第十五話 ブラッド
ブラッドの宣言を聞き、商店街のざわめきが強くなる。
「灰色教団だと? こんな街中の、まだ明るい時間に、一人で出て来るかよ」
「おい、魔導器まで構えたら、もう冗談じゃ済まねえぞ!」
ブラッドが背負っていた大鉈を手に取って構えた。
「《シャドウゲート》!」
ブラッドの足許に魔方陣の輝きが広がり、地面に吸い込まれる様に消えた。
いや、恐らく影に吸い込まれたのだ。
ブラッドが消えても、影だけはその場に残っていた。
時間と空間を操る、
それも、自身を別空間に逃がすものとなると、それなりに高位の魔法になるはずだ。
本人の魔法の腕もそうだが、あの魔導器もかなりの代物だ。
……しかし、ここで影に閉じこもって、何をするつもりなのか……と考えていると、唐突に影が高速で動き、屋根を這って壁へを降りるのが見えた。
目前の光景に理解が追いつかなかった。
俺も、呆然と目で追いながら、ただ立っていることしかできなかった。
嫌な予感がしたのは、その影が人の集まりに降りて来てからだった。
「お、おい、なんだよ、これ」
誰かの呟きが漏れたのと、影からブラッドが浮かび上がってきたのは同時だった。
勢いよく振られた大鉈が、その重量を感じさせない豪速で振るわれ、周囲に立っていた無防備な四人を狙う。
「粛清だ」
ブラッドの無表情な顔が、口許だけで僅かに笑みを作った。
肉が抉れ、血が舞う。
一瞬にして辺りを静寂が包む。
そして次の瞬間、阿鼻叫喚となった。
「あ、あ、ああ……」
腹を深く裂かれた一人が、助けを求めるように周囲へと手を伸ばす。
「ふむ、一人仕損じたか」
ブラッドの大鉈が、淡々とその首を刎ねた。
目前の光景が信じられない。
灰色教団の奴らが、同じ人間だと思えない。
ガザにしろ、ブラッドにしろ、なぜ、ああも平然と、邪魔な虫でも潰すかのように、人間を殺すことができるのか。
ブラッドが次に大鉈を振り上げたとき、近くにいた冒険者が短剣を抜いてブラッドへと斬りかかった。
ブラッドは振り下ろすはずの大鉈を防御に回し、刃を弾く。
「いい加減にしておけよ、イカレ野郎」
痩せぎすだが長身の、だらしなく伸ばされた印象の紫紺色の髪の男だった。
見覚えがある。
ヒョードルと並び、この都市ロマブルクの中では最強格とされている冒険者、ヘイダルである。
魔獣の角から造られた刀身を持つ魔導器、《予言する短剣ギャラルホルン》を扱う感知術師でありながら、剣士としても一流の腕を持つ。
「動きも鈍い、力も弱い。おまけにそんな細身の剣で、我が刃をまともに受けられるとでも?」
ブラッドは大鉈で力押ししようとするが、ヘイダルは彼が構える刹那を狙って刃を突いて防御に回らせ、攻撃に徹させない。
絶妙なタイミングでの攻撃だった。
確かにブラッドに比べれば動きはさほど速くはないのかもしれないが、技量では完全に彼を凌いでいる。
まるで、ブラッドの動きを事前に知っているかのような先読みだった。
「はぁっ!」
焦れたブラッドが強引に大振りを放った後、首を大きく横に倒し、背後へ跳んだ。
掠めた《予言する短剣ギャラルホルン》の刃が、ブラッドの頬に傷を作っていた。
「悪い、風切り音で声が聞こえなかった。んで、誰が鈍いんだ?」
ブラッドの眉間に皺が寄る。
俺はギルバードへと近付き、彼へと声を掛けた。
ブラッドは強い。
動きから察するに、下手したらガザよりもレベルが高い。
ヘイダルも強いが、彼の本分は感知術師である。
事実、戦いでは押せているように見えているが、速度とパワーで劣る分、決定打が足りない。
効果的な攻撃魔法が隠し玉にある、というのもあまり期待はできない。
「ギルバード、俺達も加勢するぞ。お前の《
「ふ、ふざけるなよ! バカも休み休み言え!」
