第八話 懸念

「大悪魔ベルゼビュートの魔核……」


 マニが俺の言葉を確認するように繰り返した。


「ああ、疑う気持ちはわかるけど、本当なんだ」


「……いや、疑ってはいないよ。ディーンは昔から、こういう嘘は吐かないからね。それに《イム》が通じないし、自我がある魔核なんて見たこともない。本物のベルゼビュートでないにしろ、高位の悪魔には間違いないと思う」


 マニが手でベルゼビュートの魔核に触れる。


『あまり気安く触ってくれるでないぞ』


「……ディーンはこの悪魔、どうするつもりだい?」


 マニが俺へと目を向ける。


「どうするっていうのは……」


「大事になったら、軍が目をつけるのは時間の問題だと思う。冒険者にしろ軍人にしろ、どれだけ高価な魔導器を持っているのかが地位に直結するからね」


 マニが眉間に皺を寄せて俺の顔を見ながら、思案気な表情を浮かべる。


「それは……」


 少し、軽々しく捉えていたかもしれない。

 ここまでマニ以外の人間にベルゼビュートの魔核についての話をしなかったのは正解だっただろう。


「特に都市ロマブルクの周辺一帯の地を仕切っているマルティ魔導佐は、裏で結構非道なことをやっているっていう話だよ。あの男の耳に入ったらどうなることか……。もしかしたら、洞窟を出た時点で適当なところに捨てておくのがベストだったのかもしれない」


『んなっ! わ、妾はディーンの恩悪魔であるぞ! 何ということを言う! ディーン! 妾、こいつ嫌いであるぞ! 気分を害した!』


 ベルゼビュートの魔核がちかちかと光り、机の上を右往左往する様に転がる。

 これくらいだったら動けたのか。


 しかし、マニの言うことも一理ある。

 俺は貧困生活から逃れるきっかけになるかもしれないと浮かれ、あまり深くは考えていなかったかもしれない。


『してディーン、なんだその軍とやらは?』


「悪魔には聞きなれない言葉か。えっと……」


 どう説明したものかと言葉に詰まると、マニが小さく手を上げた。


「僕から教えるよ。軍っていうのは、このリューズ王国の国営の自衛組織だと考えてくれればいい。他所の国への牽制と、各地を荒らす暴徒や魔獣、悪魔への対策が大きな役割となっているんだ」


 軍人と冒険者との大きな違いは、生活と地位が保障される代わりに、自由な魔迷宮の探索ができなくなり、軍務とあれば危険な地であろうとも簡単には逃げられない責任を負うことになる、という面にある。


 また、軍内に血縁者でもいない限り、相当の実力がない限りは軍に入ることは難しい上に、入っても一般的に出世は見込めないとされている。

 実力第一主義を謳ってはいるものの、暗黙の了解という奴である。


 一般人が軍に入るためには厳しい条件がいくつかあるが、一番わかりやすい指標として【Lv:25】以上の者、という制限がある。

 無論人によって大きく差異はあるが、この値は冒険者として十五年間以上戦い続けたベテランがようやく到達できるラインであるとされている。


 無論、中に入っても血縁組にこき使われるだけだというが、それでも冒険者よりは暮らしも楽で安全性も高いため、基準を満たした冒険者の多くは軍への所属を望むことが多い。


「王を中心に据えて、王国内に東西南北の四つをそれぞれに仕切る四人の魔導将と、その中からここ都市ロマブルクの様な大都市を拠点として各区域を守る魔導佐が存在するんだ。その下に部隊長である魔導尉が複数名ついており、魔導尉の部下の一般兵へと続く」


 マニが俺に代わってきっちりと説明してくれた。


『……妾はディーンに尋ねたのだがな』


 ベルゼビュートが不服そうに答える。


「俺はその、あんまり長いことを説明するのが苦手だからな」


『まぁ、だいたいはわかった。いつの時代も、似たような制度はあるものであるからの』


 ……都市において、事実上直属の統治者である魔導佐の影響力は大きい。

 特にこの都市ロマブルクのマルティ魔導佐は、あまり評判がよくなく、後ろ暗い噂が多い。

 彼がこの地の魔導佐となって十年近く経つが、税が上がったせいで貧民街が拡大化し、おまけに魔獣被害が出ても冒険者を当てにして軍を動かさないことが増えたという。


 マルティ魔導佐のやり方に刃向かった魔導尉が、派遣された先の地で野盗に殺されたという話もある。

 彼が他の部下を仕向けて暗殺したのではないかという噂である。


 もしマルティ魔導佐がベルゼビュートの魔核のことを知れば、俺を殺してでも奪おうとするかもしれない。

 軍部には高レベルの魔導器使いが何人もいる。

 俺が《プチデモルディ》で多少のレベル上げを行ったとしても、とても敵う相手ではない。


「……」


『おっ、おい、ディーン! まさか貴様、妾を本気でどこかに捨てるつもりではないであろうな!』


「い、いや、人目につかないところには置かないから……。次に拾ってくれた奴は、きっと有効活用してくれると思うぞ」


『きっ、貴様ぁ! あんなに真っ当な冒険者に憧れておると言っておったではないか! この妾が! 不本意ながらに! 力を貸してやろうと言っておるのだぞ! それをこんな、土偶鬼ニョロムみたいなひょろっとした奴に言い来るめられて……! 妾は約束した《地底苔ボトムモアのスープ》も馳走してもらっておらんぞ!』


 ベルゼビュートの魔核が机の上をごろごろと転がり、わずかながらに跳ねた。

 お前、そこまで動けたのか……。


「約束はしていないし、前も言ったけど、あれそんな美味しいものではないからな!?」


 マニが顎に手を当てて考え込む。


「……この前に依頼でついていった人が、落物堂の店主と繋がりがあるらしいんだよ」


「落物堂と……」


 落物堂というのは、魔迷宮で倒れた冒険者の荷物や盗品などを買い取って売っている店である。


 本来、冒険者の遺品はこの都市ロマブルクでは、軍部が魔獣調査のためという名目で預かることになっている。

 ……そして大抵の場合、そのまま返ってくることはない。

 使えそうなものは軍の備品とされているのだろう。


 落物堂の様に、軍部に預けずに横から掠め取って売買するのは犯罪行為に該当する。

 後ろ暗い店ではあるが……俺達貧民街の住人が生きていくためには、多少の悪事も止むを得ないときもある。


「あそこなら、怪しい悪魔の魔核っていうことで、云十万テミス単位で売ることもできるかもしれない。もっとも、本来の価値の百分の一にも満たないだろうけど……」


「…………」


 俺の手ではまともに金銭に換えることさえ難しい。

 そう考えれば悪い話ではないのかもしれない。


『き、貴様ら、この妾を売り飛ばそうと画策しておるのか! 七大罪王、ベルゼビュート様であるぞ!? そんなことが許されると思っておるのか!?』


 ベルゼビュートの魔核が、机上にて円を描く様に回った。

 ちょっと気が散るから止めてほしい。


「……少し、考えてみる」


『よくぞ思い留まったぞ! 妾が下僕と認めただけのことはある!』


 ベルゼビュートの魔核が跳ねる。

 マニが不安そうにその動きを目で追っていた。


「まぁ、どうするつもりであっても、僕はディーンの選んだ道を応援するよ。落物堂に連絡が取りたいなら取次できないか頼んでみるから、どうするつもりかだけはっきり決めたら、教えておいてほしいかな。それなりに頼りになれる自負はあるからさ」


「……ありがとう、マニ」

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