第四十二話 真龍ノ翼

 ヒョードルとて、かなりの深手を負っている。

 エッダにまともに腕や胸部を斬られているし、俺だって奴の脚をかなり深く斬りつけてやった。


 レベル差があるとはいえ、限界は近いはずなのだ。

 少なくとも、今のヒョードルは移動を極力抑え、遠距離の間合いに留まった状態で《ダークアロウ》を放ち続けている。


 仮に動き回れるなら、距離を詰めて確実に当てて来るはずだ。

 それができないのは、ヒョードルも下手に動いて隙を晒したくないと考えているからだろう。

 俺達相手にここまで手間取るのは想定外だったはずだ。


 あと一歩……あと一歩なんだ。

 あの《グラビドア》の絶対防御と《ダークアロウ》の遠距離射撃の安全策を崩すことができれば、勝機はまだある。


「さっきの悪魔は出せないのか!」


 エッダが俺へと叫ぶ。

 俺は唇を噛み、考える。


 無理……と明言したくはなかった。

 だが、《プチデモルディ》は維持より発動の際に魔力が掛かる。

 押し切られて消滅した時点で発動の芽はない。


「限界に決まっている。あれは、明らかにお前の力量を越えた悪魔だ。B級……では、絶対に済むまい。お前の様なガキには過ぎた玩具だ」


 ヒョードルが笑いながら言う。


「ラッキーで英雄の気分を味わえてどうだ? さぞ楽しかっただろうなぁ? お前の様な、運に恵まれただけの奴が俺は一番嫌いなんだよ」


ヒョードルの笑みが失せ、ぞっとするような冷たい目に戻る。

《悪夢への誘いハーヴェル》の魔弦に、次の《ダークアロウ》が掛けられる。


「だが、それもこれまでだ! 武器に足る器を持っていなければ、こういうふうに奪われるのがオチだ。俺は違う、いつだって俺一人の力で勝ち取ってきた! これからもな!」


 もう駄目だ。

 こっちは直撃こそ受けていないが、疲労が限界に近い。

 オドの消耗が酷すぎる。

 魔力もないし、闘気もかなり弱まっている。


 《水浮月》もギリギリ一回使えるかどうかというところであり、そもそも闇の魔力の塊を放出する《ダークアロウ》に対しては《水浮月》は意味がない。

 魔法も消耗の薄い《イム》や《トーチ》ならどうにかなるが、戦闘に使えそうなものは不完全な《トリックドーブ》一発が限度だ。


 地面に放置したマナランプを割って灯りを潰しても、魔導器の魔核の輝きで最低限の視界は確保されるため、現状では意味が薄い。

 むしろ一か所で固まっているヒョードルに比べ、動き回る必要のある俺達の方が不利に働く可能性が高い。


「……聞け、ディーン。一つだけ、《グラビドア》に対抗できる魔法がある」


 エッダが俺を見ず、ヒョードルを睨みながら言う。


「ほ、本当か?」


 《グラビドア》さえ潰せば、勝機はある。

 《悪夢への誘いハーヴェル》が重力魔法グランテにより近接を封じた上で有利な間合いでの勝負を強いる魔導器ならば、近づくことさえできれば強みは半減する。


「ただ、隙が足りない。お前がヒョードルに接近し、奴にもう一度あの魔法を使わせろ」


「お、俺が、奴の気を引くのか?」


 あいつに接近しながら《ダークアロウ》を避けるなど、至難の技だ。

 この距離だから、どうにかまだ生きながらえているのだ。

 《グラビドア》の射程圏内すれすれまで近づくなど、エッダの素早さでも五分五分のはずだ。


「無理か?」


「じょ、上等だ! それしかないならやってやるよ!」


 俺は前に跳び出した。

 同時にエッダは身体を翻し、ヒョードルから距離を置く様に動く。


『お、おい、あやつ、ディーンを囮に逃げる気ではないのか?』


