第四話 黒輝のトラペゾヘドロン

 マニが新たな魔導槌悪鬼の戦槌ガドラスを手にした翌日、俺は彼女と共に冒険者ギルドを訪れていた。

 エッダにも既に話を通してあり、ギルド内で合流し、三人で潜る魔迷宮の選定を行うという話になっている。


 マニと待ち合い用の席に座り、近隣の魔迷宮の地図を見比べていた。


「せっかく採掘師がいるんだから、やっぱり鉱石が美味しいところがいいんだけどな……。それでいて、とりあえずは安全性重視で、気軽に行けるところと考えたら、《ロマブルク地下遺跡》か……」


 俺は二枚の紙を手に、考えていることを口に出して整理する。

 二枚の紙は、魔迷宮内で採取できる鉱石や魔獣の闘骨の暫定価格表と、魔迷宮内で生じた盗賊騒動や変わった魔獣の目撃証言の纏めである。

 前者は冒険者ギルドの受付で、後者は貧民街にある情報屋で購入したものだ。


『安全性など、何を惚けたことを言っておる! この妾がおるのだぞ? 環境士を雇って、地下深くまであるどこぞの魔迷宮へと向かえばよいではないか! 地下八階層でも、十階層でも潜ってやればよいのだ! そうして闘骨も魔核もざっくざく、ディーンの懐も温まり、妾の食も満たされる!』


 ベルゼビュートが思念を用いて声を掛けて来る。


「いや……この辺りにある魔迷宮に、そんな深くまであるところはないからな?」


 魔迷宮は地下深くほど凶悪な魔獣が潜んでいる傾向にあるが、地下六階層へ潜ろうと思えば、俺とエッダが二人掛かりで奇跡的に倒せたヒョードルクラスの冒険者が、最低でも四人は必要になるレベルだ。

