第二十五話 ギルドの一難
受付の方は人が殺到していて近づける雰囲気ではなかったので、休憩所の席に座り、遠巻きに様子を窺うことにした。
どうやら詰め寄っている連中は、冒険者だけではないようだ。
普段は見ない顔ぶれが多い。
それに、あまり荒事に慣れていなさそうな、魔導器も有していない人もいる。
騒いでいる内容を聞くに、夜の間に大規模な押し入り殺人と誘拐があったらしい。
加えて、都市部の方の壁に、血で描かれた
冒険者ギルドの職員がその血の落書きを流したことと、今回の事件に対する言及が一切ないことに対して不満が溢れているようだ。
……押し入り殺人と誘拐は、間違いなく灰色教団の仕業だ。
連中の目的は、軍が手に入れた《黒輝のトラペゾヘドロン》にある。
教団の一員であるブラッドの市場への襲撃に対しても軍が反応を示さなかったため、どんどん過激な手に出るようになっている。
ギルドの職員が教団の落書きを消したというが、彼らが独断でそんな真似をするわけがない。
間違いなく軍からの命令だ。
「……何をやっているんだ軍は」
魔迷宮に灰色教団が出没し始めた時点で、軍がまともに対応していればこんなことにはならなかったはずだ。
軍があまり頼りにしていい連中ではないことはわかっていたが、まさかここまで大きな問題になった灰色教団に対しても頑なに無視を貫くとは思っていなかった。
「軍の仕事は、都市の治安維持ではなかったのか?」
エッダも不快そうに口にする。
「……多分、連中と交渉したくないんだろう」
ブラッドも口にしていた通り、灰色教団の狙いは軍が入手した《黒輝のトラペゾヘドロン》の回収にある。
灰色教団は神出鬼没で、一人一人の戦闘能力が高い。
軍とて損得を考えれば、まともに戦いたい相手ではないのだろう。
それに、いざ全面戦争を切り出しても、小出しで破壊工作に出られ続ければ、都市の住民が先に音を上げることになる。
そのときに灰色教団から条件を提示されれば、連中の要求を呑まざるを得なくなる。
軍は、意地でも《黒輝のトラペゾヘドロン》を手放したくないのだと見える。
確かに、高位の魔導器を危険思想を持つ集団に渡してはいけないという考えもわかる。
しかし、ここまで全く灰色教団への対策の動きがないのはあり得ない。
聞いている限り、死傷者と行方不明者が、今わかっているだけでも二十人以上はいるのだという。
「このままあいつらを野放しにしておいていいわけがない……」
……だが、ブラッドやガザの様な魔導器使いが、灰色教団の中には何人もいるはずだ。
たかだか冒険者数人が動いて対抗できる様な相手ではない。
灰色教団に誘拐された人達を救い、この都市ロマブルクから撤退させるには、軍が動くしかないはずなのだ。
「お願いだ! 俺の妻が殺されて、娘が攫われたんだ! 何故、軍は教団に対しての発表さえ行わないんだ!」
「し、しかし、私達の方からは何もお答えすることは……」
必死に頼み込む男に対し、職員は同じ言葉を繰り返すばかりであった。
実際彼らも、何も知らされてはいないのだろう。
ギルドの入り口が開かれ、俺は何気なくそちらへ目を向けた。
入ってきたのは、プリア魔導尉だった。
いつも通り、五人の部下を連れている。
「随分と、煩わしいですね。冒険者ギルドは、我々軍の管轄下にあります。職務を妨害して騒ぎ立てる者は、懲罰の対象になりますが……わかっていて、そうしているのですか?」
目を細め、ギルドの様子を一瞥する。
あれだけ騒がしかったギルド内が一気に静まり返った。
「言われて止めるならば、最初からそうしておけばよかったのに。本当に、頭の悪い
あれだけギルドに文句を言っていた人達も、その大本であるプリアに対しては何も言わない。
当然だ。軍に目を付けられれば、何をされるかわかったものではないのだから。
混雑していたギルド内だったが、一気に人が別れ、プリア達の通る道ができる。
プリアがそこを歩こうとしたとき、前へと一人の男が飛び出した。
プリアが不機嫌そうに目を細める。
男は床の上に膝を追って座り、額を床へと着けた。
「ま、魔導尉様……! 今回の事件は、一体どうなっているのですか。烏滸がましいことを申しているのはわかっています、しかし、軍から何か……正式な知らせが欲しいのです! 非道を繰り返す灰色教団に対し、どう対処なさるおつもりなのか!」
……さっきも受け付けに詰め寄っていた、妻を殺され、娘を連れ去られた男だった。
プリアは、男の後頭部を、虫でも見るかのような目で睨んでいる。
嫌な予感がした。
咄嗟に俺は、椅子から腰を浮かしていた。
「ちょうどいいわ。何人か見せしめに連れて行った方が、後々静かになると考えていたところなのよね」
「承知致しました、プリア魔導尉殿」
プリアの部下が、頭を下げた男を囲む様に動き出した。
「少し痛めつけておいた方が、わかりやすくてよいのでは?」
一人が、腰に差した魔導剣へと手を触れる。
さすがに見ていられない。
横暴という範疇を超えている。
ここまで人目のあるところでも、ここまでやるのか。
俺は椅子を蹴って飛び出して駆けて、男の前へと立ち塞がった。
周囲の人達がざわつく。
五人の軍人と、そしてその奥に立つプリアが、動きを止めて俺を睨んでいた。
このプリアという女魔導尉……恐ろしく冷たい目をしている。
前々から感じていたことだが、目が合って痛烈に実感させられた。
『……そちは本当に、危険なところへ平然と跳び込んでくれるのう。が、この女が気分が悪かったのは妾も同意よ。任せておくがいいディーン、奴の闘術を全部引き剥がして、軍にいられなくしてやろうではないか!』
ベルゼビュートが興奮気味に言う。
……だが、それは不可能だ。
できることなら、こいつら全員ぶっ飛ばしてやりたいというのは俺も同意だ。
しかし、そんなことは不可能だ。
軍人は皆、能力の高い魔導器使いだ。
そしてプリアに至っては、ヒョードル相応の実力を持っていると見ておいた方がいい。
それだけならば、奇跡が起きれば俺にもどうにかできるかもしれない。
しかし、それ以前に、そもそも俺は軍という組織に対してあまりに無力なのだ。
この都市だけで軍人は百人近くおり、プリアと同位階の者も十人近く存在する。
この国全体で考えれば、この百倍以上の数の軍人達がいるのだ。
俺は唾を呑み込んでから、口を開く。
「ま、待ってください。例の問題は、軍にとって慎重に動かなければならないことで、今回の対応も、理由あってのことなのだとは思います。ただ、この人は、今回の事件で家族を失っているんです。全ての人にとって最善の行動を取ることが不可能なのはわかります。ですが……どうかせめて、もう少し寛大な対応をお願いします……」
俺は思ってもいない言葉を吐いて、頭を下げた。
今回の軍の行動動機は、上層部が私欲を優先し、対応を蔑ろにしている結果に決まっている。
だが、ここは頭を下げて媚び諂い、凌ぐしかない。
俺は微かに頭を上げ、相手の様子を見る。
プリアは変わらず冷たい目で、俺を睨んでいた。
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