになっていただろう。

 しかし、それでも結局牙鬼オーガの闘骨の回収は、他の冒険者の身体を休める事にも繋がるという暴論の許に行なわれることとなってしまった。


「……悪い。ガムドンの性格を考えれば、ああなるってわかってたはずなのにな」


 俺は顔に手を当てて溜息を吐いた。


「それでも……人質の人達を、早く解放してあげたかったのだろう? 僕はディーンのそういうところが好きだよ」


「……あ、ありがとう」


「フフッ、少し照れたかい? 顔が赤くなっているよ」


 マニが楽しそうに俺の顔を覗き込んでくる。


「う、嘘を吐け、この暗がりだとわからないだろ」


「……おい、あまり私の前でべたべたとしてくれるな。見ていて不愉快だ」


 通路の向かいに座るエッダが、むすっとした表情で俺へと言った。


「ご、ごめんね、エッダさん」


 マニはエッダへと謝りながら、そっと俺から身を引いた。

 そして俺から受け取った小瓶より干したクラジュの実を取り出し、口の中へと放り込む。


「んん……! 本当に効くね、これ」


 マニが目をぎゅっと瞑り、ぶるりと身体を震わせる。

 それからくすりと、楽し気に笑った。


 エッダがその様子をやや羨まし気に眺めていた。


「気になるならほら、試してみろよ」


 俺はマニから返してもらった小瓶を手に立ち上がる。

 エッダは少し期待する様に壁から背を浮かしたが、すぐに壁へと凭れ掛かり直し、腕を組んで顔を背けた。


「……い、いらない。ナルクの戦士には不要なものだ」


「こういうのも話題の種になるんだぞ」


「そういう気遣いは私には不要だ!」


 俺とエッダが言い争いをしていると、《魔喰剣ベルゼラ》がかたかたと揺れる。


『のうっ、のう、ディーン! 妾もそれ、クラジュの実とやらを食してみたいぞ! のうっ! 干した果実は甘味が増すと聞いたことがあるぞ! 妾、試したい!』


「い、いや、これは決して食べて美味しいものではないからな!」


 俺はベルゼビュートに言いながら《魔喰剣ベルゼラ》を押さえ込む。

 マニは苦笑いを、エッダは心底呆れた顔を浮かべていた。

 ベルゼビュートの今の思念は俺にしか向けられていないはずだが、俺の様子から概ね察しているようであった。


 ふと、俺は今休眠を取っている冒険者達を見やり、それからまたマニとエッダへと目線を戻した。

 ……既にこの階層のどこかに、灰色教団達は人質と共に潜んでいるはずなのだ。

 俺が寝て起きれば、きっとすぐにでも戦いが始まることになるだろう。

 誰も……欠けなければいいのだが……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る