第四十三話 戦いの終わり

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を持つ手を降ろす。


「エッダ、無事か!」


 俺は倒れているエッダを起こそうとし、手を払われた。


「……一人で立てる、気安く触るな」


 エッダは口許の血を腕で拭い、立ち上がる。

 だが、やはりヒョードルから受けた殴打がかなり堪えているらしく、壁に手をついて息を荒くしていた。

 無理が利く様には到底見えない。


「……殺せ、俺の負けだ」


 倒れていたヒョードルが、小さな声で呟く。

 俺はヒョードルへと目をやる。


「ヒョードル……」


「どうした? 俺はまだ生きているぞ。この瞬間にも、闘術や隠した魔導器で、今も隙を窺っているとしたらどうする?」


 ヒョードルが細めていた目を開き、邪悪な笑みを作る。

 脳裏に、冒険者についてあれこれと教えてくれたヒョードルの姿が過ぎり、視界が目から溢れた涙に歪んだ。


 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を握る手に力を入れたが、すぐに緩めてしまった。

 力も入らないほどに疲弊していたのか……それとも、それ以外の要因があったのかはわからない。


『ディーン、こやつは危険過ぎるぞ! 貴様らが勝てたのは、運がよかったからに過ぎぬ! 早くトドメを刺してしまうのだ!』


 ベルゼビュートが俺に忠告する。


「忘れたか? 一度でも敵対したものに情をくれてやるのは相手が死んでからでいいと、そう言ったはずだ」


 俺は今度こそ、《魔喰剣ベルゼラ》を強く握り直す。


「……お前がどんな思いで、俺に近づいていたのかは知らない。それでも、お前から教わったことのお陰で、運び屋としての探索の中で死を逃れたことが何度かあった。そのことだけは、礼を言っておく」


 だからこいつを逃す、という話ではない。

 ヒョードルは最悪の冒険者殺し、《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》だった。


 だから、俺が述べたのは、ただの事実であり、それに対しての礼に過ぎない。

 ヒョードルのお陰で、俺があの最悪の生活の中を生きながらえたことには、間違いはない。


 俺は涙を拭ってから、ヒョードルに刃を向けた。


「……そうだ、それでいい」


 ヒョードルの顔から笑みが失せた。


「お前は剣聖ザリオスの英雄譚に憧れていたな? 俺はあの話が、反吐が出る程大嫌いだ。お前は少しだけ、俺に似ていた。いつか現実を知る。この腐った国で、本物の英雄など生まれるはずがない。綺麗な絵空事など、所詮は御伽話の中の夢だと知るだろう。せめてそのときまでは、せいぜいあの鍛冶屋の娘と暢気に笑っているがいい」


 俺が《魔喰剣ベルゼラ》を振り下ろしたそのとき、唐突に飛来してきた炎弾が、俺のすぐ側で破裂した。


「なっ!」


 俺は慌てて《魔喰剣ベルゼラ》を構え、炎弾が放たれた方へと向ける。

 壁に凭れ掛かっていたエッダも、すぐに魔導剣を構え直し、俺の横に並ぶ。


 ……もう、闘気も魔力も残っていない。

 無事に魔迷宮の外に出られるかも怪しい状態であったのに、まさかここに来て新手が来るとは思わなかった。


「おお、怖い怖い……貴様らは今、王国の権威に剣を向けていると理解しているか?」


 六人の男が立っていた。

 内五人はベージュを基調とした衣装を、先頭に立つ中年の男は灰色の衣装を纏っていた。

 金の刺繍に、肩に入った黒獅子マンティコアの紋章。

 軍の魔導器使いだった。


 階級により、軍服の色が異なる。

 ベージュは一般兵の、灰色は魔導尉のものだ。

 階級が高いほどに黒に近づく。


「俺はカンヴィア魔導尉だ。ヒョードルゥ、貴様を捕らえに来たと言えばわかるな?」


 カンヴィアと名乗った魔導尉は、口髭の目立つ、横柄な印象の男だった。

 軍人達がヒョードルへと寄り、目線で俺達に退く様に命じる。

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を持つ手を下げ、その場から退いた。


「……タイミングが良すぎる。既に、俺に疑いをかけていたわけか」


「疑いィ? 馬鹿言っちゃいかんよ。マルティ魔導佐は、とっくにお前に目をつけていたんだよ。貴様が、オドと私財を貯め込んでくれるのを待っていたわけだ! ハハハハハ! 俺達が直接冒険者にちょっかいを出すと、煩い連中がいるからな。貴様が強奪したものを、我々が正義の下に押収するわけだ。どんな気持ちだ、ヒョードルゥ? なぁ、俺に聞かせてくれよ?」


 カンヴィアが下品に笑う。


「カンヴィア魔導尉殿、民間人もおりますので……」


「細かいことを気にする、なんなら殺しちまえばいいだろう? 《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》のせいになるだけだ」