逃げようとするギルバードの手首を、俺は掴んだ。
「頼む! 離れたところからでいいんだ! 俺はヘイダルさんに並んで前に立つから、後衛を頼む!危ないと思ったら、逃げてくれたっていい!」
ギルバードは【Lv:18】だ。
それに《
「知ったことか! あんな奴の前に出て行ったって、無意味に死ぬだけだろうが! 私に何の得がある!」
ギルバードは俺の手首を振り解き、走って逃げだした。
その気になれば闘気で対抗して強引に掴むこともできだが、それをするつもりにはなれなかった。
ギルバードの背を少し眺めていたが、その時間も今は惜しい。
俺はすぐブラッドとヘイダルが交戦している様子へと目を向け、《魔喰剣ベルゼラ》を抜いた。
周囲を見るが、他に魔導器を手にしている人間はいなかった。
荷物をその場に落として歩こうとしたとき、マニに腕を掴まれた。
「……マニ?」
マニが首を振る。
「魔迷宮の時とは、状況が違う。あの男が狙っているのは、わかりやすい被害をこの場で作ることだ。だからわかりやすく宣言までしたし、ヘイダルが出て来たことに酷く苛立っている。狂っている様には見えるけれど、狙い自体は凄く冷静だ。冒険者を狙うつもりはないんだ。だから、僕達は逃げられる」
「……逃げろって、そう言うつもりか?」
「そうだよ。周りを見てくれ、これだけ人が集まっていて、冒険者が僕らしかいなかったわけがない。タブーなんだ。ひと目のあるところで、軍の様に後ろ盾もない冒険者が、本気で殺し合いをするっていうのは。手の内が筒抜けになってしまう。特にキミは、それをするべきじゃない」
……ブラッドが夕暮れに襲撃を掛けたのも、そこまで見越してのことだったのかもしれない。
魔導器使いが先に逃げたところで一般人を殺して回り、軍の連中が来れば《シャドウゲート》で逃走する。
都市における冒険者の弱さを突いた策だ。
特に、俺の《魔喰剣ベルゼラ》は、絶対に情報を外に漏らしてはいけない魔導器だ。
詳細を知れば、ヒョードルの様に力づくで奪おうとする者がきっと現れるだろう。
そいつはもしかしたらヒョードル以上の力を持ち、彼より更に狡猾で危険な奴かもしれない。
軍だって、きっと放っておきはしない。
「ああ、わかっている。もしかしたら、厄介なことになるかもしれない」
だが、それでも、ここで俺も下がってしまったら、仮にヘイダルが敗れた後はこの場で虐殺が始まってしまう。
「だったら!」
「俺の母親が、魔迷宮から溢れた魔獣に襲われたときも、ちょうどこんな空気だったんだ」
軍も遅かった。
冒険者も、わざわざ助けてくれるような人はいなかった。
「だからこそ、他の人間が逃げても、俺だけは逃げたくないんだ」
逃げている人の中には、当時の俺と近い歳の子供もいた。
母親に手を引かれている。
俺は少しその姿を目で追った後、《魔喰剣ベルゼラ》を握る手に力を込める。
俺はマニの手をそっと外し、ブラッドへと向かって再度走り始めた。
「ディーン!」
マニが俺を呼ぶ。
「できるだけ遠くまで逃げてくれ! ……近くに残られると、戦いに集中できない」
俺はマニへと言った。
キツい言い方になってしまったが、彼女にはっきりと伝えておく必要があった。
ブラッドは、恐らくガザの様な便利な中距離攻撃用の闘術や魔法を持っていない。
持っているのならば、既に逃げる者達へ使っているはずだからだ。
そこまではいい。
問題なのは……恐らく、マニも同じことを考えていることだ。
マニはガザのときは近づくことさえ難しいと判断して早々に諦めてくれたが、今回は気を引くことができるかもしれないと、そう考えて出て来る可能性があった。
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