第六話 戦鼠

 休息を取った俺は、気を取り直してこの《戦鼠の巣窟》を脱出することを決意した。

 とはいえ《プチデモルディ》で生み出したベルゼビュートの化身が本当に戦鼠ムースに通用するのかは謎だ。


 ベルゼビュートは確かに大した大悪魔なのだろうが、発動するのは俺なのだ。

 それにベルゼビュートの化身が戦えたとしても、この階層にどれだけの戦鼠ムースがいるのかはわからない。


 先に俺の魔力が切れて、ベルゼビュートの化身を呼び出せなくなって殺されることだって考えられるのだ。

 だが、食糧がもうない。

 それに俺も、この魔迷宮生活にそろそろ限界が来ていた。


 ベルゼビュートはよく百年間も持ったものである。

 俺は秘かに敬意を抱いた。


『行くぞ、ディーン。しくじるでないぞ』


「あ、ああ。自信はないけど、絶対帰るって気持ちでやるよ」


 俺は荷物を最小限だけに纏める。


 ギルバードの予備の武器を潰して手に入れた闘骨と魔核、貨幣袋、鬼羊ゴゴートの胃を使った水入れ、《貧者の刃ポポ》にベルゼビュートの魔核。

 食器や解体用ナイフ、採掘用ハンマー、マナランプや予備の火炎石は置いていく。


 余計な荷物は戦闘の邪魔になる。

 今の俺は運び屋ではない。自らが戦いの場に立つ必要がある。

 少し勿体ないが、マナランプも諦めることにした。


 ベルゼビュートの魔核が光を発しているため、完全な暗闇ではない。

 足許くらいは照らすことができる。

 それで足りない場面があれば、そのときだけ《トーチ》を使えばよいのだ。


 俺は灯りとしてベルゼビュートの魔核を掲げ、ごつごつとした道を歩く。

 視界が狭いのは怖い。何が出て来るのかわかったものじゃあない。

 足場が上手く見えないせいで前に進むたびに躓きそうになり、一歩一歩無意味に体力を消耗していくのを感じる。


『随分と脅えている様であるな』


「そりゃ怖いさ、大悪魔様にはわからないだろうけど。でも、少しだけわくわくするよ」


『ほう?』


「俺は今までずっと、魔迷宮に潜っても、補佐役ばかりだった。こういうのは初めてなんだ。自分で先頭を歩いて、戦闘になったら自分が前面に立つっていうのは。昔から、こういう冒険に憧れていたんだ」


『か弱いニンゲンだからこそ味わえる感慨であるな』


 ベルゼビュートの魔核が俺をからかう様に明滅する。


「……茶化すなよ」


『だが妾らは、そういうニンゲンならではの感情や欲、願望は嫌いではないぞ。妾はこれ以上土の中に埋もれている気はないのでな。たかだか戦鼠ムース如きを相手に死んでくれるではないぞ』


