第三十五話 三頭獄犬の牙

 《魔の洞穴》の地下二階層では、魔獣の巡回路の避け方についてヒョードルさんから教示してもらった。


「D級の魔獣とはなるべく会いたくないからね。どうしても消耗が大きくなって、後の戦闘に響く。後を見据えて魔力をケチって戦っていたら怪我を負って、不本意ながら途中で帰還する、なんて苦い想いも俺が若いころはよくあったよ」


「なるほど……」


「最初から潜る魔迷宮に現れる魔獣の生態を調べておいて、フン、足跡、外敵や餌の痕跡と照らし合わせて行けば、遭遇したくない魔獣はだいたい弾くことができる。冒険者心得その四は、しっかり下調べをして、嫌な敵を避けることだ」


 俺はヒョードルさんに手で指示され、足元を照らす。


「ここだと、骸戦鼠ムースゾンビとは遭遇したくない。群れるし、数が多くてタフなんだ。逃げるのは簡単だが、道を防がれるのは大抵よくないことに繋がる。腐った血や、緑の粘液がついた食べカスなんかが要注意だ」


 そうやって着実とヒョードルさんの冒険者心得五、六、七を道中で教示してもらった。

 どれもためになる話だった。

 途中、喉が渇いた際には平然と高価な水泉石を投げて寄越してくれた。

 俺とは本当に格が違い過ぎる。


 ……エッダは、あまり話を聞いていないように見えた。

 一応ヒョードルさんの方を見てはいるが、退屈そうな顔をしている。


「と……そろそろこの先に、地下三階層が……」


 ふと……先に、人間の気配がしたのを《オド感知・底》が拾った。

 倒れている……?


 開けた場所にでたとき、《オド感知・底》で拾った通り、岩を背に女の人が血塗れで倒れていた。

 傍らには火を灯したままのマナランプが一部破損した状態で投げ出されているため、彼女の様子はよく見えた。


 息はあるようだったが、この出血だとかなり危うい。

 ヒョードルさんは固まって女の人を見つめていたが、はっと気が付いた様に前へと一気に駆けだす。


「たっ、大変だ! 二人はそこで待機してくれ! まだ、魔獣が潜んでいるかもしれない!」


 俺は念のために目を瞑り、《オド感知・底》に意識を集中して周囲を探る。

 

「え……?」


 岩陰に二人、息を潜めて待機している者がいる。


 俺は慌てて前に跳び出した。

 遅れて、エッダが俺に続く。


「ヒョードルさん! その女、囮です! 二人隠れています!」


「な、なんだと!」


「チッ、よく気が付いたわねガキが!」


 血塗れの女が身体を起こし、手にした短い魔導剣を地に突き立てる。

 剣を中心に、魔法陣の光が走る。


 あの身体は、恐らく布袋に魔獣の血を溜めて被ったのだろう。

 そして人が来るであろう地下三階層に張り込み、《サーチ》等の魔法で近づいて来る者がいないかチェックしていたのだ。


 俺も直前まで隠れる二人に気づけなかったので、感知妨害も持っていたのかもしれない。

 所詮Eの感知スキルだ。

 本職の《異掟魔法ルール》持ちがいれば、容易く偽装されてしまう。


「まさか、《三頭獄犬の牙ケルベロス・ファング》!?」


 俺の頭に、三人組の正体不明の冒険者狙いの強盗の名が頭を過ぎる。


「アハ、随分と物騒な名で呼んでくれるわね。《風の旅人ヒョードル》とは、大きい獲物が釣れたわ! 《アーススワンプ》!」


 ヒョードルさんの踏み込んだ地面が水気を帯び、ぐずぐずに崩れる。

 足を取り、体勢を崩させる《錬成魔法アルケミー》だ。

 ヒョードルさんの足が地に沈む。


「……参ったね、まさか、こんなことになるなんて」


「《プチストーンバレッド》!」


 岩陰の死角から、ヒョードルさんへと石の弾丸を撃ち込まれる。

 更に逆側から飛び出して来た男が、振るった魔導剣でヒョードルさんを狙う。


「《パラジィソード》!」


 魔法陣が浮かび、魔導剣を黄色い靄が纏わりつく様に覆う。

 斬った相手に自身の魔力を埋め込み、特異状態を生み出して身体を蝕む《呪痕魔法カース》の一種だ。


 恐ろしく連携が取れている。

 間違いなく、全員【Lv:20】超えの手練れの冒険者だ。


「《ブラスト》」


 ヒョードルさんが《風読みの槍ヘイス》を構え、魔法陣を浮かべる。

 彼の周囲を暴風が包み、石の弾丸や、斬りかかってきた男の体勢を崩させる。


「きゃぁっ!」


「な、なんだこの威力は!」


 斬りかかった男が風に煽られて転倒し、沼地に手をついて沈み、動けなくなる。


「便利だろう。暴風の中、俺だけが流れを読み切ることができる。《風読みの槍ヘイス》に宿る《風見の悪霊パズズ》の力だ」


 勢いよく突き出された魔導槍が、男を跳ね飛ばす。

 壁に背を打ち付けた男は、胸部を正確に穿たれていた。


 正確さも速さもそうだが、驚くべきはその威力だ。

 確実に命を奪う一撃だった。


「冒険者心得、その八。対人では絶対に相手にペースを譲らない」


 《アーススワンプ》を使った女が、蒼白な顔で次の一手を撃つべく魔導剣を振るおうとする。

 ヒョードルさんは素早く沼から足を引き抜き、女を蹴り上げて手から魔導剣を離させた。


 そして宙に浮いた彼女の背へ、魔導槍の尾で後頭部を目掛けて追撃を放つ。

 俺は初めて頭蓋の砕ける音を聞いた。


 残った一人が、ヒョードルさんに睨まれて魔導剣を投げ捨てた。


「ゆ、許してくれ! 大人しく牢につく! お、俺は……!」


 ヒョードルが長い腕を最大限に伸ばし、魔導槍の端を持って男の首へと一撃を入れた。

 首が不自然な角度へ曲がり、男の身体が地へと叩きつけられる。


「冒険者心得、その九。敵対した相手には容赦しない。油断すれば、殺されるのはこっちだからな」


 ヒョードルが魔導槍を回し、背へと担ぎ直す。

 それから目を瞑り、祈る様に片手を前へと出した。


「情をくれてやるのは、相手が死んでからでいい。自己満足に過ぎないがな」


「…………」


 都市ロマブルクを数年に渡って騒がせてきた、冒険者狙いの強盗|三頭獄犬の牙《ケルベロス・ファング》を相手に一瞬だった。


 自分以外の行動を阻害する範囲魔法も反則的だが、それよりも恐ろしいのは高レベルの闘気による圧倒的な膂力だ。

 沼の足止めからノータイムで引き抜き、三人を相手に一瞬で仕留めてしまった。


 彼らの自業自得であることはわかる。

 三人は、多くの冒険者達を私欲で殺してきたのだろう。

 だが、それでも、呆気なく死んだ三人を見ていると、悲しみややるせなさを覚えてしまう。

 無事で済んだからこそ抱ける、幸福な感慨なのだろうが。


「戻って、彼らの報告を……」


「それは俺達の目的を果たしてからでいい。よくあることだ。こんなことで引き返していれば、冒険者業は続けていられない。彼らの魔導器だけ回収しておこう、軍に届けて報告する必要がある。それが終われば、三階層へ《鉱物の魔ソラス》を仕留めに行く」


「は、はい」


 俺は少し悩んだが、頷いて返事をした。

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