第三十四話 魔の洞穴

 夜の間は馬車の中で休眠を取り、朝になってから三人で馬車を降りて《魔の洞穴》へと向かった。

 御者の人にはこの段階で、馬車ごと一番近い村まで移動してもらう。


 人里離れたところで長時間御者の人に待ってもらうのは非効率であるし、もしも夜を跨げば野盗に襲われる可能性も高くなる。

 やや長時間歩くことになるが、帰りは近くにある村まで向かい、そこから馬車で帰路につくことになる。


 俺はまたエッダがぶちぶちと文句を言うのではないかと思ってちらりと彼女を見たが、黙ったままだった。

 ……まぁ、これは事前にヒョードルさんが話していたことだったし、当然といえば当然だ。


「さすがに駄々を捏ねないようで安心した」


 エッダが目を細めて俺を睨む。


「効率の問題だ。これまで私は無為な我儘を言った覚えはないし、ヒョードルはともかく、お前には何の期待もしていない。ガキの様な言いがかりをつけるな、煩わしい。それとも、こうやって突っかかるのも冒険者の社交術だと?」


 エッダはそう言ってヒョードルさんへと目をやる。

 ヒョードルはまた苦笑していた。

 エッダの言葉は、ヒョードルさんが冒険者間のコミュニケーション、とエッダに言い聞かせていたのを引き合いにした皮肉であることは間違いなかった。


「ぐ……」


 だが、確かに今は余計なことを言ってしまったのは俺だ。

 わざわざ口に出すことではなかった。


「あ、朝はあんなに俺の料理を食ってたくせに、よく言うよ」


「自惚れるな。ナルク部族の剣術は、細かい動きでの相手の翻弄に重きを置いている。移動動作が多く、消耗が激しい。体力を保つために、多く食べる必要があるだけだ。今は仕方なく付き合ってやっているが、さすがに魔迷宮内では保存食を頼むぞ、ヒョードル」


 ……わかっていたのに、また余計なことを言ってしまった。

 俺は頭を押さえ、冷静になるよう心掛ける。

 思い出せ、ギルバードと一緒にいるときは、何を言われても我慢できていた。

 俺もヒョードルさんと一緒にいて気が緩み過ぎているのかもしれない。


『そんなにストイックな食事がお好みならば、貴様だけ魔核でもしゃぶって、土でも舐めておるがいい!』


 ぎゃーぎゃーと煩く喚くベルゼビュートの声に意識を向け、冷静になる。

 そうだ、俺はレベルを低く詐称している上に、それがなくとも元々レベル下なのだ。

 実力不足で考え方の違う奴がいれば、腹が立つのも仕方ないことだ。

 適当に流しておこう。


「ディーン君」


 ヒョードルさんに声を掛けられ、俺は顔を上げる。


「なかなかエッダちゃんと会話が弾む様になってきたじゃないか! 別に本心を抑え込む必要はないぞ! この場では俺が仲裁できるし、彼女にとっても貴重な場だからな!」


 ヒョードルが笑顔で親指を立てて俺へと向ける。


「ヒョ、ヒョードルさん……!」


 エッダの眉間に深い皺が走った。


「お前とはもう話さない!」


 宣言通り、しばらくエッダはいつもに輪を掛けて不機嫌そうな顔をしたまま無言であった。

 ……俺へのフォローだったのだろうが、エッダの前で言ったのは逆効果だったのではないだろうか。


 しばらく森を進んでいる内に、大きな岩に囲まれた、地下へと続くトンネルがあった。


「ここが《魔の洞穴》だ。危険度C級、最深部は地下六階層……なかなか狩り場としても難度の高い魔迷宮だ。俺からあまり離れるんじゃないぞ」


 ヒョードルさんが俺とエッダを振り返り、不敵な笑みを浮かべた。


「目標は地下三階層を徘徊する《鉱物の魔ソラス》だ。道中はなるべく急ぎ、日が沈むまでに戻ってくることを目標とする。魔迷宮内での休眠が必要な程の長さじゃないからな。一応準備はしているが、魔迷宮内の睡眠は、俺としては避けたいところだ。お前達にもお勧めしない」


