第十話 意地と夢

 酒場、《魔蟇フローグの舌亭》へと辿り着き、二人で店の中へと入った。

 奥の席へと二人で座る。


「《鬼鶏オーガチキンのパイ》と、《青舌魚ベロフィッシュのムニエル》を二人前ずつ頼もうか。それから高級粘液酒スライムルをくれ! ははは! 今日の私は、気前がいいだろう?」


 不気味なほどにテンションが高い。

 だが、虚勢なのはわかりきっている。


「おお、酒が来たな。ああ、私が注ぐ。勿論だろう? では、我が親友の無事を祝福し、乾杯だ! ははは! どうだい、こんな大判振る舞い、食べたことがないだろう、ディーン君には!」


「いい加減、なんのつもりなのか口にしたらどうだ?」


 ギルバードは前髪の毛先を摘む。


「……どうだい? 私なりに奮発してみた。これで、あの件は、チャラということにしてもらえないかな?」


「お前は、何を言ってるんだ?」


「運び屋に《デコイ》を掛けて逃げて来たなんて話が上がったら、この先まともに狩り仲間パーティーが組めなくなってしまう。私は、それだけは本当に困るんだ。ああ、ディーン君も言いたいことがあるのはわかるともさ。だが、子供の様な真似は止めて、ここはお互い大人になろうじゃないか」


「ふざけているのか?」


「私は大真面目だ。よかったじゃないか、拙い結果論ではあるが、皆無事じゃないか。もしもあのとき、私がディーン君に《デコイ》を掛けなければ、三人とも死んでいたんだ。狩り仲間パーティーのリーダとして、私にはモーガンだけでも連れ帰る責務があった。私は、最良の選択をしたんだ。そうだろう?」


 ギルバードは手の振りを付けながら、必死に俺へと弁舌を振るう。


「……お前、そんな理屈で俺が納得すると思ってるのか!」


「大人になろうよ、なぁ、ディーン君。いや、わかっている。納得しないと思ったから、この場を設けさせてもらった。私は、本当にその話を蒔かれるのは止めてほしいんだ」


「それはお前の勝手な事情だろ!」


「そうだね、私の勝手な事情だ。でも、ディーン君がどうしてもそうするというのならば、私は全力で否定し、別の在りもしない話を持ち出して君を否定するかもしれない。そうなると……ここにいられなくなるのは、果たしてどっちかな? 状況は不利だけど、影響力は私の方が遥かに上なんだ。マニちゃんだったかな? 彼女にも凄く迷惑が掛かるかもしれないね」


 ギルバードが俺へと、引き攣った顔を向け、媚びとも見下しとも取れる、不快な笑いを向ける。


「お前……!」


「私は申し訳ないと思っているし、こんな手段は取りたくはない! だから、お互い大人になろうじゃないか。私は動揺していて、君が死んだと思い込んでいただけなんだ。それでいいじゃないか、誰も傷つかない。今後は変に値切らず、通常相場の値に近い値で固定狩り仲間パーティーを組んであげたっていい。どうだい、嬉しいだろう? なぁ、今のままじゃ、まともに食つなぐことだってできないんだろう? 至りつくせりじゃないか!」


「…………」


 俺は目を瞑り、気を落ち着かせた。

 自分に必死に、これは仕方のないことだった、と言い聞かせる。


 俺は殺されかけた。でも、結果的には皆生きている。

 それでいいじゃないか。確かにギルバードの立場だと、ああせざるをえなかったのかもしれない。そうだ、そうなんだ。


「……わかった」


 押し殺す様な声で俺は言った。


「ふ、ふふ、そうだ、弱い奴が悪いんだよ、運び屋が」


 ギルバードの声が弛緩し、唇の隙間から小さな呟きが漏れる。

 気が緩み、思わず漏れた言葉。本人もそれに気が付いてないようだった。

 きっと、本音が出たのだろう。

 ギルバードが俺に《デコイ》を掛けたときにも口にしていた言葉だ。


 悔しかった。

 しかし、それ以上に情けなかった。

 俺に力がないから戦鼠ムースの囮にされて、力がないから戻って来ても自分を殺しかけたギルバードを非難することさえできはしないのだ。

 自分を無理に騙したことにして、納得した振りをするしかない。

 逆に自分や、親友のマニに対して脅しを掛けられる始末である。


「料理をお持ちいたしました」


 店員の女が、《鬼鶏オーガチキンのパイ》と、《青舌魚ベロフィッシュのムニエル》を二人前運んで来る。


 いい匂いがする。匂いが、空腹の胃に染み込むようだった。

 胃が空腹に駆られ、わずかに動いた様な感覚さえ味わった。

 俺なんかじゃあ、とても買おうとさえ思えないような値の張る料理だ。


「どうだい? な、ディーン君! 君なんかじゃあ、自分でこんな料理を買おうとも思えないだろう? 美味しそうだろう? これは本当に美味しいんだ。私は魔迷宮でツイていることがあったとき、いつもモーガンの奴と来てこの料理と酒を頼む」


 俺は机を叩き、立ち上がった。


「俺から、もうあの話はしない。だから、お前も一生俺に関わるな!」


 俺はそう叫び、その場を後にした。

 腸が煮えくり返りそうな想いだった。

 それでも空腹に疼いた自身が憎い。

 力がないというだけで、ここまで馬鹿にされなければいけないものなのだろうか?


 夕日が差した道を歩く。

 橙の雲が少し滲んで見えた。

 俺は服の袖で目を拭った。


『だから妾は言ったであろう、ディーンよ。あんな男と関わっても、ロクなことにならんとな。しかし、せっかくであるから、あれくらい馳走になればよかったのに。あやつの言うことにさほど理があったとは無論思えぬが、もう少し大人になってもよかったのではないか?』


 ベルゼビュートが思念を送ってくる。

 わかっている。


 俺が子供だったがために、いらない恥を掻くことになった。

 料理だって無駄になった。

 運び屋の安定した仕事の話だってなくなった。

 もしかしたら、ギルバードから余計な恨みを買うことになったのかもしれない。


 ちょっとしたプライドを通すために、多くのものを無駄にした。

 わかっているが、どうにもならないんだ。

 きっと何千年も生きて来たような悪魔には、人間の悩みなんて、ちっぽけすぎてわからないだろう。


「だけど、こんな小さなことでもどうにもならないのが人間なんだ」


『そうなのであろうな。しかし、そういうニンゲンの弱さは、妾は嫌いではないぞ』


「頼みがあるんだ、ベルゼビュート。俺は、本気で冒険者がやりたい。お前の力を貸してほしい」


『フフン、よかろう、ディーンよ。元々、貴様には《プチデモルディ》の上位魔法を覚えてもらわねば困るのでな。最初からもっと強い奴を捜すのもいいが、偶然とはいえ妾を拾ったのは貴様である。それに妾も貴様のことは嫌いではないぞ』

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