第七話 鍛冶師マニ

 《戦鼠の巣穴》を脱した俺は森を歩き、川で水を呑み、汚れた衣服を洗って木に吊るした。

 生乾きの衣服を着直して、行きにも立ち寄った《戦鼠の巣穴》の近辺にある村を訪れた。


 村の人の話では、三日前にギルバードとモーガンが来たらしい。

 あいつらは帰りにも立ち寄っていたようだ。


 その際に奴は『同行していた男は戦鼠に殺された』と言っていたらしく、俺を見かけたときには酷く驚いていた。

 よくも言ってくれたものだ。

 あいつがやったことを教えてやろうかとも思ったが、今回は黙っておくことにした。


 金銭の持ち合わせが少なかったため、村の人に頼んでギルバードの予備の魔導剣に用いられていた闘骨を二万テミスで買い取ってもらった。

 都市なら倍の値で売れただろうが、仕方がない。


 本当なら彼らだって、闘骨なんていらないのだ。

 この村には魔導器を造ることのできる職人なんていない。

 闘骨なんて買い取っても、換金に手間が掛かるだけである。

 だが、俺の事情を見て、仕方なく金に換えてくれたのだ。


 それにギルバードの武器を安値で売っぱらってやったと思うと、少しだけ気持ちが晴れた。

 ただ、魔核の方は都市に帰ってから売ることにした。


 俺は闘骨を売って手に入れた金で衣服を買い、食糧を調達することができた。

 ベルゼビュートの魔核を隠すための布も村の人から購入した。


 帰りは荷物もなく、俺一人であるため、馬車は使わずに徒歩で帰ることにした。

 二日掛け、俺の生活基盤であり、冒険者ギルドのある都市ロマブルクへと帰ることができた。


 帰った俺は、まず都市ロマブルクの貧民街の奥地に住まう、親友のマニの元を訪れることにした。

 マニは伝説の鍛冶師と称されたガヴェンを祖父に持っており、彼女の家は代々鍛冶屋を生業としている。


「俺を心配してくれているのは、マニくらいだろうからな。冒険者ギルドにも知り合いはいるけど、あいつらは俺が死んだって聞いても、ああついに死んだか、くらいにしか思わないだろうからな」


 俺は周囲の目を気にしつつ、布袋に隠したベルゼビュートの魔核へと声を掛けた。


『死んでも心配してくれる者が、貧民街の鍛冶娘しかおらぬのか。色気がないのう。妾はもう少し華のあるところへ行ってみたかったが』


 失礼なことを言ってくれる。

 ……しかし、ベルゼビュートは大悪魔にしては、随分と俺に親身に話をしてくれる。


 伝承に出て来る悪魔は、残虐で無責任で、人間を玩具としか思っていないような奴らばかりであった。

 俺を何か、騙して利用してやろうと考えているのだろうか。

 いや、自身の力ではまともに動くこともできない、自身の身を鑑みての打算的なものなのかもしれない。


『ま、土の下に比べればどこだっていいのだがな。それよりディーン、貴様の親友とやらにも興味がある。だが、妾は今、手も足もない身である。あまり妾をほっぽりだして、寂しい想いをさせてくれるなよ?』


 ……単に百年土の下生活を送っている間、会話相手がさぞ恋しかっただけなのかもしれない。


『しかし、なぜそのような家系の者が、貧民街暮らしなどしているのだ?』


「伝説の鍛冶師ガヴェンは、とんでもない賭博狂いだったらしい」


 マニの父の代には、莫大だったはずの彼の富は既になくなっており、この貧民街に移り住んで、細々と鍛冶屋をやっていたのだそうだ。


『欲に目が眩んで破滅したか。まぁ、珍しいことではないわな』


 マニの保有している鍛冶用の魔導器はそれなりのものらしいが、消耗品がまともに揃えられず、維持するだけでも精一杯なのだそうだ。

 

 彼女も鍛冶屋というより、鉱物知識と錬成魔法(アルケミー)を活かし、採掘士として魔迷宮に潜ることの方が本業となっている。


 マニには専門技能があるので運び屋の俺の様に露骨に軽んじられたり、報酬を値切られたり、仕事が見つからずに生活難に陥ったり、というような機会はあまりないらいしい。

 しかし、扱いが最悪ではないというだけで、俺とそこまで大差のない生活を送っている。


「着いた、ここだ」


 マニの鍛冶屋の扉には『休業中』と書かれた板が張られていた。

 物音が聞こえたので、中に人がいないわけではないらしい。

 俺は扉横に備えられた、呼び出し用のベルを鳴らした。


「……こんなところまで来ていただいて申し訳ありませんが、しばらくは休業にする予定です。今は、槌を振るう気になれなくて……」


 マニの声が返ってくる。


「俺だ、ディーンだ。入ってもいいか?」


「ディッ、ディーン!? 生きていたのか!」


 扉が勢いよく開けられ、頭に赤のバンダナを巻いた黒髪の女が現れる。

 女は装着していたゴーグルを額へとずらし、大きな猫目を瞬かせた。

 彼女がマニである。マニは俺より一つ上で、十八歳である。


 鍛冶屋の中に入れてもらい、《戦鼠の巣穴》で起こったことを話した。


「……まだ浅い階層だったのに、戦鼠ムースが大量に出没していてさ。どうにか狭いトンネルに飛び込んで難を凌いで、日数を掛けて《戦鼠の巣穴》から出ることができたんだ。本当に酷い目にあった」


「本当によかったよ……。全くディーンが姿を見せに来ないから、僕も冒険者ギルドの方に確認してみたんだ。そうしたら死亡報告が出されていたものだから、てっきり本当にディーンが死んじゃったのかと思っていたよ」


 マニが深く安堵の息を吐く。

 彼女の目からふと涙が漏れる。

 彼女は苦笑しなら自身の指で拭った。


「……それより、悪い。マニに打ってもらった《貧者の刃ポポ》なんだが、《戦鼠の巣穴》から逃げるときに落としてきてしまった」


 あの魔導剣は闘骨と魔核はどうにか俺が買い集めたものだが、金属含めての他の材料の用意や作業費などは、マニが無償で行ってくれたものなのだ。


「命の危機だったんだから、そんなもの気にしないでくれよ。しかし、魔導剣がないんじゃ困ったね……」


 そう、あの《貧者の刃ポポ》でも闘骨と魔核の準備に六万テミス、他の素材と作業費を合わせれば十万テミスを軽く超えてしまう。

 ただでさえマナランプや採取道具を失い、ギルバードから報酬を受け取ることもできなくなってしまった身としては、容易に用意できるものではない。


 別に魔導剣がなくても運び屋ができないことはないし、マナランプと採取道具だけならどうにか揃えることはできるが、待遇は普段よりも更に悪くなるだろう。


「……実は、相談したいことがあるんだ。《戦鼠の巣穴》を越えられたのは、俺だけの力じゃない」


 俺は手にした布を開き、中からベルゼビュートの魔核を取り出した。


「これは、魔核……? とても綺麗だね。並みのものじゃないようだけれど……少し、触ってみてもいいかな?」


 マニがそうっと手を伸ばす。


『ほう、妾のことは黙っておくつもりなのかと思ったぞ』


 ベルゼビュートの魔核が思念を発する。

 マニがびくりと手を止め、目を見開いた。

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