 その理由は聞かずともわかる。

 魔獣に対して大きな隙を晒すことになるからだろう。

 それに地下三階層は一日いれば体調を崩すくらいには瘴気が濃い。

 環境士なしに長居すべきではない。

 そうでなくとも、緊張状態に晒され続け、動きや判断が鈍ったり、苛立ちが募って内部崩壊に繋がったりすることもあるからだ。


 《オド感知・底》は一応使ってはいたが……保有に関しては、黙っておくことにした。

 どうしても必要とあれば明かそう。

 元々、この手の特性は《純人族レグマン》が持っているものではないのだ。

 持っている魔導剣の情報に繋がらないとも限らない。

 ヒョードルさんだけなら相談したかったが、エッダは信用しきれない。

 正直合わない相手ではあるが、そう悪い奴ではないかもしれないと俺も少し考え始めていたが、付き合いが浅すぎるし、身の上も怪しい面が大きい。


 地下一階層で小鬼ゴブリン二体と遭遇し、俺とエッダで一体ずつ相手取ることになった。

 ヒョードルさんが俺の持ち歩いていたマナランプを預かり、俺達に任せてくれたのだ。


 とはいっても、俺のレベルも骸人ワイトと戦ったときからかなり上がっている。

 相手が棍棒を振ってから隙を突くことで、楽々と倒すことができた。


 戦闘の際、ついでに《暴食の刃》で、《闇足》、《暗視》を小鬼ゴブリンからもらっておいた。

 《闇足》は足の裏に闘気を濃く纏うことで地面を滑り、足音を立てない様に素早く動くことができる闘術だ。

 《暗視》は暗闇の中でも薄っすらと周囲のものが見える様になる特性だ。


 エッダの方は一瞬だった。

 俺も戦っていたのでよく見えていなかったが、地面を蹴ったと思えば小鬼ゴブリンの首が跳んでいた。


 レベルは三つ差のはずだが、俺の全力より遥かに速かった。

 本人の戦い方によってレベル上昇の際の各数値の上がり具合に微小な差が出るらしいが、それだけだとは思えない。


「いい戦いだったよ、二人共! なんだ、俺なんていらなかったかもしれないな。ディーン君も、最低限の戦い方はできている!」


「あ、ありがとうございます!」


「ただ、振るときに思い切りが足りない。どうせ小鬼ゴブリン、という思いがあったんだろう。冒険者心得その三! 攻撃の機会には、確実に戦いに尾を引く一撃を狙う癖をつけるべし!」


 ……《暴食の刃》は使う際に剣が重くなるため、深く狙いにくくなってしまうのだ。

 一瞬で見抜かれてしまった。

 いらない欲が出たか。

 小鬼ゴブリンなんてどこにでもいるのだから、単身かマニと二人のときに集めるべきだった。


「エッダちゃんは……《瞬絶》だね。その歳で、《純人族レグマン》の身で、そこまでの《瞬絶》を身に着けられるとはね。いや、嫉妬さえ覚えるよ。魔迷宮で敵を絞ってしっかりレベル上げを行えば、簡単に十くらい上がるかもしれない」


 お、俺より遥かに高評価だった。

 それは仕方がない。確かに、俺とは格が違った。


 《瞬絶》というのは、闘気を瞬間的に発し、通常よりも素早く動くことのできる闘術だ。

 思考も身体も自身の速度についていけず、途中で何度も向きを変える事は難しく、疲労も激しい。

 だが、有ると無いでは対応できる場面が大きく異なる。


 因みに、闘気を用いて身体能力を一時的に強化する闘術は、《絶》と称される。

 ギルバードの運び屋をやっていたキャロルの《聴絶》もこれの一つだ。


「世辞は結構だ、ヒョードル」


 顔色一つ変えず、エッダはあっさりと言ってのける。

 本当にお世辞で褒められた俺が恥ずかしくなるので止めてほしい。


「ふっ」


 俺が俯いていると、エッダが一瞬勝ち誇った様に笑った。

 俺が睨むと、小さく首を振り、すぐに元の無表情に戻った。

 ……今のは彼女も天然だったらしい。

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