第四十一話 ロストメモリーズ

 ――十年前のことである。

 冒険者となり五年が経ち十七歳になったヒョードルだったが、魔獣へ太刀打ちできる魔導剣を用意できず、理想虚しく、半ば運び屋の三流冒険者として安定しない生活を送っていた。

 ヒョードルの幼馴染の少女アシュは孤児院を出て彼と同じく冒険者にはなったものの、少ない彼の生活費から援助しなければまともに生きていけないほどの貧困生活を送っていた。


『なぜだ! ラーズ院長! 貴方が、なぜこんな真似を!』


 ヒョードルは育ちの孤児院が別の都の娼館へと悪徳商会の仲介を経て育てた子供を裏で売っているという噂を聞き、孤児院の院長であるラーズを問い詰めていた。


『ヒョ、ヒョードル君、都市を治める魔導佐が、変わったのですよ……。それに伴い、方針を変え……多くの都内施設への補助金を大幅に下げることになってしまい、この孤児院も例外ではなく……』


『そんなことは知っている! 新しく入ったマルティ魔導佐は、不要な軍備の強化にしか目がないクソ野郎だ! だが、貴方の行いを正当化する理由にはならない!』


『……違うのですよ、ズータット商会は確かに評判は悪いですが、その実、軍と繋がりがある。いわばこれは、軍から孤児院へと提示された救済案……これを蹴っては、孤児院を潰すしかない……。それに、この都市で孤児院出の子らの生活が保障されておらぬのは、君も知っているはずだ。だが、娼館にさえ入れば食べるものには困らない。それを思えば……』


『救済案だと? 何を寝ぼけたことを言っている! どう考えても、ただ軍と商会がつるみ、利益のためにわざと追い込みを掛けているだけだろうが! なぜそんなことがわからない!』


 ヒョードルはラッダとの間を隔てる書斎机に載っている書類を、感情のままに手で叩き落とし、息を荒げる。

 二人はしばらく無言のままに睨み合った。


『……ヒョードル君、軍には逆らえませんよ。あれは、このリューズ王国の象徴であり、力そのものなのです』


 ラッダが弱々しい声で言った。


 それからヒョードルは、今まで以上に力を求める様になった。

 軍に頼らずとも、孤児院を運営できる資金があればいいのだ。

 全冒険者の0.1%未満とされるB級冒険者になることができれば、一回の魔迷宮探索で百万テミス以上の儲けを出すこともできるという。


 レベルを上げるには、自身よりもオドの強い者、レベル上の魔獣のオドを奪うことが一番早い。

 だがそれは、勝利の安定しない、危険な道となる。

 まともな魔導器さえ持たない当時のヒョードルには不可能であった。


 だからまず、闘気を操り扱う技能、闘術に目を向けた。

 コネ作りに身を入れる様になり、高名な冒険者に媚びを売り、闘術の教えを乞うた。

 酒場で執拗に頼み、しつこいと袋叩きに遭うこともあった。


『ヒョードル兄さん、危険だよ。ここは、私達にはまだ……』


『なら、お前だけ帰れ! 俺はお前と違って、死に物狂いで闘術を身に着けたんだ! 俺一人だってやってやる!』


 その日、ヒョードルはアシュと二人で魔迷宮の地下二階層の奥地まで潜っていた。

知り合いの冒険者であるリゲスから、三日以内に金を用意できればたったの十五万テミスで不要になったD級魔導剣を売ってやると、そう言われていたのだ。


本来、リゲスの魔導剣は三十万テミス近く掛かってもおかしくはない代物だった。

リゲスは冒険者としてはそれなりに腕の立つ方だが、性格が悪く、今回のこともヒョードルが足掻く様を楽しむつもりであることは間違いなかった。

 だが、リゲスにとってはただの暇潰しのゲームだとしても、ヒョードルにはありがたかった。


まともな魔導剣さえ手に入ればできることは一気に増える。

目標への取っ掛かりになるはずだ。


 本来、こんな無謀な真似はしない。

 だが、他の冒険者を雇えばその分、金は頭分けになる。

 何にせよ、どこかで無茶をしなければ状況は変わらないのだ。


 たとえ多少顔見知りになろうが、いつ死ぬともわからない三流冒険者の小僧に金を貸してくれる者はいない。

 金を集めるには、魔迷宮に潜り、闘骨を集めるしかなかった。


 アシュがヒョードルの服を掴む。


『何をする!』


『……帰らない。最近のヒョードル兄さん、昔のヒョードル兄さんじゃないみたいに感じることがあって、怖いの。ヒョードル兄さんが一人になったら、本当に私の知ってるヒョードル兄さんが、いなくなっちゃう気がするの』


 アシュが泣いていることに気が付き、ヒョードルは頭を下げる。


『アシュ……俺が、悪かったよ。だが、今日だけは付き合ってくれ。今日は、俺が五年間ずっと待ちに待っていた好機なんだ……。ただ、あと一押しの金が足りない。稀にこの魔迷宮の地下二階層に出没する牙狼ファングは、D級の中ではかなりの下位に入る。奴の闘骨さえあれば、目標金額に達する。闘術を駆使すれば、きっと俺でも敵うはずだ』


