第三十九話 風読みの槍ヘイル

 俺はエッダと並んだ形で、道を遮るヒョードルと対峙する。


 考えが纏まらない。

 俺が初めてヒョードルに会ったのは、もう何年も前になる。

 ……あの頃からヒョードルは、俺を何かに利用できないかと考えていたのだろうか?


「ヒョ、ヒョードル……考え直してくれ……。俺には、言葉の全部が嘘だったなんて、信じられない。何か、事情があるなら……!」


「めでたい奴だな。俺が一番嫌いなのは、お前みたいな綺麗ごと好きの無能だ」


 ……ヒョードルが憧れの冒険者だっただけに、その言葉は辛かった。


 ヒョードルが《風読みの槍ヘイル》を構える。

 脳裏に、|三頭獄犬の牙《ケルベロス・ファング》の三人組が瞬殺される光景が過ぎった。


 ヒョードルの風の放射魔法アタックである《ブラスト》は、魔法を乱し、周囲の者すべての体勢を崩すことができる。

 更にあの《風読みの槍》は《風見の悪霊パズズ》の力で風の流れを読み切り、暴風の中での移動を可能とする。

 風が止めば、体勢が崩された状態で、直立のヒョードルと戦わなければならない。


 ……《プチデモルディ》の力押ししかない。

 ベルゼビュートなら、暴風の中でも強引に突っ切れるはずだ。


 幸い、ヒョードルは俺を軽視している。

 そのことはエッダに名指しで解体を任せ、魔導剣を一度背負わせたことからも明らかだ。


 エッダの《瞬絶》と身の丈に合わぬ魔導剣による闘気の底上げは、瞬間的ならばヒョードルに匹敵するかもしれない。

 確かに、彼からしてみれば脅威だろう。

 その隙を突いて俺が一度斬り掛かることができれば、ヒョードルから《ブラスト》を取り上げることができる。


「《クイックル》!」


 エッダの体軸を中心に、上向きの魔法陣が広がる。

 これは支援魔法(パワード)の一種だ。

 僅かな間、対象の速度を上げることができる。


「余計な感情で手を抜くな! あの世で恨むぞ!」


 エッダは俺へと言うと脚を曲げ、姿勢を低くし、魔導剣を握る下の手を地面すれすれまで下げる。

 彼女の脹脛が、僅かに膨張した後に縮む。

 かなり脚に負担を掛けているのが目に見えてわかる。


「……まだ速くなるのか、おお、怖い怖い。その構えも、ナルクの師から学んだか?」


 エッダは何も答えない。

 それが正解だ。

 俺の様に下手に応じれば、手の内を暴かれるだけだ。

 ……それに、攻撃し辛くなる。


「立派な魔導剣を与えられ、魔法の基礎と闘術を教わる。剣術も、だろうな。下地は整っている、後は仕上げにレベルを上げるだけ、か。どこにも属さない最強の武闘集団と聞いたときには荒々しい印象を受けたものだが、随分とお上品らしい」


 エッダの手に、一瞬力が入った。


「《ブラスト》!」


 その瞬間を待っていたかの様に、ヒョードルが声を上げる。

 魔法陣が展開され、中央を起点に暴風が巻き起こる。


 圧倒的にヒョードルの方が優勢だというのに、一分の隙も無い。

 ヒョードルは話術で揺さぶりを掛けてエッダの技能を引き出しに掛かり、それが通じないとわかれば彼女の意識が言葉に逸れた瞬間を狙って勝負を掛けに来た。


 俺は屈み、地面に手を着き、身体を縮こませ、《魔喰剣ベルゼラ》を構えたままで固まる。

 どこかのタイミングで《イム》を撃ちたいと考えていたが、使えば俺は数秒の間、魔法を失うことになる。

 その間に仕掛けて来ることを考えれば、下手に使うことができなかった。


 それに、《ブラスト》を使ったからには勝負を掛けに来るはずだ。

 暴風が緩めば状況に応じ、《プチデモルディ》か、ソラスから奪った《トリックドーバ》のどちらかを放つ。


 エッダは凄まじい速度で背後へ飛び退く。

 逃げに徹してこの魔法は凌ぐ気らしいと俺が考えた次の瞬間、暴風が僅かに緩んだ合間を目掛け、エッダがヒョードルへと直線で跳びかかっていく。


「あああああああっ!」


 《ブラスト》の暴風を、引き上げた速度で強引に突破するつもりだ。

 勝算があるのかわからないが、ここに乗るしかない。

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を、地面へ叩きつけるかの様に振るった。


「《プチデモルディ》!」


 一度限りの切り札を切る!

