4
俺がこの力を手に入れたのは、中学三年生のときだった。といっても、いきなり力に目覚めたわけではない。神様を助けたのがきっかけだった。
風が心地の良い春の日だった。土曜日で授業はなかったが、部活動はあった。
陸上部の練習を午前で終えた、中学校からの帰り道。
それなりに進路に悩んだり、他人の目を気にしてみたり。自分が生まれてきた意味とか、答えの見つからない命題について真面目に考えてみたり……。
というような感じで、俺はごく普通の一般的な中学生を生きていた。
そんな何の変哲もない日常に、非日常は突然やってきたのだ。
交差点。カーブミラーで、左から車が接近していることを確認し、足を止める。
明後日までの宿題が終わってないなぁとか、あの漫画の最新刊はいつ発売だっけとか、退屈な下校中にふさわしい退屈な事柄をボヤっと考えながら、信号が青に変わるのを待っていた。
目線より数センチ上にある塀の上を、黒い何かが横切って――。
俺は反射的に視線を向けた。
狭い塀の上を、四本足で器用に疾走する小さな体躯。その正体は黒猫だった。
黒猫は軽やかな身のこなしで塀から飛び降りると、そのまま道路に飛び出していく。
しかし、左側からは車が迫っていた。
猫は車を見て、驚いたように動きを止めた。
このままだとはねられてしまう。
考えるよりも早く、危険だと感じた。
「危なっ!」
気づいたときには、体が動いていた。
黒猫の後ろから道路に飛び出す。
映像がスローモーションになる。
前方に伸ばした手で猫を抱きかかえ、地面を転がりながら、急ブレーキの音を聞く。
「大丈夫かっ⁉」
俺は腕の中に問いかける。
にゃ~ん、と緊張感のない声でそいつは鳴いた。よかった。無事みたいだ。安堵のため息が漏れる。
「ったく。お前、今死ぬとこだったんだぞ」
なんて言ってみても、もちろん通じるはずもなく、黒猫は俺の腕からすり抜けて地面に降り立った。呑気な顔しやがって……。
車の運転手は窓を開けて顔を覗かせる。四十代くらいの男だった。俺の無事を確認すると、舌打ちと「危ねえな。気ぃつけろよ」という台詞を残してすぐに走り去ってしまった。
そりゃ、飛び出したのはこっちだけど、もう少し心配してくれてもいいんじゃないだろうか。ああいう冷たい大人にはならないようにしよう。
立ち上がって手足を動かしてみると、
「いっ……」
右足首に痛みが走った。
折れてはいないようだが、歩くたびにズキズキした痛みを感じる。
なぁ~。腕の中から解き放たれた猫が、俺の方を見て鳴いた。
「ああ、大丈夫。ちょっと
心配そうに俺の顔を見てくるものだから、つい答えてしまう。
いつもは動物に話しかけるようなことはしないけど、こいつとは
もしかして、人間の言葉を理解しているんじゃないだろうか。そんなバカなことを考えてしまう。
首輪はついていないから、野良猫のようだ。
猫は俺の足元にすり寄ってくると、負傷した右足首を
「ありがとな」
その心遣いが嬉しくて、俺は再びしゃがんで黒猫の頭を撫でた。
なぁ~ん、と猫も気持ちよさそうに、されるがままになっている。
調子に乗ってあごの方も撫でてみる。猫は拒否することなく、ゴロゴロと喉を鳴らして幸せそうな表情。
ずいぶん人間慣れしているなと感心したが、まったく警戒しないのもどうかと思う。
「じゃ、俺は行くから。車にひかれないように気をつけろよ」
そう言って立ち上がった瞬間、違和感が全身を支配する。右足首の痛みが、綺麗さっぱり消えていたのだ。
「あれ……」
一瞬で
動揺していて、痛みの発生源を左足と間違えていた? そんな可能性の薄い仮説まで持ち出し、左足に異常がないことを確認してそれを否定したところで、さらに驚きが上乗せされる。
――治ったか?
音に一本、しっかりした芯が通っていて、それでいて透き通るような綺麗な声。それが、頭の中に響いたのだ。
耳で聞き取ったものとは明らかに違うその声に狼狽しながら、俺は辺りを見回す。どこにも人の気配はない。
視線を上に向けても、気持ちいいほどに晴れ渡った青空しか映らない。
ならば、下か?
さっき助けた黒猫が、じっと俺を見つめている。
「まさか、お前か?」
あり得ないとは思いながらも、黒猫に向かって言葉を発してみる。
――いかにも。
再び、明瞭な声が頭の中に直接響いた。
「うわっ!」
思わず後ずさる。
――先ほどは助かった。感謝する。
「なっ、何なんだよお前は⁉」
ただの黒猫でないことは確かだ。
――ワタシか。ワタシは神だ。
もっと子どもだったら、怖くて逃げていただろう。
もっと大人だったら、疲労が原因で幻聴が聞こえる、などと思って無視しただろう。
中学生という不安定な時期だったからこそ、俺は何とか現実を受け止めることができたのかもしれない。
頭の中に声が響いて、その声の正体は黒猫で……その黒猫が神を名乗っている。
どうにかこの現状を脳内で処理しようとしていたが、完全に理解の
黒猫が俺の頭に直接語りかけてくる。もし身近な誰かが大真面目な顔でそんなことを言ってきたら、俺は確実に精神的な病を心配することだろう。
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