第五話 造霊魔法

 俺はベルゼビュートから《プチデモルディ》の魔法を習うこととなった。

 魔法を教わることには憧れていたが、まさか《戦鼠の巣窟》で七大罪王の魔核から魔法を教わることになるとは思っていなかった。


 魔法を発動するためには脳内で魔法陣を鮮明に作り上げ、同時に引き起こす事象を細部まで頭の中で再現し、必要に応じて自分の中のオドを必要な種類の魔力へと変換する必要がある。

 高位の魔法であれば、一つ修得するのに生涯を要するという。


 まずは造霊魔法トゥルパ自体の練習を行うために、ベルゼビュートの教えの元に、小さなひよこを生み出す訓練をしたが、なかなか成功しなかった。


 半日かけて成果がなかったため長丁場になると判断し、俺は服を破いてベルゼビュートの魔核を腕に括りつけ、《貧者の刃ポポ》を使い潰すつもりでトンネルに突き立てて上へと登った。

 顔の周囲くらいならばベルゼビュートの輝きで十分に照らすことができた。


 ギルバードに《デコイ》を掛けられ、戦鼠ムースに殺されかけた場所へと戻ってきた。

 俺は周囲を警戒しながら移動し、自分が捨てた荷物を確認する。


 ……荷物の中の、ギルバードの予備の魔導器やマナランプは、戦鼠ムースに踏まれて粉々になっていた。勿体ない。

 とりあえず俺はギルバードの魔導器を近くにあった石で叩き、罅を広げて砕いていく。


『何をやっておるのだ? 食糧が狙いであったのだろう?』


「……闘骨と魔核だけでも回収できれば、十万テミス程度の金にはなる。どっちもD級前後の魔獣と悪魔のものであるはずだ」


『呆れ果てた見苦しさであるな』


 ベルゼビュートがいっそ感心する様に言う。


 確かに俺だって恥ずかしい。

 こんな事態なのに、奴らの魔道具をがめることにまず意識が向いてしまった。


 だが、金がないというのはそれだけ辛いことなのだ。

 今は生きていくだけでも苦しい。

 親友のマニから生活苦のあまりに借りた一万テミスも、まだ返せていないのだ。


 マニは急かすようなことは言わないが、あいつだって生活が裕福なわけでは決してない。

 どうにか一万テミスの余裕を作りたいと考えていたところに、この戦鼠ムース騒動である。

 本当に嫌になる。


 当然といえば当然だが、目的の食糧は残っていなかった。

 しかし鬼羊ゴゴートの胃を使った水入れが残っていたので、それはありがたかった。

 塗料を嫌がったのか、戦鼠ムースに食べられなかったのだ。

 これで水は確保できたし、あまり気が進まないが、いざというときには非常食にもなる。

 地下水が滲み出している場所を探して動き回るような余裕はないが、俺とギルバードとモーガンの分があるので、しばらくは補給について考えなくてよいだろう。


 俺は壁の地底苔ボトムモアを削り、小鬼茸ゴブリマロムを集めた。


 地底苔ボトムモアは地下に生える茶色のモアであり、魔迷宮内の空気(エアル)をある程度浄化してくれる力を持つ。

 薬にもよく用いられる。


 小鬼茸ゴブリマロムは緑色のごつごつとしたマロムである。

 毒があるが、水に漬け込めばいい出汁が取れる。

 本体は食べずに捨てればいい。


 何を悠長なことをと思うかもしれないが、さすがに地底苔ボトムモアだけでは苦くて匂いが酷く、食べられたものではないのだ。

 せっかく目についたのだから、使ってしまっても別に悪いことではないだろう。


 食事は生活の根源とは、俺の死んだ父親もよく言っていたものである。

 こういった料理の知識も父から教えてもらったことだ。

 父も運び屋だったが『力がなくとも、料理の腕さえあれば意外と重宝されるものだ!』と言っていた。


 ……もっとも、実際には俺に料理作りを進言する様な勇気はなかったし、魔迷宮には保存食を持ち込んで食すことが常識となっているので、そんな機会も訪れなかったが。

 父が重宝されていたのは、俺と違って愛想がよく、世渡りが上手かったからなのだろう。


 俺は底の深い皿を取り出して水を注ぎ、《トーチ》の炎で小鬼茸ゴブリマロムを炙り、そこへ漬け込んだ。

