第二十話 エッダへの頼み事
俺は都市ロマブルクの、舗装されていない地面の続く、人気のない道を歩いていた。
灰色教団のブラッドの襲撃騒動から二日が経過していた。
昨日、一昨日と丸一日ベッドにいた俺だったが、どうにか外を歩き回れるくらいには回復していた。
『のう、のう、ディーン。今日の夜は何にするのだ?』
歩いている間、ベルゼビュートがあれやこれやと忙しなく声を掛けて来る。
……まだ昼食を終えたところだというのに、ベルゼビュートは気が早い。
空を見上げれば、太陽はまだ空の真上を陣取っている。
「……それは、商店街に並んでいるものを確認してみないとわからないかな」
『むう、そんなものなのか。ディーン、できれば妾、アレがよいぞ。あの、豚の肉焼きがよい! 昨日の奴!』
「
『そう、それである!
腹回りは皮、赤身、脂身が三層になっており、肉質が柔らかく、コクと旨味が強いのだ。
この
果実の汁を用いて皮を鮮やかに色付けするのがセオリーであるが、これが綺麗にムラなくするのが意外と難しく、店でも諦めていることが珍しくない。
「安あがりだから俺は助かるが……あまり連日食べたいものでもなくないか? それにお前……せっかくだから、色んな料理を楽しんでみたいって、そう言っていたじゃないか」
『構わぬ! この妾が許してやろう!』
……気に入ってくれたのは嬉しいが、毎度同じものではちょっと作り甲斐がないな。
それにあれは、結構時間が掛かる上に手が疲れるのだ。
「手頃な
『のう、ディーン。先に商店街に行かんか? 先に! 一度戻って、マニに食材だけ預けてから、またこっちの方まで来ればよいではないか! その手頃な
「凄い二度手間にならないか、それ……?」
そう、今日は買い物の他に目的があるのだ。
古い大きな建物を曲がる。
その先に、エッダの姿が見えた。
この近辺にエッダの泊まっている宿があり、彼女はよくこの周辺で剣の訓練をしていると聞いていた。
今日は少しエッダに頼みたいことがあったのだ。
彼女は見えない敵と戦っているかの様に魔導剣を振るう。
敵の剣を受け、弾いたのがわかった。
下がり、攻め、跳び、躱す。
まるで舞っているかのような、綺麗な動きだった。
剣舞、という奴だろう。
息をするのも忘れて見入っていた。
俺にはこんな速くて正確な動きはできない。
最後に相手の剣を防ぐ動作を取り、そのまま綺麗に攻撃に転じ、宙を剣で斬った。
その後、大仰な動きで魔導剣を鞘へと戻し、俺へと目を向ける。
「お疲れ、格好良かったぞ」
「ナルク部族の剣は見世物や芸の様な、気安いものではない」
エッダが俺をやや目線から外し、冷淡な声で言う。
「わ、悪い……」
……あ、呆れさせてしまっただろうか。
どうにもナルク部族は、実利主義というか、遊びや飾りを嫌うところがあるのかもしれない。
「……まぁ、そこまでお前が気に入ったのならば、また別の型を見せてやらぬこともないが」
エッダは俺へと視線を戻さぬまま、小さめの声でそう呟く。
口角が僅かに得意気に上がっていた。
……こいつ、褒められ慣れていない子供か。
最近わかったことがある。
エッダは無表情なのではない。
ただ、機嫌がいいときの顔や態度を人に見せたがらないのだ。
俺がじっと口許を見つめていると、目線に気が付いたのか手で口を隠し、眉間に深く皺を寄せて俺を睨む。
俺は繕う様に目線を逸らした。
「……エ、エッダの怪我は、もう大丈夫そうだな。安心したよ」
「一昨日顔を合わせたときにはほとんど完治していた。あんなものは大した怪我ではない」
「大した怪我ではない……そ、そうか」
……ガザの鎌に、それなりに深く抉られていたと思うのだが……。
「お前も既に復帰できそうだな。鍛冶娘の騒ぎようを見たときには少し心配させられたぞ。お前にはまだ二十万テミスを貸したままなのでな」
エッダが口許に笑みを浮かべる。
……そう、俺はマニの《悪鬼の戦槌ガドラス》の制作費用を用意するために、エッダに対して二十五万テミスの負債を負っていた。
一昨日五万テミスを返済したが、まだまだ残りの額は多い。
「い、いや、まだ本調子じゃなくてな。ただ、これ以上倒れていたら、身体が鈍ってしまう。そうなったら死活問題だからな」
「それだけ動ければ大丈夫だ。明日にでも魔迷宮へ向かうぞ。私はそろそろ戦いが恋しくなってきた」
「き、厳しい……」
「私は他に組む当てもないのでな。お前には、身体を引き摺ってでもついてきてもらうぞ。ちょうど貸しを作っておいてよかった。まさか、断りはせんだろうな?」
エッダが嗜虐的な笑みを俺へと見せる。
こ、こういうときだけ、俺にいい顔を見せてくれやがる。
「わかったよ……その代わりに、お手柔らかに頼むぞ。俺は、補佐寄りで動かせてもらう。それに、マニの鍛冶屋の方の仕事がどうなっているかも、確認しないと何とも言えないからな」
俺は頭を押さえながら言う。
……これは多少無理をしてでも、とっとと二十万テミス分の余裕を作って返済しなければならない。
『ディーンも大変であるのう。またマニの小娘から借りて返しておくのか?』
ベルゼビュートの楽し気な笑い声が聞こえて来る。
さすがにマニへのプレゼントのための負債であったので、これをマニから借りて埋めるわけにはいかない。
絶対にいかない。
「……悪いけど、削るなら真っ先に食費から落とすことになるからな。しばらく
『なな、なんであるとうっ!? ディッ、ディーン! そちは、妾のことは大切ではないのか!?』
《魔喰剣ベルゼラ》がガチャガチャと揺れる。
こ、こいつ、ここまで動けたのか!?
「…………」
エッダはじっと《魔喰剣ベルゼラ》を見ていた。
彼女は基本的に表に出る感情が薄いため、表情から読み取り辛いのだが……顔には、やや嫌悪がある様に見えた。
俺と目が合うと、すぐに逸らして表情を平常通りへと戻した。
なんだ、今の顔は? 単に、《魔喰剣ベルゼラ》が震えているのが不気味だった、というだけではなかったように思える。
……ベルゼビュートの凶悪すぎる力に対し、何か思うところがあるのだろうか?
「それで……ディーン、何か用事があったのではないのか? それとも、ただ私と世間話がしたかったのか?」
エッダは先程の自分の目線を誤魔化す様に、そう口にした。
「あ、ああ、少し頼み事があってな」
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