第十八話 灰色教団の思惑

 ヘイダルは戦闘でかなり消耗したらしく、建物の壁を背にしゃがみ込み、息を荒げていた。


「魔獣みたいな馬鹿力しやがって……俺は、感知術師が本分なんだよ。荒っぽいのは向いてねぇっつうのに」


 目を押さえながらヘイダルが呟く。

 やはり《予言する短剣ギャラルホルン》の未来予知は、眼球に大きな負荷をかけるらしい。


「ディーン、大丈夫かい? 立てる?」


「……少し、厳しいかも」


 マニの肩を借り、俺はどうにか立ち上がることができた。


「悪い、マニ、巻き込んだ」


 俺が言うと、マニは寂し気に目を細める。


「……あんまり僕を、不安にさせないでおくれよ。さっきだって、凄く、怖かったんだ。今度こそ、ディーンが死んじゃうんじゃないかって」


「……悪い」


 俺は逃げずに飛び出した自分の判断を、間違っていたとは思わない。

 きっと、俺が出なければヘイダルは殺され、逃げ遅れた他の街の人達にも多くの被害が出ていたはずだ。


 ……しかし、マニの言いたいことも、痛いほどわかる。

 マニが飛び出して来てくれて助けられたのだが、もしブラッドの刃が彼女に到達していたらと思うと、今でも怖くて仕方がない。

 同じように、マニも俺が飛び出したときは不安だったことだろう。


「……もっと、強くならないとな」


 俺は呟く。


 ベルゼビュートは強い。

 だが、俺は彼女の力に見合う様な冒険者ではない。


 冒険者にとっていざという瞬間は、いつ訪れるかはわからない。

 俺がヒョードルやガザから襲われた様に、魔迷宮深くで冒険者崩れの犯罪者から襲撃を受けることも、決して珍しいことではない。

 そのとき力不足で殺されました、では敵わない。

 ましてや、俺の憧れた剣聖ザリオスの生き様は、並の冒険者よりも遥かに苦難の道だ。


 マニに肩を抱えられる俺へと、ヘイダルが歩み寄ってきた。

 負傷のせいか青い顔をしていた。俺の頭へとぬっと手を伸ばし、唐突に髪を掻き乱した。


「うわっつ!」


「よくやったぜ、坊主。俺だけだったら、間違いなくやられていた」


 ヘイダルが俺へと言い、やや苦し気な顔に笑みを作った。


「す、すいません! ディーンは重傷ですから! 今、そういうことは止めてください!」


 マニが俺を庇う様に頭部を抱え、前に出る。

 ヘイダルがバツの悪さを誤魔化す様に笑った後、声量を落とす。


「……だが、すぐに掃けた方がいい。手柄を横取りしようってつもりじゃねぇが、お前みたいな奴は、軍や、冒険者の燻ってる様なクズから的にされるぜ。どうせ軍は、報酬も出しちゃあくれねぇだろうよ」


「ありがとうございます、ヘイダルさん」


 俺はヘイダルへと頭を下げる。

 逃げている最中の人や、離れたところから様子を窺っていた人もいただろうが……遠巻きに見ている限りは、俺はせいぜい時間稼ぎをしているようにしか見えなかったはずだ。

 それに、それにしたって少数だ。

 そして、実際のところ、最終的な決定打を与えたのはヘイダルなのだ。


 少し経ってから、遅れて騒ぎを聞きつけた冒険者が駆けつけてきた。

 既に安全と知れているのか、ぽつぽつと野次馬が増え始める。


「ヘイダルが倒したのか? よくやった!」


「さすがこの都市の最強狩り仲間パーティーの一人だ!」


 ヘイダルが他の冒険者達から囲まれ、賞賛を受けていた。


「馬鹿みたいに騒いでる暇があったら、とっとと軍の本物の馬鹿共を呼んで来い。あいつらはいつになったら来るんだ?」


 ヘイダルは煩わしそうにそれに答えていた。

 彼は注目を受ける様に振る舞ってくれている様だった。

 俺とマニは、集まってくる人混みの合間を潜り、上手くその場から離れることができた。

 