 俺は咄嗟に下げた《魔喰剣ベルゼラ》を構え直し、カンヴィアを睨んだ。


「熱くなるなよ……クク、冗談だろう? ヒョードルの貯め込んだ魔導器があるのに、木っ端冒険者のゴミが二本増えて何になるというのだ。そもそも、貴様ら死に体が、この俺に敵うとでも?」


 カンヴィアは俺達に関心はないらしく、部下達の方を向いた。


「これで魔導佐様からこの俺への評価が上がるわい。おい、とっととこのクズから魔導器を全部取り上げて連れ出せ。この俺をあまり待たせてくれるんじゃあないぞ」


 カンヴィアがヒョードルの頭を踏みつける。


「お前!」


 俺が前に出るのを、エッダの魔導剣の刃が行く手を阻んだ。


「……熱くなりすぎるな。あの男は、ただの犯罪者だ。お前の恩人でも、なんでもないだろう」


「なんだ? 俺は今、気分がとてもいい。だから見逃してやっているんだ。死にたいなら殺してやる。だが、俺の呪痕魔法カースを受けて、人の姿で死ねると思うなよ?」


 カンヴィアが口端を吊り上げて笑う。

 あっという間にヒョードルは取り囲んで押さえられ、地面に落ちていた《悪夢への誘いハーヴェル》も回収された。

 カンヴィア達は俺達を無視し、出口の方へと向かっていく。


「だが、まさかヒョードルがこんな木っ端共に敗れる雑魚だったとはな。これでは、オドの方も大したものではないかもしれん」


「……ソラスの横槍さえなければ、俺があんなゴミ共相手に後れを取りはしなかった。お前らも返り討ちにしてやれたんだがな」


「俺の許可なく喋るんじゃねえぞ、雑魚のゴミクズが!」


 カンヴィアがヒョードルの顔面を殴打する。

 俺とエッダは、連中が去るまでその背中をただじっと睨んでいた。


 軍の連中が見えなくなってから地下二階層へと移動し、そこからは身体を休めながら出口へと向かった。


「……私に気安く触ってくれるな。ナルクの女は、肉親であっても婚姻相手以外にはみだりに肌を触れさせはしない!」


「し、仕方ないだろ! お前、まともに歩けないんだから!」


 エッダは多少休んだくらいではまともに歩けない状態であったため、俺が肩を貸して魔迷宮の中を進んでいた。

 ひとしきり二人であれこれと言い合った後、沈黙が続いた。


「……庇われたな」


「…………。……そう、だな」


 俺が呟くと、エッダは少し間を開けて答えた。

 カンヴィアは、俺とエッダが特異な魔導器を持っていると知れば、意気揚々と殺しに来ただろう。

 そうでなくても、軍からマークされることは逃れられなかったはずだ。


 だが、ヒョードルは、自身の敗北を悪魔の横槍のためであるとカンヴィアへ誤魔化した。

 俺達のことを隠してくれたのだ。


「私は元々、魔獣払いの行われていない秘境を巡り歩いていた。だが、行動を共にしていた私の親族は、運悪く高位の悪魔と接触し、皆殺しにされてしまった。いずれは他のナルク部族の集まりへと嫁入りするつもりだが、その前に必ず仇の悪魔を討つと決めている」


「……そうだったのか」


 エッダが部族を離れている理由がわからなかったが、納得が行った。

 新しい部族の集団へ所属する前に、以前の集団の仇を討ちたかったらしい。


 ……しかし、ナルク部族複数を相手取って皆殺しにしたとなると、千年に数体しか《現界イルミス》へ渡ってこないはずのA級クラスの悪魔だ。


「だが、お前も知っての通り、私は都市に馴染めなかった。そこを助けてくれたのがあの男だったが……これでまた、一人になってしまったか」


 エッダがいつもの、淡々とした無感情な声で言う。

 だが、少し寂しそうに聞こえた。


「ソラスの魔核と……ヒョードルの《風読みの槍ヘイス》の残骸を換金した分の配分をしないといけないし……またその内、顔を合わせないといけない。ヒョードルの魔導槍はちょっと捌くのが面倒だろうけど」


 軍の連中は、ベルゼビュートが砕いた《風読みの槍ヘイル》には目を向けなかった。

 残していく意味もないので、さもしいが俺達で回収することにしたのだ。


「何が言いたい」


 俺は照れ臭さに、少し顔を逸らす。


「その……別に俺を頼ってくれても構わないからな。ヒョードルの戦いでも、何度も助けられた身でもあるし」


 俺は顔を逸らしたまま、目だけでエッダの様子を見る。

 エッダは驚いた様に目を見開き、黙ってじっと俺を見ていた。


「……フン、もう少しレベルが上がれば頼ってやる」


 エッダは俺から顔を逸らし、やや小さな声でそう言った。


「なっ、なんだと! 今も肩貸してやってるのに、その言い草はないだろ!」


「お前がどうしてもと言うから借りてやっているだけだ! 私の本意ではない!」


 俺とエッダは、二人で文句を言い合いつつ《魔の洞穴》を脱した。

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