5-②

 それにしても、人通りが少なくてよかった。俺は今、野良猫に話しかける危ないヤツになってしまっている。

「はいはい。で、何だって? 時間を巻き戻す力だっけ?」

 ――そうだ。早速力を渡すぞ。

 そう言って、黒猫は数秒黙りこくったが、俺は何も変化を感じられなかった。

 ――どうだ?

「いや、全然わかんねえ」

 ――なら、そこの石を蹴飛ばしてすぐに力を使ってみろ。使うときは念じるだけていい。

 俺はしぶしぶ、黒猫の指示に従った。

 足元の石を蹴飛ばして、三秒前へ戻れと念じる。

 すると、目が回るような、脳が揺れるような、不思議な感覚におちいって。

 足元には、先ほど蹴飛ばしたはずの石が落ちていた。

 ――どうだ。

「……たしかに、戻ってる」

 猫にもドヤ顔ってあるんだな。俺はそんなどうでもいいことを考えていた。

 ――気をつけてほしいのだが、この力には副作用がある。ああ、今使った分はカウントされないから安心しろ。

「副作用?」

 ――ああ。それはだな……。

 黒猫はこの力の副作用について説明を始めた。ところが、黒猫は説明があまり上手ではないようで、俺はところどころ質問を挟み整理しながら聞くことになった。

 副作用について、一言でまとめるとこうなる。

 巻き戻した時間の、五倍の寿命が失われる。

 例えば、一分の時間を巻き戻せば五分だけ、一年の時間を巻き戻せば五年だけ寿命が縮むというわけだ。かといって、巻き戻した分だけ年齢が元に戻るかといえばそうでもないらしい。二十歳はたちの状態で残りの寿命が六十年だった場合、十年の時間を巻き戻すと、巻き戻した時点から十年しか生きられないということだ。

「……なるほどな」

 その内容を理解した俺は、納得した。

 それは副作用というよりも、リスクや代償だいしょうと言った方がしっくりくるものだった。

 時間を巻き戻すという、人生すら変えられそうな力とは釣り合いがとれているように思う。

 ――それと、力を使って過去に戻っている間は、そこからさらに力を使うことはできなくなる。

「どういうことだ?」

 わかったような、わからないような……。

 ――例えば、貴様が力を使って五分だけ巻き戻したとする。その場合、戻った瞬間から五分間は新しく力を使えないということだ。

「ああ、そういうことか」

 その例を聞くと理解できた。重複して力を使えないということらしい。

 副作用などの制限はあるが、間違った使い方さえしなければ、あらゆる場面で大小様々な失敗をリセットすることができる、非常に便利な力だと思う。

 ――ちなみにもう一つ、大事なことを言っておく。この力を自分のために悪用した場合、貴様のたましい消滅しょうめつする。

「魂が、消滅……」

 人間の言葉を操り、脳に直接語りかけてくる黒猫が言うと、そんなスピリチュアルな台詞も、笑い飛ばせる類の脅しではなくなる。

「で、その悪用ってのは?」

 ――ああ。競馬や宝くじなど、金銭に関わること。あとは、入学試験や就職活動だ。はっきり分けるのは難しいが、誰にも迷惑のかからない範囲で使えば問題はない。

 なるほど。少し安心した。

「そんなことはしねえよ」

 俺は曲がったことは嫌いだ。

 ――その点はワタシも信用している。これでも人を見る目は確かだ。

 認めてくれたみたいで、ちょっと嬉しかった。

 ――それではまた会おう。

 最後にそう言うと、黒猫は素早い動きでどこかへ去っていった。


 と、そんな感じで、俺は力を手に入れた。

 しかし、黒猫、もとい神様の言っていた通り、この力には副作用がある。

 巻き戻した時間の、五倍の寿命が代償として縮められてしまう。

 つまり、先ほど美緑がコーヒーをこぼしたときは五秒ほど時間を巻き戻したわけだが、それによって俺の寿命は二十五秒縮んだことになる。

 たかがコーヒーをこぼしたくらいで、貴重な寿命を犠牲ぎせいにしていることになる。

 しかし、美緑はコーヒーを膝にこぼしてしまっていた。火傷やけどを負っていたかもしれない。それに、こぼしたコーヒーをく時間を考えればどうだろうか。確実に二十五秒以上の時間が必要だろう。つまり、俺は力を使うことで時間の節約もしたことになる。

 これまで、何回か能力を使ってきたが、そのいずれも結果的にプラスになることを確信していた。

 仕事で大事なデータの編集中にいきなりパソコンがフリーズしてしまったときや、家のかぎをかけたかどうか忘れたときなど。

 いずれも五分以下の短い時間だ。その代償は合計しても一日に満たないはずだ。

 もちろん、大事な試験やギャンブルなどでの悪用もしていない。

 俺はそんなふうに、時間を巻き戻す力を、人生におけるちょっと変わったアドバンテージと考え、時間の節約に使っていた。

 黒猫の姿をした神様は、あれ以来俺の前に姿を現さない。きっと野良猫らしく、どこかで自由に生きているのだろう。

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