6-5
宣言通り、喜多君は自転車を飛ばしてくれた。僕らは夜道をひた走る。
「ホントにユッキーんちで良いんだな?」
荒くなった息の合間から、彼は言った。
「間違いないよ」
確証はないけど、確信があった。僕というエラーを排除できないとわかった以上、母さんの元に戻ったと考えるのが最も道理が通っている。
「でもよ、あいつはそもそもユッキーの母ちゃんを慰めるためのプログラムなんだろ? いくら暴走してるからって、手ェ出したりするもんか?」
喜多君のシャツを掴む手に、力が入る。
「これは僕の想像だけど、あいつは母さんを死なせることで守ろうとしているのかもしれない」
「はあ? なんだそれ」
「母さんが死んでしまえば、僕は母さんに手出しが出来なくなる。OMOKAGEは、永遠に母さんを守れることになるんだ」
「無茶苦茶じゃねえか」
「その程度には壊れてるんだ」
そして、そこまで壊してしまった原因は僕だ。
気付けば自転車は、「あの道」を走っていた。前方に、真新しい信号機が見える。
僕が死んだ場所。
〈僕〉が生まれるきっかけとなった場所。
花が供えられているかは、暗くてわからない。確かめる間もない速さで、自転車はその場所を通り過ぎた。
田んぼ道に入った時から見えていた我が家は、遠巻きからは特に変化はなかった。それは門の前に着いた時にも変わらず、玄関の灯りは点いていたし、庭に面したリビングの窓からも光が漏れている。
「やけに……静かだな……」
喜多君が切れ切れに言った。肩を上下させ、舌を垂らしながらすっかりハンドルに凭れ掛かっている。本当に「死ぬ気」で自転車を漕いでくれた。
「取り越し苦労ってやつか?」
「それならいいけど」
僕は身を固くしたまま門を潜る。
喜多君の言う通りだ。静か過ぎる。却って不気味なほどの平穏が、ここには漂っている。
玄関の鍵は掛かっていた。指紋認証は当然利かず、インターホンを押しても応答はない。何度押しても、同じだった。
窓から灯りは漏れているのに。
後ろで喜多君が咳き込んだ。
「なんか変なにおいしねえか?」
言われて僕も、鼻に意識を集中させる。特に何も感じない。場所が悪いのかと門の方へ戻り掛けると、嗅覚が違和感の端緒に触れた気がした。もう少し神経を尖らせると、においは庭の方から続いているらしかった。
見過ごしてしまいそうだったにおいは、庭を進むにつれ段々と濃さを増していく。
やがて僕は、そのにおいが家の中から漏れていることに気付いた。
歩けない筈の脚が動いた。庭に面した窓に張り付いて、カーテンの隙間から中を覗こうと試みる。
中は、霧のように白い煙に覆われていて何も見えない。
「やっぱ普通じゃねえぞ」
傍に来ていた喜多君が言った。
「火事かもしれない」
僕は呟いた。炎はないけど、煙の量が尋常じゃない。
窓は、当然のように鍵が掛かっていて開かない。手で硝子を叩いても、ビクともしない。僕は暗い庭に目を走らせ、手頃な鈍器を探した。幸か不幸か、我が家の庭にそんな物騒な物は転がっていなかった。
「ユッキー、そこどけ」
唸るような喜多君の声。振り向くと、彼は物干し台を支えていたコンクリートベースを持ち上げようとしている。何を考えているかは、すぐにわかった。
「硝子、後で弁償するからよ――」
言いながら、両手でコンクリートベースを肩に載せる。そのまま、砲丸投げの要領で窓へ向けて放る。
硝子は呆気なく砕け、空いた穴から煙が漏れ出してきた。僕は口を押さえながら鍵を開け、リビングへ入った。自ら危険な場所へ飛び込むことへの躊躇はなかった。そんなところにまで頭が回らなかった。
外から覗いた以上に煙が凄い。視界がほとんど利かない。
「お袋さん、どこだ?」
「来ちゃ駄目だ」
僕は続こうとする喜多君に言った。
「危険だよ」
「だったら尚更だろ」
喜多君は構わず乗り込んでくる。
この時間だと秋津さんも帰ってる筈だ。もし二人が中にいるとしたら、一人で助けるのは難しい。そう考えると、喜多君を強く拒むことが出来なくなった。
結局、なし崩し的に二人で進むことになった。
妙に静かだと思ったら、煙探知機が作動していない。窓を割ったというのに、侵入警報も鳴らなかった。照明が生きているにも関わらず、そうした安全設備が働いていないのは、何かしらの意図を感じる。
煙は、何かが燃えて出ているものではないみたいだ。その点ではガスというべきかもしれない。口と鼻を押さえているものの、目に染みてくる。何か、混ぜてはいけない化学薬品同士を一緒にしてしまったような刺激臭もある。長く吸っていて良いものじゃないことだけは確かだ。
どこかから、ガスが流し込まれている。一体どこから? どうして?
誰が?
いや、この家のシステムを掌握した者になら可能なのだろう。玄関の認証を変えることも、警報を無効にすることも、家中を巡る様々な化学物質を混ぜ合わせて有毒なガスを作ることも、そいつになら出来るに違いない。
煙の中を進んでいくと、そいつが現れた。
霞むモノリスは、冷却ファンをフル回転させているのか、機械的な駆動音が喧しい。あらん限りのランプが点灯・点滅しているのは、内部で処理が行われているからだろう。
喜多君が僕の腕を突いた。
彼の指す方へ目を向けると、誰かが倒れている。秋津さんだ。廊下へ出ようとしたところで力尽きたらしい。
まだ息はある。何度か呼び掛けると、秋津さんの方でも僕を認めた。
「お母さんが、上に……ホログラムに呼び寄せられて……」
言い終えないうちに秋津さんは咳き込む。
やはり、という気持ちでは抱えきれないほどの戦慄が僕の全身を貫いた。続いて真っ黒な哀しみが胸の中を染めた。
僕には、〈彼〉の考えていることがよくわかる。
僕は言う。
「喜多君、この人を外へ。それから、119番をお願い」
「けどよ」
「お願いだ」
強く、判を捺すように言った。
白い煙の向こうで、喜多君は頷いた。
「死ぬなよ。つーか」
咳払い。
「生きろ、不死身の男」
今度は僕が頷いた。
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