 それも内二人は十分に戦える一流の感知士と環境士であることが必須である。

 とてもではないが、俺とマニとエッダの三人で潜れるものではない。


 俺はふと顔を上げ、周囲を見回す。


「……エッダの奴、遅いな」


 ふと、少し離れたところで壁に凭れ掛かり、こちらを見ているエッダの姿があった。

 足と腕を組み、いつもの無表情で佇んでいる。

 こうして見ていると彼女の幻想的な銀髪と合わさりミステリアスな雰囲気を醸し出しているが、中身の知っている俺からしてみれば美人の無駄遣いの仏頂面にしか思えない。


 確かにこっちに気が付いていると思ったのだが、さっと視線を逸らして素知らぬ振りをされた。

 ……何をやっているんだあいつは。


「ちょっと俺、声掛けてみる」


 俺は席を立とうとしたとき、入口の方から一人の女が入ってきた。

 俺はなんとなくそいつに目を向け、足を止めた。

 俺だけではない。

 その場に居合わせた冒険者達が、何かを察したかのように段々と静かになっていく。


 その女は、暗色に金を合わせた物々しい軍服を纏っていた。

 肩には見慣れた黒獅子マンティコアの紋章が入っている。

 彼女に続き、色違いの軍服を纏う五人組が入ってきた。


 魔導尉と、その部下に当たる一般兵だ。

 俺は静かに席へと腰を下ろした。


 まさかヒョードルの一件の関連だろうか。

 俺とエッダは、あの場で魔導尉の一人であるカンヴィアに顔を見られている。


 魔導尉の女は、自身の青い髪へと手を触れ、はぁと溜息を吐く。

 神経質そうな目付きの、化粧の濃い女だった。

 唇は艶やかな赤が目立ち、目には派手な色彩のアイラインが引かれている。


「相変わらずここは、薄汚いところですね」


「はは、仕方ありませんよプリア魔導尉殿。何せここは【Lv:20】程度のクズ共の集まるところですからな。相応の場所になるというものです」


「プリア魔導尉殿のお目を汚すわけにはいきますまい。すぐに用件を済ませましょう」


 プリアと呼ばれる女が鬱陶しそうに言うと、取り巻きの部下達が下品に笑いながら追従する。


 彼女達が歩くだけで、何も言わずとも列が裂け、道ができた。

 その気持ちはわかる。

 荒くれ者の冒険者達も、連中からは目をつけられたくないのだ。

 俺も上げた腰を下ろしていたくらいだ。


 軍の人間と一冒険者では、それくらい権威、魔導器使いとしての力に差がある。

 彼らの思惑一つで冒険者なんて吹いて飛ばされるような存在なのだ。


「な、なぜ、魔導尉様がこちらへ……」


 受付嬢が困惑した顔で応対していた。


「村から、気味の悪い魔導器が届いていたでしょう? アレは、早急に私達の方で管理することになりましたので、そちらをいただきに来たのですよ。これが、マルティ魔導佐様からの書類です」


「ま、魔導器……ですか? いえ、その様なものは……」


「…………」


 プリアは苛立った様に目を細めると、はぁと溜息を零す。

 それから自然な手つきで受付嬢の手を取り、彼女の手をそっと机の上へと置いた。


「えっ……」


 プリアの手の指が、受付嬢の手の甲を貫通し、机に磔にした。


「きっ、キャアアアアッ!」


 受付嬢が激痛に叫ぶ。


 俺は自身の顔が強張るのを感じた。

 プリアの指は、骨を避けていなかった。

 あれでは、傷が塞がってもまともに指を動かすこともできない。


「ブスの叫び声ね」


 プリアは淡々と引き抜き、後方へと自身の指を向ける。

 彼女の部下がその場に膝を突き、彼女の指を布で拭き取る。


 すぐに別の職員が駆けつけて来る。


「も、申し訳ございません! 彼女は新人でして、私達の教育が行き届かないばかりに……! おら、お前も謝るんだよ! 頭を下げろ!」


「も、申し訳ございません! 申し訳ございません!」


 受付嬢が他の職員の男に頭を押さえられ、プリアへと何度も頭を垂れる。

 当のプリアの関心は既に彼女にはないらしく、退屈そうに溜息を吐いていた。


「こっちに届いているはずでしょう。例の、《黒光のトラペゾヘドロン》……そう、黒い宝石よ」


「は、はい! 心当たりがあります。軍の方で、今後は預かっていただけるということになっているのですね。ええ、すぐにお持ち致します!」


 職員の男が慌てて奥へと走り、すぐに赤い小さな箱を持って戻ってくる。


「こっ、こちらでございます。危険な品かもしれないと聞いておりますので、お気を付けください……」


「ん、ご苦労さん」


 プリアは箱を受け取ると、横に立つ部下へと渡す。


「確認しなさい」


「はっ!」


 箱を手に取った男は、慎重にそれを開いた。

 中身は、俺の位置からは見えなかった。

 男は腰に差した短い魔導剣を抜く。


「《イム》! ……話に聞いていたとおり、名称以外はわかりませぬが、本物で間違いないかと」


「そう、では戻りましょうか。マルティ魔導佐様もお待ちですからね」


 プリアが身を翻す。


「おい、貴様ら、見世物ではないぞ!」


 プリアの部下が周囲を威圧すると、皆一斉に顔を背けていく。

 ……俺も、その内の一人であった。


 軍の連中がギルドを出て行ってから、ようやくぽつりぽつりと喧騒を取り戻していく。


「……いつものことだけれど、嫌な感じだね」


 マニが呟く。


「……本当に、胸糞の悪い連中だよ。なんだったんだろうな、トラペゾなんとかだとか、口にしていたけど」


 俺がマニに返事をしたとき、背後から近づいて来る足音があった。


「エッダか。おい、なんでお前さっき……!」


 エッダかと思って振り返ると……知らない背の高い男だった。


 年齢を感じさせない顔つきだが、三十代くらい、だろうか。

 橙の髪を前へ流す様な髪型をしており、左目を隠していた。

 整った顔をしていたが、なんというか、見る者を不安にさせる様な、そんな妖しさがあった。


「トラペゾヘドロン……《黒光のトラペゾヘドロン》だヨ。なに、宝石型の魔導器でネ。私も耳にしたことがある。偶然なんだけどネ」

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