 ヒョードルの恐ろしい強さは目にしている。

 勝算があるとすれば、ここしかない。

 エッダの支援魔法(パワード)も、何度も使える余裕はないはずだ。

 タイミング計りを過ぎれば、次の瞬間に即死させられかねない。


 魔法陣を潜り抜ける様に、ベルゼビュートが姿を現す。

 行けるはずだ、エッダとベルゼビュートで挟み込んだ!

 ここで俺が《ブラスト》を押し切れる造霊魔法トゥルパを撃つのは予想外だったはずだ。


 ヒョードルはエッダに向けていた《風読みの槍ヘイル》を引き戻し、片手持ちへと移行する。

 ベルゼビュートへと槍を向け、エッダには徒手で応じる。


「舐められたものだ!」


 エッダが前に突き出した魔導剣を振り下ろす。


「俺が真っ先に死に物狂いで身に着けたのが闘術だった。師さえ見つければ、後は自分の身体だけで再現可能となる」


 エッダの魔導剣の刃の描く軌道が、ヒョードルを避ける様に落ち、地面を叩く。

 刃が魔迷宮の地面に切れ込みを入れる。


「なっ!」


「……《硬絶》を用い、闘気で強化した指先で武器の軌道を誘導する。闘術から派生させた武術、《刃流し》だ」


 ヒョードルがエッダに突き出した指は、丸く段差を付ける様に曲げられていた。

 あれを刃の腹にあてがい、軌道を逸らしたらしい。


 《瞬絶》が自身の移動速度を引き上げるのに対し、《硬絶》は身体の一部に局所的に闘気を纏うことで、硬度を引き上げることができる。

 高レベル冒険者の《硬絶》を用いれば、指先も変幻自在の強靭な刃となるのだろう。


「ふ、ふざけるなよ……」


 思わず、言葉が漏れる。

 レベルが高いので単純に闘気が強い上に、魔法まで高い汎用性と威力があり、一回り以上レベルが下の俺達を前にしても一切の油断がない。

 おまけに、素手で魔導剣を対処できるなど、反則過ぎる。

 更に《硬絶》がある以上、意識外からの攻撃でなければ、ヒョードルに決定打は通せないことになる。

 勝ち筋が細すぎる。


 ベルゼビュートはヒョードルが牽制する様に振るう《風読みの槍ヘイル》に対し攻めきれず、回避のために動作一つ分遅れ、エッダに合わせて同時に攻撃することができなくなっていた。

 ベルゼビュートが攻め入ろうと指を曲げたとき、ヒョードルを中心に魔法陣が展開される。


「《エアルガード》」


 風の障壁がベルゼビュートを覆う。

 地から魔導剣を引き抜いたエッダが、風に弾かれて後方へ飛ばされた。


「がっ、ああっ!」


 肩から落ちたエッダが、そのまま背を地に打ち付ける。

 あの風は、尋常じゃなく勢いが強い。

 エッダの身体にもかなりのダメージが響いているはずだ。


「これが俺の《風読みの槍ヘイル》をメインに使い続ける理由の一つだ。《ブラスト》より速く、確実に攻撃の手を潰すことができる。この悪魔も……」


 ベルゼビュートは、風の障壁に爪を立てた状態で宙に留まっていた。


「ぐぅ……ぐぐぐぐぐ……!」


「下位の造霊魔法トゥルパで造られただけだというのに、これだけの力を持つ悪魔を!? 奇妙な性質の魔導剣だとは睨んでいたが、ここまでとは……」


「だぁぁっ!」


 ベルゼビュートの爪が、《エアルガード》の障壁を強引に叩き斬った。

 左右に小さな竜巻が広がり、穴ができる。


「フハハハハハッ! 妾に掛かれば、ニンゲン程度の魔法など、こんなものよ! ……少しばかり、危うかった、が……」


 宙に浮いたベルゼビュートの腹を、ヒョードルの《風読みの槍ヘイル》が貫いた。

 とっておきの防御魔法が破られたというのに、恐ろしく冷静で素早い判断だった。

 爪を振り切ったベルゼビュートの隙を的確に突き、槍を突き出して来たのだ。


「う、うぶ……き、貴様……!」


 ベルゼビュートが手を伸ばすが、ヒョードルに届かない。

 俺の魔力が、ベルゼビュートの維持に吸われていく。


 視界が揺らいだ。

 魔力が危ない。

 だが、ここでベルゼビュートを一度引っ込めれば、再度出し直すだけの魔力はない。

 彼女がいなければ、ヒョードルを倒しきれるビジョンが浮かばない。


「うぐ……」


 《ブラスト》の暴風は、既に大きく弱まっている。

 今ならば、できるはずなのだ。

 《エアルガード》を失い、槍が塞がっているヒョードルに、《暴食の刃》の一撃を入れることができる。

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