 マニに連れられて歩きながら、俺は考える。


 今回の灰色教団の狙いは恐らく……軍と交渉するための、下準備だったのだろう。

 連中が軍の保有している《黒光のトラペゾヘドロン》なる魔導器に執着していることは明らかだ。

 教団名を公言してから破壊工作を引き起こせば、軍には都市を守るという建前がある以上、今後の灰色教団からの脅しに逆らい辛くなる。


 もしかすると、《ロマブルク地下遺跡》で遭遇したガザも、その一環だったのかもしれない。

 あの儀式の跡は灰色教団が殺したという何よりの表明になる上に、残虐性が恐怖を広げて被害は実害より何倍も大きく見えてしまう。


 そうして最終的な狙いは、軍との交渉によって《黒光のトラペゾヘドロン》を入手することだろう。

 灰色教団は、狂気を演じている割には理性的だ。


 俺が地面へと目線を落として考えごとを続けていると、唐突にマニが足を止めた。

 

「どうした、マニ……」


「お疲れ様だネェ。いやはや、素晴らしかったヨ、ディーン君」


 不規則な、からかう様な拍手が聞こえ、俺は顔を上げる。

 以前冒険者ギルドで顔を合わせた、橙髪の片目を隠した男だった。


「……すいません、急いでいるので、退いてもらってもいいでしょうか?」


 マニが男を睨む。

 男はわざとらしく両腕を動かし、首を振った。


「釣れないネェ、せっかく褒めてあげているっていうのに。寂しいじゃないか」


「いつから、見ていたんですか?」


 俺はつい、男へと尋ねた。


「最初から見ていたヨ? 結構近くにいたんだけれど、誰も気が付いていなかったのかナ? 寂しいネェ」


 ……本当に魔法で隠れて見ていたのなら、あの状況でわざと手出しせずに突っ立っていたことになる。

 嘘なのか本当なのかはわからないが、尋ねる気にもなれなかった。

 仮に嘘だとしても、こんな冗談を口にした時点で、あまり関わって愉快な人物には思えない。


「……行こう、マニ」


「う、うん」


 俺の言葉にマニは小さく頷き、橙髪の男へと頭を下げて彼の横をすれ違った。


「ナルク部族の娘は元気かナ? 随分と怪我をしたそうじゃないか」


「っ! なんで、お前がそんなことを気にする!」


 俺は思わず声を荒げ、男を振り返った。

 男はからかう様に笑い、毛先を指で弄る。


 こいつ、俺の周辺を嗅ぎ回っているのか?

 どういうつもりで口にしたのか、まったく意図が掴めない。


「ンン、ほら、実は彼女、私の友人の身内でネ」


 男の話はあり得ない。

 エッダの親族は悪魔に滅ぼされている。

 このことは、彼女自身が口にしていたことだ。

 知らなかったのか、知っていて嘲弄するために口にしているのかはわからないが、どちらにせよ気分が悪い。


 再度足を止めたマニを、俺は目で急かす。


「……行こう」


 とにかく不愉快で不気味な奴で、これ以上話をしていたくはなかった。


「ディーン君がその意志を曲げないでいる限り、いつかまたどこかで、私達は顔を合わせることになるだろうネ。私としては、そうなることを深く、心より願っているヨ」


 最後にそう言って男が笑う。

 少し歩いて振り返ったとき、彼の姿は既に見えなくなっていた。


「ディーンの名前、知っていたね。あの後、どこかで顔を合わせたのかい?」


 マニが不安そうに俺へと尋ねる。

 俺は首を振るう。


「……いや、マニといるときに顔を合わせた、あの一回きりのはずだ」


 ……ベルゼビュートの魔核に気が付いているのだろうか?

 もしかしたら灰色教団の一味で、ガザとブラッドの殺害に関与した俺に目を付けている可能性だってある。


「……荷物、僕が隠れていたところに置いてあるんだ。それを回収して、とっとと帰ることにしよう」


 マニが暗い空気を除こうとするかの様に、微笑んでそう口にした。

 ただ、俺はどうにもあの橙髪の男のことが気に掛かり、もう一度背後を振り返った。

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