 これで小鬼茸ゴブリマロムの分泌液が溶解する。

 小鬼茸ゴブリマロム赤牛ラカウの肉に近い風味の、糖を微かに含んだ分泌液を持つ。

 しばらく漬け込んだ後に、もう一度取り出して炙って漬け込み、皿から取り出して地面へ捨てた。


『む、捨てるのか?』


「出汁を取っただけだからな」


 小鬼茸ゴブリマロムは煮込めば内部の毒が出るので、炙って水につけるしかないのだ。

 毒があるので食用としてはまず使われないが、やり方さえ間違わなければ安全である。


 続けて地底苔ボトムモアを入れて《トーチ》で沸騰させ、最後に小瓶に入れていた塩を振った。

 これで《地底苔ボトムモアのスープ》のできあがりである。


 小鬼茸ゴブリマロムの風味が強いので、地底苔ボトムモアの臭味やエグ味を感じずに済む。

 空腹に暖かなスープが染み渡る。

 少し、疲れが取れた気がした。

 これでこの後も造霊魔法トゥルパの習得に打ち込める。


『凝ったことをするの。うむ、新鮮である。《魔界オーゴル》では、食にこだわりのある者がまったくおらんかったからの。肉を焼いて酒があれば何でもいいと思っておる。あの馬鹿舌共めが』


 ベルゼビュートが羨ましそうに言う。


『おい貴様、《プチデモルディ》を覚えたら、そのスープを妾にも振る舞うのだぞ』


 ……確かに今が極限状態なので癒しには感じたが、別にこれ、そんなにいいものではないからな。


 この後もベルゼビュート先生の教えを受けて、造霊魔法トゥルパの鍛錬を行った。

 途中でまた戦鼠がやってきて例の狭いトンネルの奥に大慌てで隠れる場面もあったが、ようやくひよこの精霊を生み出し、動かすことに成功した。


 これは造霊魔法トゥルパの基礎の基礎であるため、《イム》で見た自身の情報では特にこのことが記載されることはなかったが、それでも達成感があった。

 造霊魔法トゥルパをまともに扱える冒険者はごく少数なのだ。

 使える人間からきっちりと教えてもらわなければ、習得することはできない。


 戦鼠ムースから襲われない様に狭いトンネルの中に身体を押し込んで身体を固定してから休眠を取った。

 二日目(といっても外の日が見えないので、正確な日にちはわからないが)には、猫獣ニャルムの精霊を作り出すことに成功した。

 そして三日目、移動できる範囲に食糧がなく、鬼羊ゴゴートの胃を焼いて塩を掛けて食べ、ついに水も尽きた。


 だが、ようやく《プチデモルディ》を習得することができた。


「《プチデモルディ》!」


 俺はベルゼビュートの魔核を掲げ、魔法を発動する。


 魔法陣が輝く。

 その中央から肌が青く、金色の大きな瞳を持つ少女が現れた。

 嗜虐的な笑みを湛えており、頭からは二本の角が生えていた。

 胸部には赤い魔法陣が刻まれている。

 普段の調子からは想像できなかった美貌に、思わず俺は息を呑んだ。


「うむ、悪くない……自らの身体があるというのは、久方振りだ。さすがに元の身体とは比べ物にならぬほどに貧弱だが、鼠を数体屠るのには十分であろう。では早速、こんな退屈なところからは抜け出そうではないかディーンよ」


 ベルゼビュートが自身の赤い爪を舌で舐め、口許の犬歯を覗かせる。


 だが、すぐに俺は強い虚脱感と吐き気に襲われた。

 頭に不快感が走り、思考が曇る。立っているのが辛くなってくる。

 俺はベルゼビュートの魔核を降ろし、彼女の化身を消し去った。


『なっ、なぜだディーン!?』


 魔核から俺へと非難が飛ぶ。

 俺はその場に膝をつき、額の汗を拭った。


「ちょ、ちょっと休ませてくれ……あと、戦鼠ムースが出て来る直前まで、控えておいていいか? 魔力が、全然足りてない感じがする……」


 まだ造霊魔法トゥルパに慣れていない、ということもあるだろうが……恐らく、ベルゼビュートの力に対して、俺が貧弱すぎるためだろう。

 この《プチデモルディ》の魔法は、あまり長時間は使えない……。

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