 リゲスからD級の魔導剣さえ買うことができれば、孤児院にまともな寄付を行うことができる。

 アシュにだって、こんな貧しい生活を続けさせることもなくなる。

そのはずだった。


 数時間後、牙狼ファングの闘骨を握り締め、傷だらけで魔迷宮を出るヒョードルの横に、アシュの姿はなかった。


 ヒョードルはその後、使っていた魔導剣を含めて売れるものを売って十五万テミスを作り、リゲスへ会いに、彼がいつもいる酒場へと向かった。

 飲み仲間に囲まれている髭面の大男リゲスへと、ヒョードルは声を掛ける。


『……リゲスさん、十五万テミスだ。用意できた』


 リゲスはヒョードルを見て苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


『おいおいマジかよ! ははは! リゲス、賭けはお前の負けだな!』


『はぁー? なんだよ、くたばっちまえばよかったのに!』


 賭けの対象にされていたらしいとヒョードルは気が付いた。


『お前のせいで大損だクソガキが!』


 リゲスがヒョードルを突き飛ばす。

 貨幣袋が破れ、金が舞った。


『リ、リゲスさん、魔導剣を……』


『はぁー? お前の様なクソガキに、俺様の魔導剣は上等すぎるわ! 調子乗ってるんじゃねえぞ、物乞いのヒョードルが!』


 このとき、ヒョードルの中で何かが切れた。


 この一週間後、都市ロマブルク周辺の魔迷宮にて、リゲスが冒険者狙いの強盗に殺される事件が起こった。

 魔獣との戦いで疲弊したところを狙われたのだという。

 しかし、そう珍しくない事件であり、魔迷宮内の殺人や盗難は証明が困難であることもあり、大きな騒ぎには繋がらなかった。


 これが後に都市ロマブルク中の冒険者から恐れられる最悪の魔導器強盗、《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》の最初の犯行であったことを知る者は、ヒョードル以外にいない。



「《ダークアロウ》!」


 ヒョードルの手許に小さな魔法陣が幾つも重なる様に展開され、同数の紫の光の矢が生じる。

 ヒョードルは複数の矢を、魔導琴悪夢への誘いハーヴェルの魔力の糸に纏めて掛ける。


 知らない魔法だが、闇属性の放射魔法アタックであることに疑いの余地はない。

 魔導琴の弦を利用し、射程を伸ばし、速度を引き上げている。


「いい加減に死ねぇっ! しぶとい奴らめ!」


 ヒョードルが大口を開けて叫ぶ。


 このままだと、避けられない。

 俺は地面を蹴り、前へと大きく跳んだ。

 魔力消耗のせいで体力の限界が近づいていたこともあり、肘から地面に落ちた。


「あがっ!」


 ヒョードルは容赦なく、動けなくなった俺へと矢を放つ。


『ディッ、ディーン!』


 今度こそ終わったかと思ったとき、腰に衝撃が走り、俺の身体が浮いた。

 目をやれば、エッダが俺を蹴り上げていた。


「悪く思うな! 私も余裕がない!」


 俺は膝から勢いよく地面に落ちた。

 骨が軋む様な痛みが足全体に走ったが、弱音を吐いている余裕はない。


「つっ! う、うう……」


 身体を起こす前に、俺の頬を紫光の矢が掠め、血が舞った。


 俺はヒョードルのいる位置へ目掛け、《魔喰剣ベルゼラ》を握る手を伸ばす。


「《トリックドーブ》!」


 魔法陣が展開され、そこを潜る様に一体の霊獣鳩トゥルパ・ドーブが姿を現し、ヒョードルへと飛来していく。

 《鉱物の魔ソラス》の保有していた造霊魔法トゥルパである。


「《グラビドア》」


 ヒョードルを囲み、円柱状に黒い光が展開される。

 最初に撃ったときほど規模は大きくないが、その柱はヒョードルを完全に包み込む。

 光に入った霊獣鳩トゥルパ・ドーブが、《グラビドア》により増幅された重力に負けて軌道を真下に変え、ヒョードルの手前に落ち、小さな火柱を上げた。


 ……ヒョードルも限界が近いはずなのに、まるで突破口が見えない。

 《悪夢への誘いハーヴェル》による《ダークアロウ》の連続遠距離攻撃に、近接戦を完全に殺す上に飛び道具さえ掻き消す《グラビドア》まであるのだ。

 近づけば重力に呑まれ、今の様に距離を置いても闇の矢で一方的に攻撃される。


 ヒョードルの魔力が尽きるのを待つしかないと最初は思ったのだが、あの様子だとまだあいつの魔力はなくならない。

 このままでは、どう考えても俺とエッダが先に《ダークアロウ》の餌食になる。

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