「ちょっと口が悪くて嫌な奴だけど、そんな卑怯なことをする様には見えなかった。それに、今更ここで止まっても死ぬだけじゃないか」


 そもそも反対側は行き止まりだとヒョードルは言っていた。

 ヒョードルはここまで来た回数も相当多いはずだ。勘違いする様なヘマはしないだろう。

 ブラフの理由もない。

 そうするくらいなら、本当に行き止まりの場所に誘導すればよかっただけだからだ。


「ほう、舐められたものだ。避けられるものなら避けてみせるがいい!」


 ヒョードルが紫光の矢を放つ。

 俺は地面を蹴り、右斜め前へと跳ぶ。


 足の下を一発が掠め、二発目が脇腹を掠める。

 正面から来た三発目を回避したところで、回避先を狙って放ったらしい四発目が俺の腰へと迫ってくる。


 これは、避けられない。

 足で防ごうと考えたが、ここで足を失えば戦力から外れる。


「クソッ!」


 俺は右手を曲げ、肘で受けた。

 服越しに肉が抉れ、血が舞う。

 防ぎきれなかった衝撃の余波が、容赦なく腹を打つ。


「がはっ!」


 俺は打ち倒され、地面に倒れた。

 意識が眩む。

 咄嗟に起き上がるだけの力が込められない。

 動けない俺を目掛け、次の矢が放たれた。


「これで終わりだクソガキ!」


「《トーチ》ッ!」


 俺は普段より魔力を込めて《トーチ》を発動した。

 俺の身体のすぐ前に光球が浮かび、辺りを眩いばかりに照らす。

 通常よりも魔力を強く込めて《トーチ》の光球を破裂させる。


 所詮は最下級魔法の暴発であるため衝撃は微々たるものだったが、その勢いに合わせて身体を動かし、強引に起き上がった。

 俺のすぐ横を光の矢が通過した。


「なぜ、なぜ無駄だとわからない! お前達はここまでだ!」


「《トリックドーブ》!」


 展開された魔法陣の中央から、一体の霊獣鳩トゥルパ・ドーブが潜り抜け、ヒョードル目掛けて飛んでいく。

 これが、俺の最後の魔法だ。

 ヒョードルの意識が霊獣鳩トゥルパ・ドーブに逸れたのを突き、俺も前進していく。


「《グラビドア》!」


 ヒョードルを中心に、黒い光の柱が大きく広がり、地面が増幅された重力による自重で拉げていく轟音が響く。

 霊獣鳩トゥルパ・ドーブを防ぐだけではなく、俺まで潰すつもりらしい。


 いや……違う。

 今、気が付いたことがある。

 《グラビドア》を放った際、使用者は外の世界と隔離される。

 黒い光の中では外の様子は見えず、地面まで潰れるため、その音のせいで周囲の音を拾うこともできないのだ。


 範囲を絞れば、《グラビドア》が消えるタイミングを狙って放たれた攻撃に対して無警戒になってしまう。

 俺が近づいていたため、広範囲にせざるをえなかったのかもしれない。


 俺は黒い光の柱が広がる限界の位置で膝を突いた。


「エッダ! 使わせたぞ!」


 エッダは、魔迷宮内の壁の天井付近に爪を立ててしがみついていた。


「《ラームジュオン》! 《真龍ノイデラスウィング》!」


 エッダの身体を中心に魔法陣が展開され、彼女の背から、虹色に輝く大きな双翼が伸びる。


「す、凄い、綺麗な……」


 俺は戦いの最中であることを忘れ、思わずその翼に見入った。


 造霊魔法トゥルパによる作り物や、呪痕魔法(カース)による肉体変異ではなさそうだ。

 ナルク部族は異界に眠る強大な魔獣と契約して人外の力を操ることができると、そう聞いたことがある。

 恐らく《ラームジュオン》は異界魔法(サモン)による、異界の魔獣の部分的な召喚だ。


 エッダは壁を蹴り、天井いっぱいの高さからヒョードルへと迫る。

 魔迷宮内に、翼の余波で暴風が吹く。

