第二十四話 新たな事件

 俺が冒険者ギルドを訪れたとき、エッダは入口すぐ横の壁に凭れ掛かっていた。

 中に入っていればよかったのに……と思ったが、恐らく、人混みの中で接触するのがエッダとしては面倒だっただろう。

 以前も、声を掛けるタイミングを窺ってうろうろとしていたくらいだ。


「よ、エッダ」


 俺が声を掛けると、エッダが壁から背を浮かせる。


「マニは……その、今日、鍛冶の客と会うらしい。……だから、できれば今日は、魔迷宮の選定くらいに留めてもらえると助かる。お前はその、出発する気満々みたいだったけど」


「そうか、鍛冶女は来られないか。とはいえ、あまり日数を開けたくはないのだがな。安全の保障された都市で緩やかに生きるというのも、確かに悪くはないのかもしれぬ。私の肌には合わぬが、理解できないことはない。しかし、この地で寝て起きて食事を摂っていると、どうにも気が鈍りそうでな」


 敢えて魔獣の生きる辺境地を移り渡るナルク部族からしてみれば、王国に安全を保障された地での生活はどこか息苦しいのかもしれない。

 それに、エッダは親族の仇である悪魔を討った後は、他のナルク部族の集りへと嫁ぐつもりだと零していた。

 精神が鈍り、ナルクの戦士として生きられなくなることを恐れているのかもしれない。

 そう考えると、切実な問題なのかもしれない。


「似合わぬ神妙な顔をするな。私は、お前の気が鈍るのが嫌なのだ。どうせまた昨日も、食すためのものを如何に飾るかという不毛なことに専心していたのであろう。その時間を型の瞑想にでも当てていれば、命を繋げられることもあるだろうに。女々しい奴だ」


 エッダが呆れ果てた様に言う。

 俺は色々と思うところもあったが、ここはぐっと堪えることにした。

 昨日エッダに剣術を教え込んでもらったところであるし、戦士たるもの常に剣のことを考えろというナルク部族の考えを否定するつもりもない。


 純粋に戦いのみを探究して生きる彼らからしてみれば、戦いを生業にしながらも、やれ食事だ、宝だ、名誉だと宣う都市部の冒険者の生き方は、ただ怠けているように映ってしまうのかもしれない。

 そっちを非難はしないが、こっちの考えも尊重しろと言うこともできるが、彼女も彼女で、頑張って都市に馴染みつつ、いずれ帰るために呑まれぬ様に生きようと懸命なのだ。


 少し離れたところにいる相手を慮る余裕もないのが冒険者業だ。

 すぐ横にいる俺くらいは理解者になってやらなければならない。


『おあいにく様のところ! 昨晩はっ! 貴様がディーンを遅くまで捕らえておったせいで! ふかし貧民芋ポアットであったがな!』


 ベルゼビュードが《魔喰剣ベルゼラ》を震わせて憤る。


「落ち着け、落ち着けベルゼビュート、貧民芋ポアットは偉大なんだぞ」


 貧民芋ポアットは確かに大味で栄養も薄い。

 身体の調子を整えてくれる力はほぼ皆無だと言っていい。

 確かに腹は膨れるが、貧民芋ポアットばかり食べていれば、身体が麻痺して上手く動かせなくなる貧民病に掛かることもあるという。

 その上、どんな味かと問われれば、土が一番近い。そのまま土とは言わないが、限りなくそれに近い味がする。


 しかし、それでも、歴史を振り返っても飢餓のときに王国を支えてくれたのは貧民芋ポアットであり、長く俺とマニの困窮生活を助けてくれていたのもまた貧民芋ポアットなのだ。

 ゴミ捨て場からでさえ地中の栄養素を掻き集めて芽吹くことのある強靭な生命力は、他の穀類とは一線を画す。

 蔓や葉も柔らかく、一応食べられないこともないのが貧民芋ポアットの美徳の一つである。


 これがなければ俺もマニもとっくに飢え死にしていただろう。

 決して俺も貧民芋ポアットの味は好きではないが、ある意味では貧民芋ポアットを愛していると言っても過言ではない。

 貧民芋ポアットは本当に偉大なのだ。味さえ除けば。

 いずれは美味しく食べられる方法を見つけたいと考えている。


『腕がぶらぶらで何もできぬ状態であったではないか! 妾のディーンであるぞ、もっと丁重に扱わんか!』


「落ち着け! お前、昨日は文句言いながらもたらふく食っていたじゃないか! な?」


 俺は震える《魔喰剣ベルゼラ》を押さえながら言う。

 ギルド前なんて人の目につくところでガタガタ動かれては、また前に遭った橙髪の男みたいに、妙な奴に目をつけられかねない。


「お前の剣も随分とやる気があるようで何よりだ。よくは知らぬが」


 エッダが他人事の様に言う。

 よく言ってくれる。


「……ともかく、他の運び屋を雇うのは避けたいんだろ? だったら今日の出発は不可能だ」


「別に私は二人でも構わないがな。以前の怪我が本調子ではないので魔獣との戦闘は極力任せたいと言っていたではないか。お前が運び屋をやり、近場で浅い層に潜ればいい」


「い、いや、それは駄目だろ……数日とはいえ、寝食を共にするわけだし!」


 男女ペアで魔迷宮探索を行い、過ちを起こす冒険者は少なくない。

 人里離れた魔獣の根城近くで寝食を共にすることで、不安や寂しさから人肌を求めてしまうせいだろう。

 それが元で一流の狩り仲間パーティーが呆気なく解散してしまうことも珍しくないのだ。

 エッダは外見だけならば美人であるし、俺も妙な間違いを起こさないとは限らない。


「くだらぬことを考えるな。安心しろ、お前がいらぬ真似をしたときは、押さえ付けて両手の人差し指を断ってやる」


 エッダが馬鹿にした様に言う。


「な、なんで人差し指……」


 具体的な箇所の指摘は止めて欲しい。

 つい想像してしまう。


「ナルク部族の掟だ。部族内で罪を犯した者は、その証として人差し指を断たれる。剣は下指三本で握るものだからな。一度目の罪はそれで許される」


 の、脳筋部族め……。

 武器が手に取れたら他はどうでもいいのか。


「二度目の罪は、全ての指を断って放逐することになっている。剣を握れない者は部族に不要だからな。しかし、現状お前以外に頼れる相手もいない。私にそれをさせてくれるなよ」


「一回目もごめんなんだけど……」


 俺は額を押さえながら、ギルドの扉を開けた。


「……立ち話はいいだろ。水でももらって、中で予定を立てよう。ただ、俺は二人で潜るのは反対だからな。それに、マニから一日待ってほしいって言われているんだ。こういうときに置いていくと、マニは意外と根に持つからな」


 ギルドの内部へ目を向けたとき、受付へと人が殺到しているのが見えた。

 外からでも普段より騒がしいのは察していたが……明らかに様子が妙だ。

 闘骨や魔核の売買や討伐依頼、というわけではなさそうだ。


「何の知らせもないってのはどういうことだ!」


「今回の件は、明らかに例の灰色教団絡みじゃないのか! 数日前に妙な男が市場で殺傷事件を起こしたらしいじゃないか! なんで軍は放置していたんだよ!」


 ……何か、また軍と灰色教団絡みで妙な事件が起きたらしい。

 軍の庁舎へ怒鳴り込めば何をされるかわからないので、軍と民間人の仲介役でもある冒険者ギルドへ矛先が向いているのだろう。

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