第三十八話 噂の真相

 戦いが終われば魔核の回収だ。

 C級悪魔、《鉱物の魔ソラス》の魔核だ。

 売り値でも二、三十万テミスは行くはずだ。

 ヒョードルさんは事前に『どういう事態になっても報酬は三等分にしよう』と、こっちが申し訳なくなってしまうようなことを口にしていた。

 最低でも、七万テミス近くが入ってくることになる。


 ヒョードルさんの指示を受け、ソラスの巨大な梟の面をエッダがひっくり返す。

 裏側には色褪せた羽毛と土、腐肉の残骸がこびり付いていた。

 煙が上がっており、腐肉はどんどんとその質量を減らしている。


 エッダが顔を顰めた。


「魔核は、その面の中央辺りに埋もれているはずだ。ディーン君、外し方を教えてやってくれ。《ボックス》」


 ヒョードルさんは首飾りの《亜空の十字架》を握り、魔法陣を浮かべる。

 空間が歪み、透明な箱の様なものが宙に浮かぶ。

 ヒョードルさんはそこに手を入れ、中から解体用ナイフを取り出す。


「は、はい」


 俺はヒョードルさんからナイフを受け取り、エッダへと手渡した。


「……私がやるのか?」


 崩れた悪魔を見て、触りたくなくなったのだろう。

 苦い表情をしながら俺から解体用ナイフを受け取り、魔導剣を背負い直す。

そうして屈んで巨大な梟面の縁を掴んで押さえ、裏側を突き崩し始める。


 俺としても正直……別にエッダに解体を経験させる意図は薄いと思っている。

 運び屋をせざるを得なかった俺と違い、エッダは普通に強い。

 この先、解体作業を押し付けられる様な場面はまずないだろう。

 だから、本人が嫌がっているなら変わってやってもいい、とも思う。


 一応魔核外しも学んでおいた方がいいことは確かだが、ヒョードルさんか俺がやればすぐに終わる。

 闘骨を動物から引き剥がすのに比べれば、生命が途切れれば身体の大部分が崩壊する悪魔から魔核を外すことなど、容易いことなのだ。


 ただ、ヒョードルさんの采配であるし、別に敢えてそれを無視してエッダを庇ってやる道理はない。

 まぁ、経験しておいて損ということはないだろう。

 ……それに、これまでの溜飲も少しは下げさせてもらおう。


 エッダはクールな表情を引き攣らせ、必死に腐肉を削っていた。

俺は手に持ち直していたマナランプを再び地面へと置く。


「表面を崩したら、指で削った方がいい。魔核は頑丈だが、万が一ってこともあるからな」


 俺はエッダの作業を眺めながら、あの《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》は何だったのだろうと、ふと考えていた。


 もう終わったことなのだが、どうにも引っ掛かるのだ。

 ヒョードルさんと同等クラスの冒険者が惨殺された事例だってあるはずなのだが、ヒョードルさんはあっさりとあの三人を倒してしまった。


 不意打ちが決まっていれば、あの三人はヒョードルさん相手に善戦できたのだろうか?

 それにしては、三人ともヒョードルさんの身体能力に怯えており、格上との戦闘に慣れていない様に見えた。


 それに《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》は、浅い階層で事件を起こした例はなかったはずなのだ。

 俺はそれを、人が溜まりやすい地下二階層では危険だと考えてのことだったのだろうと捉えていた。


 襲撃があったのは地下二階層の中でも奥地ではあったが……三階層へ降る地点で『人が通りやすいから』という理由で張り込み、事件を起こすというのは、これまでの《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》の起こした事件からは少々外れている気がしなくもない。

 《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》は徹底して正体の露呈を恐れていたからこそ、これまでも正体の候補さえ上がらなかった。

 そうではなかったのだろうか?


 俺は首を振る。

 いや、ただの浅い憶測だ。

 仮にそうだとすれば、実際に戦闘を行ったヒョードルさんならとっくに気づき、あの場で言及していたはずだ。


 ……本当に、そうなのか?


「うん? 今、妙な物音がしなかったか?」


 急にヒョードルさんが、俺達の来た方を振り返る。


「え……?」


 全く聞こえなかった。

 俺は一応意識を研ぎ澄ませ、《オド感知・底》で周囲を確かめる。

 しかし、特に気になるオドは見つからない。


「私も何も聞いていない」


「そうか、気のせいだったらいいんだが」


 ヒョードルさんが手に、自然な動きで《風読みの槍ヘイス》を手に取った。

 ごく、そうすることが当たり前の様な動きだった。

 きっと俺は、直前に妙なことを考えていなければ、それに反応できなかったはずだ。


 冒険者が魔迷宮の、それも地下三階層以降で気を抜くことはまずない。

 日を跨ぐ場合は仕方なく睡眠や食事を取ることもあるが、今の俺達の様に地下三階層が最初からの目的であった場合、時間を大きくずらしてでも地下二階層まで引き返してから食事を取る。