「俺だってその気はないよ」


 薄暗い内部を進んでいると、がさり、がさりと、周囲から戦鼠ムースの動く音が聞こえて来た。

 俺は足を止める。


 戦鼠ムースは闘気を用いて、聴覚を強化することができる。

 それが互いの位置を探る上で、人間に対して戦鼠ムースが持っているアドバンテージである。

 じっとしていれば、遠くへ行ってくれることもあるはずなのだ。


 ……だが、だんだんと俺の方へ、戦鼠ムースの足音が接近してくる。

 ここは通路の数がそもそも少ない。

 場所の見当を付けられてしまったようだ。


 俺は覚悟を決め、左手にベルゼビュートの魔核を抱えながら、逆の手で《貧者の刃》を握り締める。

 戦鼠ムース達の足音が一気に早くなった。

 足音の重なりから、敵の数が四体だとわかった。


 俺はベルゼビュートの魔核を掲げ、前方を照らす。

 四体の戦鼠ムースの姿が見えた。


 目標は、撃破ではなく突破である。

 俺の魔力だと、ベルゼビュートの顕在化はそう長くは持たない。


「《プチデモルディ》!」


 魔法陣が浮かび、そこを潜るようにして顕在化した、青い肌の少女が姿を現す。


「下位悪魔程度の力しかないが……久々に暴れられるわい」


 ベルゼビュートが舌舐めずりする。

 俺も彼女に続いて走る。


 先頭に立つ戦鼠ムースが、彼女へと太い腕を振り下ろした。

 爪が輝いている。


 戦鼠ムースの闘術、《裂爪》だ。

 闘気を用いて瞬間的に爪の硬度を引き上げ、獲物を切り裂く技である。


「ベルゼビュート、危な……!」


 ベルゼビュートは細い腕で戦鼠ムースの《裂爪》を受け止めた。

 腕から青い血が滴り落ちるが、依然腕を上げた構えのままであった。


「脆いな……まぁ、下位の魔法で作った仮初の肉体であれば、こんなものであるか」


 ベルゼビュートはそう口にした後、防ぐために上げた腕を引き戻し、戦鼠ムースの腹へと振った。

 それだけで戦鼠ムースの巨体が吹き飛ばされ、壁へと背を打ち付けていた。

 戦鼠ムースも何が起こったのかわからないというふうに呆然としている。

 腹部には大きな傷が生じ、血が溢れ出ていた。


 俺は仲間が飛ばされたことに驚いて硬直している戦鼠ムース達の横を駆け抜けた。


 他の戦鼠ムースが俺に気が付き、大爪を振りかぶる。

 俺はそれを《貧者の刃ポポ》の刃で受け止めた。

 手が痺れる。

 刃が砕け、俺は柄を手放した。

 だが、爪の軌道は逸れてくれた。


 俺は体勢を崩しながらも先へと走る。

 戦鼠ムースは続けて腕を振り上げるが、ベルゼビュートの爪が、戦鼠ムースの腕を切断した。


「す、すげぇ……」


 続けてベルゼビュートの突き出した爪が、戦鼠ムースの下腹部に突き刺さる。


「貴様ら動物は、ここが弱点なのであろう?」


 戦鼠ムースの身体が痙攣する。

 ベルゼビュートがぺろりと舌舐めずりし、肉を掻き出しながら爪を引き抜いた。

 戦鼠ムースが白目を向いて舌を伸ばし、その場に倒れた。

 闘骨が破損すれば、魔獣は生命を維持することが困難になる。


 無論、戦鼠ムースならば腹部をそこまで蹂躙されただけで死に至るのだが、恐ろしい耐久性を持つ化け物を相手取る際には、闘骨を狙うことも戦いのテクニックとなる。

 ……もっとも、俺にそんな化け物と対峙する機会は来ないが。


 闘骨を失った戦鼠ムースが死んだらしく、身体から暖かな光が漏れ、俺へと向かって飛んでくる。

 あれはオドの輝きだ。

 ベルゼビュートを《プチデモルディ》によって顕在化した俺へと、戦鼠ムースを倒した分のオドが入るようだ。


 俺は戦鼠ムースから走って逃げながら、《イム》を発動して自身の情報をチェックした。

 【Lv:8】から【Lv:13】へと、一気に五つも上がっていた。


 俺は信じられない気持ちだった。

 【Lv:13】は、補佐ではなく戦闘役としての冒険者を始めることができるレベルの最低限のラインだとされている。

 この値のレベルがあれば、他の冒険者達と組んで、戦闘要員として魔迷宮へと挑むことができる。


 魔導剣が《貧者の刃ポポ》しかなかった俺は、レベルを一つ上げるのだって一年以上掛かっていた。

 それが、一気に五つも上がっていたのである。


 ……このベルゼビュートの魔核を使えば、俺のレベルをもっと上げられるかもしれない。


「つっ!」


 頭痛を覚え始めた。

 そろそろ限界のようだ。

 だが、今消せば、残る三体が俺を追って来るかもしれない。

 俺は頭痛に耐えながら走り続けた。


 今は長くは持たないが、俺の魔力が上がればそれだけ《プチデモルディ》を維持していられる時間も長くなる。

 そうなれば、更に多くの魔獣を狩ることだってできるようになるはずだ。


 俺は冒険者として生活できるようになり、食に困ることはなくなるかもしれない。

 ギルバードの様な奴に扱き使われ、最後には魔獣の囮にされるようなこともなくなるのだ。

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