第二話 置き去り

 魔迷宮・《戦鼠の巣穴》の地下第二階層に到達した。


 暗く、息苦しいところだ。

 俺は何度もここへは訪れたが、どうにも慣れそうにない。

 息苦しい、というのは比喩ではない。

 地上と魔迷宮の地下深くの空気エアルは性質から違う。


 純人族レグマンは環境の変化に身体が弱く、よほどの高レベルの者を除いて地下三階層以降になると万全の状態を保つことが難しくなり、地下五階層以降では生命を保つことさえ困難になる。

 それ以上深く進むのならば、魔法で空気エアルを浄化することのできる環境士が不可欠となる。


 俺はマナランプを掲げながら考えごとをしていた。


 おかしい、妙だ。

 普段なら忙しなくこの辺りを飛び回っている、飛頭フライングという魔獣がいない。


 飛頭フライングというのは、山羊の頭に蝙蝠の羽のついた魔獣である。

 E級でも下位の魔獣であり、ギルバードなら一振りで殺すことができるだろう。

 常ならば、二階層までくれば何度か見かけるものだが……。


「ディーンくーん、きびきび歩いてくれたまえ。はい、これ三回目だから。次から一回につき千テミス減らさせてもらうよ?」


「わ、悪い……」


 俺は慌ててギルバード達の後を追いかける。


 だが、違和感はこれだけに留まらなかった。


「おお、戦鼠ムースの死骸があるじゃないか!」


 ギルバードが嬉しそうに言う。

 俺は腐った血の匂いに顔を顰めながら、ギルバードの近くへと歩み寄る。

 顔がぐちゃぐちゃに潰れ、肉を喰い荒らされているが、戦鼠ムースに間違いはなかった。


「ディーンく~ん、出番が来たよ。死骸に闘骨が残っているか調べてくれ」


「その、ギルバード」


「さんを付けたまえ運び屋が」


 ギルバードが歯を剥いて俺を睨む。


「……ギルバードさん、この死体は噛まれた痕が複数残っている。闘骨は残っていないんじゃないかな……」


 闘骨とはあらゆる動物が持つ骨であり、生命力そのものであるオドを闘気に変える力を持っている。

 闘気は身体中に巡っており、瞬発力、膂力、肉体の頑強さを引き上げることができる。

 レベル、つまりはオド水準が高ければ高いほどに強固な肉体を得ることができるのは、闘骨と闘気の存在のためである。


 魔獣と動物の双方が闘骨を持つため、両者の間に明確な違いはない。

 一般的には《イム》に判定されたパラメーターの平均が【5】を上回った人間種以外の動物を魔獣と呼ぶことになっている。

 因みに闘骨の位置は下腹部の辺りであり、脊柱の終わりの部分に当たる。


「闘骨は魔獣も狙って喰らおうとするから、これだけ喰い荒らされていたら、残すようなことはないんじゃないかと……」


「馬鹿が私に口答えするな。もし残っていたら、どうするんだ? D級魔獣である戦鼠ムースの闘骨は、いい魔法具になる。多少足許を見られたとしても、四万テミスにはなるはずだ」