 とんでもない速度だ。

 あっという間に《グラビドア》による黒い光の柱へと突入した。


 確かにあそこまでの高さと推進力があれば、重力に守られたヒョードルへと強引に到達し、不意打ちの、それも重力の乗った重い一撃を放つことができる。

 さすがのヒョードルとはいえ、無事では済まないだろう。


 地面が割れる様な轟音が響く。

 エッダが《グラビドア》により、地面へと叩きつけられた音のようだった。

 その後、黒い光の柱に罅が入り、崩壊して消え失せる。


 中では、魔導剣を構えるエッダとヒョードルが立っていた。

 二人共血塗れだ。

 ヒョードルに至っては、既に手許に《悪夢への誘いハーヴェル》がない。

 エッダの重力の乗った一撃で手放すことになったらしく、床に魔導琴が放り出されていた。


 だというのに、ヒョードルはまだ、戦意を失ってはいなかった。

 素手のまま、魔導剣を手にしたエッダと向かい合っている。


 だが、魔導剣有りとなしでは、戦いにもならない。

 魔法が一切使えない上に、魔導剣による闘気や魔力への補正の有無は大きい。


「諦めろ、ヒョードル!」


 エッダが素早く魔導剣を突き出す。

 次の瞬間、ヒョードルの姿が消えた。

 いや、消えた様に錯覚させられた。


 実際にはヒョードルは背を屈め、地面を滑る様に素早く移動し、エッダの背後を取ったのだ。


 あれは足の裏に闘気を纏うことで足音を消した移動を可能とする、《闇足》という闘術の応用だ。

 小鬼ゴブリンでも持っており、あまりランクの高い闘術ではないが、ヒョードルはそれを極め、自己流に磨き上げている。


 離れた場所から見ていた俺でさえ錯覚させられたのだ。

 エッダは完全にヒョードルを見失っていた。


「後ろだ!」


 俺は叫びながら《魔喰剣ベルゼラ》を構え、ヒョードルへと剣先を向けて駆ける。


 ヒョードルはエッダが振り返る動きと合わせて死角に潜り続ける様に動き、彼女の足を払った。

 エッダは地面に手をつき、そこを起点に態勢を持ち直そうとするも、その隙を逃すヒョードルではなかった。

 ヒョードルの拳がエッダの腹部に深く突き刺さる。


「がっ!」


 エッダが地面に叩き落とされ、背を激しく打った。

 彼女の口から血の塊が吹き出し、衣服を赤く汚した。

 続けてヒョードルの拳が彼女へと振り下ろされる。


「俺は、お前達とは違う。才能も、生まれも、運もなかった! だが、俺は自分の力で勝ち取ってきたんだ! お前達如きに! 負けるわけがない!」


「やめ、ろぉっ!」


 俺は気力を振り絞り、ヒョードルへと突進する。

 ヒョードルが振り返りの遠心力を保ち、拳で俺の頭を狙う。

 拳が、俺の頭に直撃した。


 俺は咄嗟に《水浮月》で透過させることでヒョードルの拳を回避した。

 続けて《魔喰剣ベルゼラ》に残るありったけの闘気を込め、大きく隙を晒したヒョードルの腹部へと突き刺す。

 ヒョードルもオドを消耗させ、闘気がかなり弱まっていたらしく、《魔喰剣ベルゼラ》の刃は彼の身体を完全に貫通した。


 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を引き抜く。


「はぁ、はぁ……」


「お、俺が……俺が……」


 ヒョードルは俺へと手を伸ばした後、一歩ゆっくりと進み、その場にうつ伏せに倒れた。


「俺が、敗れたというのか? 数多の冒険者を葬ってきた俺が……こんな、たかだか【Lv:20】前後の冒険者二人を相手に……?」

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