第三十話 冒険者ヒョードル

 十五年前、都市ロマブルクの孤児院の庭先にて。


『ヒョードル兄さんは、ここを出たらどうするの?』


 一人の少女が、茶髪の背の高い少年へと声を掛ける。


『俺は勿論、冒険者さ。剣聖ザリオスの様な、正々堂々とした、理想を通す生き様に憧れているんだ! それに冒険者は一攫千金を狙うことができる。将来、俺はこの孤児院に何か恩返しがしたい。そのためには、金を作って寄付をするのが一番早いだろう』


 ヒョードル兄さんと、そう呼ばれた少年が応える。


『冒険者には、身分は関係ない。魔迷宮に立てば皆平等だ。自分の要領の良さと、事前準備が成功者と敗者を分かつ。そういうのって、なんだか燃えるだろう?』


『確かに、ヒョードル兄さんには向いてそうだね……。私なんて、要領が悪いし、運動もできないから、きっと冒険者になっても上手く行かないわ』


『そうとも限らない。アシュは、慎重でマメだ。それに、魔法の素養を確かめるには、実際に魔導器を持って訓練しなければ始まらない。闘術だって、ここでは学べないからね』


 ヒョードルは首を振り、それから顎に手を当てて少し思案する。


『今大事なのは、自分の素養を探すことじゃあない。自分がなりたいものを探すべきじゃないか? 俺は半年後に十三歳になり、アシュより一年先にここを出ることになる。アシュがそのときに冒険者になりたかったら、その頃には冒険者の常識を身に着けた俺が、しっかりとお前を鍛えてやろう。それで駄目だと思えば、そのときに別の道を一緒に探してやる』


『ほっ、本当! 孤児院を出ても、あたし、ヒョードル兄さんと一緒にいられる?』


 アシュが嬉しそうに言い、ヒョードルが苦笑する。

 ヒョードルはぴしっと人差し指を上に向け、手を突き出す。

 これは声を張り上げる前に注意を集めるための動作で、彼の癖の様なものであった。


『だが、アシュ、俺がここを出ても、算術と神学、文字の勉強は怠るんじゃあないぞ。冒険者には必須とは言わないが、他の職を探す際に、この三つができていないとその時点で弾かれてしまうことも多いんだからな! これができていないと、狩り仲間パーティーに入れてやらない! ……かもしれないぞ』


『う、うん、わかった』


 アシュがこくこくと頷く。


 そこへ一人の老人が近づき、二人の背へと声を掛けた。


『ヒョードル君はしっかりとしておりますな。……しかし、別に軍から助成金もしっかりと出ていますから、そこまでお金のことを心配してくれなくてもよいのですがね』


 彼はこの孤児院の院長、ラーズであった。


 リューズ王国では魔獣や他国からの攻撃に備えるため、国内の大きな都市には軍が派遣されており、彼らがその地の支配権を握っている。

 魔獣討伐や他国の警戒に加え、徴税から都市の管理、各施設への助成金の交付も彼らの役割なのだ。


『こういったことは、気持ちの問題だと思いませんか、ラーズ先生。そういう話は抜きにして、期待して待っていると励ましてください。そっちの方が俺もやりがいがありますから!』