 ……よく言ってくれる。

 確かに戦鼠ムースの爪や皮、肉を全部苦労して運んでも買い叩かれて二万テミスにしかならないが、闘骨は親指程度の大きさで四万テミスになる。

 他の魔獣においても、闘骨の部位の価値が一番高い。ごくごく稀な例外もあるが、ほぼ間違いないと言い切ってしまっていい。

 そのため冒険者達の大半は闘骨だけを集め、残った死骸は放置していくことが常である。


 魔獣の死骸があれば、闘骨の有無を確認しておきたい、という気持ちはわかる。

 四万テミスは俺が月に稼げる額の半分に匹敵する。

 だが、少ない望みに懸けて死骸を漁るのは俺なのだ。

 俺は腕力がなく技術も未熟であるため、掻き出すのにも時間が掛かる。

 どうせ万が一に見つかっても奴の懐に入るのだから、お前が勝手に漁っていやがれといいたくなる。

 しかし、俺にギルバードへ逆らえる力はない。


 諦めて解体用のナイフを荷物から取り出して屈み、虫の集る戦鼠ムースの死体へと手で触れた。

 腐肉の下腹部にナイフを突き立て、肉を掻き分け、内臓を引き出す。

 そうして苦労して二十分ほど格闘したところで、ようやく中から脊柱の下部を取り出すことに成功した。


「……ほら、尾骨が砕けて、闘骨がなくなってる」


「そうか、予想通りだな。まあ期待はしていなかったよ」


 ギルバードが淡々とした声で言う。当然だが、既に死骸から興味は失せたらしい。

 それから自身の鼻を摘んで「臭いな君」と零す。

 

 俺は土壁に手に着いた腐肉を擦り付けてから、ナイフを布で拭いて仕舞った。


「ではとっとと戦鼠ムースを狩りに向かおうではないかね」


 元々、ギルバードは戦鼠ムースの闘骨狙いでこの《戦鼠の巣穴》へと潜っていた。

 地下一階層では出会うことができないが、地下二階層からは時折出没するようになる。

 地下三階層の方が遭遇率は高いが、複数体と出くわす危険が高くなる上に、空気エアルの変化による身体への負担も掛かる。


 まともに戦えるのがギルバードとモーガンの二人しかいない以上、地下三階層以降はリスクが高すぎる。

 そのため、地下二階層へとたまたま降りて来た単独の戦鼠ムースを狙うのだ。

 目標は《戦鼠ムースの闘骨》が四つだとギルバードは言っているが、上手く行っても三つが限度だろうと俺は睨んでいる。


「あれ……?」


 俺は戦鼠ムースの死骸を振り返り、嫌な予感がした。

 死骸の負った怪我が激しすぎるのだ。


「早くきたまえディーン君。はい、四回目だから千テミス減らさせてもらうよ」


「何が、戦鼠ムースを倒したんだ……?」


「はい?」


 ギルバードが聞き返してくる。


戦鼠ムースは、《戦鼠の巣穴》の第三階層までで最も強い魔獣だ。何が、戦鼠ムースを倒したんだ?」


「何とでも考えられる。冒険者ギルドでも、軍の連中からも、《戦鼠の巣穴》で魔獣の溜まり場モンスタープールが発生したという話は聞いていなーい」


 ギルバードが呆れた顔で俺へと返す。


「俺達が一番最初の目撃者だったとしても、おかしくないだろ! 飛頭フライングを見なかったことといい、妙だと思ってたんだ!」


「それはこじつけだ。愚か者特有の、知っている事実を適当に結びつけてしまう奴さ。運び屋如きが、指図しないでくれたまえ。ただの衰弱死かもしれないし、戦鼠ムース同士の共喰いかもしれないだろ?」


「そんなわけがない! 明らかにこの戦いは、激しく戦った後のものだ! 戦鼠ムースは本来、共喰いなんてしない! だが、戦鼠ムースの異常発生で、餌がなくなっていたならあり得る! そう、そうだ! フライングがいなかったのも、戦鼠ムースの異常発生のせいで……!」


「こじつけだと言っているだろうが!」


 ギルバードが叫ぶ。


「馬鹿か? よく考えてくれたまえ、ここで引き返したら移動費用から準備期間、その全て無駄になってしまうんだぞ! 君だって余裕のある生活ではあるまい!」


「命に代えられるか? 今助かっても、こんなことを続けていたらいつか死ぬぞ!」


「死が怖くて何が冒険者だ。そんな覚悟だから、いつまでたっても運び屋なんて無様なことをやっているんじゃないのかね? 私は十三歳の頃には立派な冒険者として戦っていた!」