 もっとも無防備になるのは、手が塞がって魔導剣を手放し、他のことに集中しなければいけなくなる、解体のときだ。

 そして、エッダを指名したのはヒョードルさんだ。


 ヒョードルさんは笑顔のまま、《風読みの槍ヘイス》を振り上げた。

 俺は我に返った。


「エッダ、危ない!」


「うがっ!」


 俺はエッダへと力の限り体当たりを仕掛けた。

 さすがは戦闘部族の端くれ、宙で華麗に回りながら魔導剣を引き抜き、屈んだ姿勢で着地する。

 殺気立った目を俺へと向ける。


「な、何をしてくれる! 死にたいか!」


 ヒョードルさんの振り下ろした魔導槍が、ソラスの面を叩いた。

 腐土が舞い、ソラスの面が容易く砕け、全体に罅が入る。


「……外してしまったか。お前、思いの外に勘がいいんだな。見縊っていた」


 《風読みの槍ヘイス》を再び振り上げるヒョードルさんの顔に、既に笑みはなかった。

 さっきまでのヒョードルさんと、同一人物だとは思えない。

 冷たい殺気を肌で感じる。


 間合いにいれば、間違いなく次の瞬間に殺される。

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を構えたまま、背後へ跳んだ。


 エッダも、蒼白の顔で魔導剣を構えたまま、気圧される様に下がっていく。


「ヒョ、ヒョードル、何の真似だ、こんな……」


 エッダが狼狽えながらも問い掛ける。


「何の真似、か。気がついていないのか? お前達二人共、低レベルの分際で立派な魔導剣だけ背負っていて、おまけに消えても騒ぐ人間のいない、絶好のカモだってことにな」


 無表情な眼はそのままに、口の端だけがつり上がる。

 こんな温度のない笑いを、俺は初めて見た。


「う、嘘ですよね? こんな……だって、ほら! これまで襲えるタイミングはいくらだって……!」


「ああ、その予定だった。相手がまさか、《瞬絶》持ちと、《オド感知》持ちの二人ではな。逃げて他の冒険者に知らされればことだ。だが、安心しろ。ここの通路は行き止まり……お前達に、逃げ場はない」


 《オド感知》は《純人族レグマン》が持っていることはまず稀であったはずなのに、闘術の名称までぴたりと言い当てられた。

 俺が驚いて目を見開くと、ヒョードルさんの、いや、ヒョードルの頬が笑う様に揺れた。

 鎌を掛けられた。

 

 ヒョードルが道を封じる様に、通路の中央へと移動する。


「冒険者心得、その十だ。獲物の退路は確実に潰していくこと」


 ソラスとの戦いで背後にただじっと控えていたのは、万が一にも逃げられない様にするためだったのだ。

 ソラスが、ではない。俺とエッダが、だ。

 下手に動いて俺とエッダが逃げ出し、第三勢力となったソラスが追いかける邪魔になることを恐れたのだろう。


ヒョードルは最初から《魔喰剣ベルゼラ》に気が付いていたのだ。

 恐らくは、俺が新しい魔導剣を背負い、従来からは考えられないくらい膨らんだ換金袋を手にしているのを目にしたときに。


 俺なんて木っ端冒険者の変化に、普通の冒険者は気づけない。

 だが、ヒョードルは、ほとんど無意味に二度も俺を運び屋に指名したことがあった。

 あれは情報収集と、世間体作りのためのものだったのかもしれない。


 ここまで理詰めで理解できても、俺はまだ、ヒョードルが最初から俺とエッダを裏切るつもりだったことが、受け入れられなかった。


 心臓の鼓動が速くなる。

 息が荒くなる。

 視界が眩み、聞こえる音がどこか遠く感じる。

 脳が、これが現実であると認識することを拒んでいた。


『し、しっかりせよ、ディーン! こやつは、今の貴様に容易に切り抜けられる相手ではないぞ!』


 ベルゼビュートの声がする。


「面白いことを教えてやる。《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》は、この俺一人についた渾名だ。クク、思わず笑ってしまったよ。まさかこの俺相手に、あの名を騙るとはな。どこまでも馬鹿な三人組だ」


「えっ……?」


「ただの偽装工作だったんだがな……ああも上手く広まっているとは、ギルドの冒険者も軍も、馬鹿しかいない。冒険者狩りが、複数人の交戦を装うために死体を他の奴から奪った魔導器で損壊させるくらい、容易に想像がつくはずなんだが」


 違う……《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》が三人組だと信じ、誰も疑わなかったのは、あまりに犯人の手際がよかったからだ。

 多くの冒険者を殺そうが一人の目撃者もなく、何人の狩り仲間パーティーを襲おうとも一人の殺し損ねもない、神秘性さえ帯びていた正体不明の死神の様な犯行が、たった一人の冒険者によるものだと、誰も考えもしなかったはずだ。


「いや、面白い名がついたものだ。元々、三頭獄犬ケルベロスは一体の魔獣を指す言葉なのにな」

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