第二十六話 指先
プリアと睨み合い続ける。
実時間でいえばほんの一瞬のことだったのだろうが、俺には長い時間に感じていた。
ここでプリアの前に出るのが得策でないことはわかっている。
不用意に軍の目に付いたっていいことは何もない。
顔を覚えられる危険性だってあるし、最悪の場合は俺が代わりに連れていかれる可能性だってある。
だが、それでも、見ていられなかったのだ。
「貴様……プリア魔導尉殿の前を塞ぐなどどういう了見だ?」
「我々の軍務に上から目線で口出ししてくれるとは、一介の冒険者が、よくそんな偉ぶったことを言えたものだな」
プリアの前に立つ軍人が俺へと迫ってくる。
俺は目の端で、プリアに目を付けられていた男へと合図を送る。
男は小さく頷き、よろよろと立ち上がってギルドから出て行った。
『なぜ行かぬのだ、ディーン! あんな小娘、妾が少し本気を出してやれば、肉を削いで骨だけにしてやれるぞ!』
《魔喰剣ベルゼラ》が震える。
落ち着いてくれ、ベルゼビュート!
俺は魔導剣の鞘を押さえる。
七大罪王の一角だった頃のベルゼビュートならいざ知らず、今の俺のマナを基に造った《プチデモルディ》の仮初の肉体程度では、せいぜいプリア一人を相手に渡り合うのが限界だろう。
ふと、エッダが立ち上がっているのが視界に入った。
既に魔導剣の鞘に手を掛け、不安げに眉間に皺を寄せて俺を見ている。
俺は小さく首を振っておいた。
ギルド内で、それも魔導尉相手に魔導剣を抜けば、どんな状況であっても処罰されるのはこちら側になる。
「プリア魔導尉殿、どうせならば、この者を連れて行きますか? 見せしめは誰でもいいでしょう。それに、魔導器持ちの方が、旨味がある」
軍人の一人がプリアへと提案する。
……連行する際に、理由をつけて押収し、そのまま軍の備品にしようという考えかもしれない。
そういう横暴が通るのが、この都市の現状だ。
俺は身構えた。
軍人の一人が前に出ようとしたとき、プリアが彼を追い越して俺の前へと出てきた。
「今回の我々の動きは、民衆の大きな反感が予想されている。彼の言葉にも理はある。無為に反感を買う真似は避けなければならないと、マルティ魔導佐様も仰られておりました。これ以上は、ナンセンスでしょう。魔導器の一、二本のために評判を無用に落とすことはありませんよ」
「プ、プリア魔導尉殿……わかりました」
……さ、下がってくれた。
よかった、正直ここまでかと思っていた。
いくら彼らとはいえ、昼間から人気の多いギルドで無茶な真似はしないか。
俺が安堵の息を零したとき、エッダの叫び声が聞こえた。
「ディーン、防げ! その女、戦闘態勢のままだ!」
はっとして顔を上げたとき、プリアが半歩間合いを詰めていた。
右手の指を二本立てて引いている。
以前、プリアがギルド職員の女の手の甲を指で貫いていたのを思い出した。
闘気を用いた、局所的な身体の強化だ。
「ですが……それはそれとして、ただの冒険者如きに舐められたままにはしておけませんけれどね」
プリアは口角を大きく吊り上げて笑っていた。
嘘だ。この女、安堵させてから一気に叩きに出てきた。
最初から、逃がす気などなかったに違いない。狙っていたのだ。
人差し指と中指が離れ、腕が振り上げられる。
一切の迷いなく目を取りに来ている。闘気で強化された様な指でまともに突かれれば、まず失明は避けられない。
「うぐっ……」
俺は後ろに身体を倒しながら、目を手の甲で覆った。
同時に《硬絶》で強化し、エッダとの修行の感覚を思い出して、手の甲を傾け、受け流す様に斜面を作る。
「つぅっ!」
手の甲に熱が走る。
照準のズレたプリアの指先が、俺の眉間を引っ掻いた。
危なかった。少しでも遅れていれば、失明させられていたところだった。
こいつらは、白昼堂々ここまでやるのか。
プリアが目を大きく開く。
「あら……? 狙いが少し、甘かったのかしら」
プリアは確かめる様に、指をくいくいと曲げる。
俺は自身の手の甲へと目を落とす。