「それは今、関係ないだろうが!」


 ギルバードと少しの間、黙ったままの睨み合いが続いた。


「ハンッ、いいさ、戻ってやるともさ。ただし、その場合、仮に魔獣の溜まり場モンスタープールが確認されなければ、今回掛かった費用の全てを払ってもらう!」


「は、はぁ!?」


「当然のことだろう? できるわけないよなぁ、貧乏運び屋のディーン君にはさぁ! 人の金だと思って、好き放題に言いやがって! さぁ、無駄話は止めて行くんだよ! 今ので君の報酬から三千テミスは引かせてもらうからな!」


 ギルバードが声を荒げる。

 選択肢はない。進むしかなかった。

 俺は項垂れながら、ギルバードの後へと続いた。


 しばらく進んだところで、くちゃ、くちゃと、肉を喰らう音が奥から聞こえて来た。


「しめた、食事中だぞ! 飛び込め! しっかりと照らせよ?」


 ギルバードは俺へ告げると、モーガンと共に一気に駆けだした。

 俺も二人の後に続いた。

 曲がり角の先では、五体の戦鼠ムースが、一体の戦鼠ムースの死骸を喰らっているところだった。


 通常、この階層では、戦鼠ムースがペアで動いているところでさえ滅多に遭遇することはない。

 五体が纏まっていることなどあり得ないのだ。

 これは更に下の階層で戦鼠ムースが異常発生し、獲物に困った連中が上へと追いやられている、としか考える他ない。


「ま、まずい、逃げ……!」


 俺が振り返ると、その先に三体の戦鼠ムースが並んでいた。

 俺のマナランプの光を見て、集まってきていたのだ。


魔獣の溜まり場モンスタープールだああああああああああああっ!!」


 モーガンが野太い声で吠えた。


「こ、この数は想定していない! バカな、戦鼠ムースが八体だと!」


 ギルバードが狼狽える。

 マナランプを消そうかと考えたが、無意味だ。

 戦鼠ムースは勿論、暗がりの中でも充分に目が利く。

 こちら側が不利になるだけだ。


「だから言ったじゃないか! ど、どうするんだよ!」


 俺は荷物とマナランプを地に置き、《貧者の刃ポポ》で周囲を必死に牽制する。


「い、い、いいことを考えたぞ……!」


 ギルバードが引き攣った笑みを浮かべて俺を見る。


「ど、どうするんだ?」


「わ、私のために、死んでくれ!」


 ギルバードが彼の魔導剣である、《幻惑の剣》を俺へと向ける。

 混迷石の刀身が、紫に不気味に光る。


「《デコイ》!」


 ギルバードが俺へと魔法を放った。

 これは周囲の視線を引き付ける魔法であり、対象を魔獣から狙われやすくする狙いで用いられることが多い。


「お、おい、お前……まさか……」


「君のレベルでは、どうせ逃げられまい……私達の役に立って死んでくれたまえよ」


 ギルバードは言い放つと、俺の足を勢いよく引っかけた。

 俺は溜まらず引っ繰り返り、派手に半身を地面に打ち付ける。

 それから出口の方へと一気に駆けだした。


「ギッ、ギルバード」


「はは、はははは、ははははははっ! 誰だってこうするだろう? 私は悪くない! むしろ死体が二つ減ったんだ! 私は正しいことをした! 恨むなら君の弱さを恨むんだなディーン!」


 モーガンも一瞬遅れてギルバードへと続いた。


戦鼠ムースは俺に気を取られており、ギルバードとモーガンの二人が横を駆け抜けるのを許容した。

戦鼠ムース共は一瞬遅れて二人に気が付くが、彼らと戦鼠ムースでは彼らの方が速い。

追いかけるのを諦め、俺へと詰め寄ってきた。


「う、嘘だろ……」


 食糧や連中のマナランプは、全て俺の持っている荷物の中だ。

 だが《トーチ》程度の下位の魔法であれば魔導剣の適正が合わずとも発動することはできるし、帰りの食糧はたとえ魔導剣を売ってでも工面できる。


「クッ、クソギルバードがぁぁっ!」


 俺の叫び声が魔迷宮内に響いた。

 もしかしたら、ギルバードやモーガンにも俺の声が聞こえたかもしれない。

 だが、そんなものは何の救いにもならない。

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