***


 《ロマブルク地下遺跡》から帰還し、《都市ロマブルク》へと戻った俺は、早速今回の戦利品を換金することにした。

 骸人ワイトの闘骨を一つ、小鬼ゴブリン中鬼ホブゴブリンの闘骨を二つずつ冒険者ギルドで売り払い、約八万テミスを手にすることができた。


「まさか、こんな大金が一気に手に入るとはな……」


 貨幣袋の重みに俺は感動する。

 ちょっと前までの一か月分の労働対価が、たったの一日で手に入ってしまった。


 これでもまだ、黄金魔蝸ゴルド・マイマイの闘骨と魔蝸金マイマルゴを残しているのだ。

 魔蝸金マイマルゴはマニが興味津々であったため、残すこととしている。

 黄金魔蝸ゴルド・マイマイの闘骨も、とりあえず残しておくこととなった。


 闘骨はどこに売っても、買い戻すときには倍近い額になることが常である。

 C級魔獣の闘骨などなかなか手に入るものではないため、現在はマニに保管してもらっている。


 マニも以前、鍛冶用以外の魔導器が欲しいと零していたことがある。

 売るのはいつでもそう難しくはないのだし、ひとまず手許に残しておくべきだろうと判断したのだ。


 そこへ、拍手の音が聞こえて来た。

 なんだろうと振り返ると、背の高い、眼鏡を掛けた人がいた。

 俺のよく知っている人だった。


「ヒョ、ヒョードルさん……! 戻ってきていたんですね」


「おめでとうディーン君。俺はしばらく、離れた地にある魔迷宮へと連日潜っていたから知らなかったけど、いつの間にか運び屋を辞めて、剣士として戦っていたんだね。カッコいい魔導剣じゃないか、なかなか様になっているよ」


 周囲がなんだか騒がしいと思ったら、ヒョードルさんが帰って来ていたのか。

 ヒョードルさんは、都市ロマブルクを拠点とする冒険者の中でも、間違いなく五本の指に入る実力者である。


 背負う魔導槍は《風読みの槍ヘイル[C]》といい、本人も隠さず周囲に話しているため、ロマブルク内の冒険者は皆知っている。

 風の魔法を操り、敵の隙を誘って確実に長槍で敵を仕留める戦闘スタイルを取る。


 ヒョードルさんは実力があるにも拘らず、運び屋時代の俺を二回も雇ってくれ、ばかりか色々と助言をくれ、報酬におまけまでつけてくれた聖人である。

 冒険者ギルド内に新顔がいれば、真っ先に声を掛けに行くことも多い。

 おまけに報酬の大半を自分が育った孤児院への寄付に回しているという、完璧超人っぷりである。

 最初にヒョードルさんの話を聞いたときには、そんな人間いるわけがない、嘘くさいと疑ってしまったくらいだ。

 報酬金を値切り、その上で後から文句をつけて引き下げ、俺に《デコイ》を掛けて魔迷宮に置き去りにしてくれたどこかのクズとは天と地の差である。


「それは、今受け取ってきた報酬金かい? なかなかのものじゃないか。マニちゃんも、これで安心だね」


「ちゃっ、茶化さないでください! 俺とマニは、まだその、そういう感じではないっていうか……えっと……あ、いや、まだっていうか!」


「君が照れるのか……」


 ヒョードルさんが少し残念そうに目を細める。


「騒々しい奴らだ。ヒョードル、立ち話が長くなるなら私は行かせてもらうが」


 銀髪の、俺と近いくらいの年齢の女だった。

 整った鼻に、陶器の様に白い、綺麗な肌をしていた。

 美人ではあったが、つい目を逸らしたくなるほどに冷たい深紅の目が、どこか不吉な奴だった。

 細身の、背丈ほどある魔導剣を背負っている。


 冒険者ギルドどころか、都市ロマブルク内でも見た記憶がない。

 こんな印象に残る奴は、一度見れば忘れないだろう。


「彼女はナルク部族という、軍の手の入っていない、魔獣に溢れた未開地を旅して回ってきた部族の末裔らしいんだ」


 ナルク部族は知っている。

 千年前、リュード王国成立前の荒れていた時代から、小国の間を旅して大陸を回っており、様々なところから命を狙われ続けながらも自由に生き続け、《純人族レグマン》最強の部族と称されている。

 自身の部族の外と群れたがらず、秘密主義であるため、その全貌は明らかになっていない。

 だが、独特の文化を持ち、異界に眠る強大な魔獣と契約して人間離れした力を得ているとされている。

 一生関りのない連中だと思っていた。


「俺が帰還してくるときに、たまたまロマブルクで出会ったんだ。彼女は名をエッダという」


 なるほど……ナルク部族は、本来人里近くを歩くことはないという。

 ヒョードルさんは、知らない文化の中で困っている彼女を無視できなかったのだろう。

 しかし、ナルク部族が単独で街を歩いているなど、まずあり得ないことに思えるのだが……。


「あまり人のことをぺらぺらと語ってくれるな、ヒョードル。気分が悪いぞ」


 エッダが赤い、死神の様な目をヒョードルさんへと向ける。


「ああ、すまない、配慮が足りなかった」


 ヒョードルさんが苦笑いしながら頭を下げる。

 しかし……さすがのヒョードルさんも、助ける相手は選んだ方がいいのではないだろうか。

 どうにも彼女からは、不吉なものを感じる。

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