《硬絶》でガードして、かつ受け流したにも拘らず、易々と肉を斬られた。
受け流しの精度も甘かったのだろうが、普通に受けていれば手の甲を貫通させられていただろう。
……しかし、失明は免れられたが、事態は何も好転していない。
プリアは、俺を無傷で開放するつもりは一切ないらしい。
前に出たこと事態に後悔はないが、最悪の展開だった。
「貴様……!」
エッダがこちらへ出ようとして来る。
「来るな! 下がっていてくれ!」
ここで出てきても、騒動に巻き込まれる人数が増えるだけだ。
俺が叫ぶが、エッダは足を止めない。
が、彼女の背後から、紫髪の痩せた男が一気に前に出てきた。
エッダの肩を押さえ、滑り込む様に先に俺の目前へと立った。
「……よ、坊主、また顔を合わせたな」
「ヘ、ヘイダルさん……」
ブラッド戦で共闘することになった、都市ロマブルク内の上位冒険者、ヘイダルであった。
腰の《予言する短剣ギャラルホルン》へと手を触れていた。
エッダより先に出るため、魔導剣の闘気強化を使っていたようだ。
「あら、顔見知りでしたの」
プリアが冷めた様に目を細める。
「あ、ああ……じゃないか。ええ、プリア魔導尉殿、こいつとはその、ダチでして。見逃してやっちゃあくれませんか?」
「……貴方、私達の一員になるつもりがあるのならば、もう少しその品のない言葉遣いを正すことね。これだから冒険者上がりは好かないのよ」
プリアは小さく舌打ちを鳴らす。
「行きますよ。我々は、野犬と戯れるためにここへきたのではありませんからね」
「は、はい!」
プリアがギルドの奥へと進んでいく。
……恐らく、今回の灰色教団事件への対応について、ギルドとすり合わせておくことがあるのだろう。
「……悪いな、最初から俺が出ておくべきだったんだろう」
ヘイダルが、バツが悪そうに額を掻く。
「い、いえ、とんでもありません、危ないところを助けられました」
少し、気まずい沈黙が生じた。
「……軍に顔、利くんですね」
「例の一件で……魔導佐様の御眼鏡に適っちまったらしい。わざわざ庁舎まで呼び出されて、直接顔を合わせて来たくらいだ。俺が本気であいつを一人で倒したと思い込んじまってるのかもしれないな」
……ブラッドとの戦いで、ヘイダルは俺が軍から余計な目を付けられないように、名前を出さないでくれていたのだ。
「その、受けるんですか?」
「理由をつけて返答は待たせてあるが……正直、断ったらヤベェと思ってる。それに今みたいな借りも、これで二回目なんだ」
「…………」
冒険者からしてみれば、軍入りは夢だ。
収入は安定し、地位も生活も保障される。
何より命の危険性がぐっと減る。
だが、ヘイダル程の腕があれば、その気になればいつでもあっさりと軍入りできたはずだ。
それをしなかったということは、軍に入らず、冒険者業を続けていたかったからだろう。
俺も、このままレベルを上げることができたとしても、軍に入るつもりなどまったくない。
「すいません、俺のせいで……」
「いや、んなことはねぇよ。立派だったぜ、市場のときも、今もな。お前はいつか、すげー冒険者になるだろう。だが、この都市では目立たないようにしていろ。軍の横暴はどこでもあるが……マルティ魔導佐は最悪だ」
「……ありがとうございます」
俺は頭を下げる。
そんな俺の様子を、ヘイダルはじっと見ていた。
「何か……?」
「そう、だな……お前なら信用できるか」
ヘイダルはそう言い、周囲へと軽く目をやって、声を潜める。
「この後実は、冒険者のちょっとした集まりがあるんだが、それに参加してみないか? 駄目なら全然いいし、話を聞くだけ聞いて帰ってくれても構わないんだが」
「冒険者の、集まり……?」
少し考えて、ピンときた。
今の状況で、冒険者が隠れて集まるとなれば、一つしかない。
恐らく……灰色教団絡みだ。
まともに動こうとしない軍に代わり、一部の冒険者達が結束して対応に当たろうとしているのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます