5-6

 夏休みに入ると、いよいよ暑さが厳しくなった。炎天下ではとても練習にならず、少なくとも日の出ている内は室内でのトレーニングに励むことを余儀なくされた。

 喜多君と稲見さんは、休みに入っても毎日練習に付き合ってくれた。それぞれ予定もあろうに無理はしてほしくないけれど、そんなことを言ったらまた二人に怒られそうなので素直に彼らの好意に甘えることにした。

 室内練習は一人でも出来る。その間、二人は近くの図書館に籠もっていた。二人はOMOKAGEに関する情報を集めているようだった。

 その成果が、形となって僕の前に現れた。

「敵を倒すにはまず、敵を知る必要があるからな」

「喜多君はほとんど寝てたじゃないですか」

 想像がつく。

 これに喜多君が抗議する。

「高い所にある本取ってやっただろ」

 図書館のフリースペースで昼食を摂りながら、僕は二人が纏めてくれた資料に有り難く目を通す。

「なかなか厄介な相手です」

 稲見さんが言った。

 その言葉通り、まず現れたのがウィキペディアにも書いてあったアメリカでの後追い自殺の件だ。他にも同じ事例は世界中で起きているらしく、ニュースサイトのコピーが続々と現れる。

 稲見さんが続けた。

「OMOKAGEは単なる人格の模倣ですが、それを受け取る遺族はそうは思わないんです。大事な家族を失って空いた心の穴に、OMOKAGEは的確に入り込むことが出来ます。それだけに、人間は余計に依存してしまうんです」

 誰だって、言われたい言葉を言われたい時に言ってもらえたら嬉しいに違いない。OMOKAGEにはそれが出来る。というより、そうすることが彼らの役目なのだ。

 更に紙を捲る。

 南米の或る国では、死んだ独裁者の人格をOMOKAGEで再現して、政治的決断の参考にしているという。

 またヨーロッパの或る国では、大昔に亡くなったロック・スターを再現し、没後数十年経って新しいアルバムが作られヒットを飛ばしていた。

 別の国では、殺人事件の証拠として被害者の人格を模したOMOKAGEの証言が判決を覆していた。

「俺も大概馬鹿だけど、人間ってのはあんまし頭良くねえんだな。こんな機械一つに振り回されるなんてよ」

「喜多君」

 稲見さんの窘める声で、喜多君は初めて自分の言葉の行き着く先に気付いたらしい。

「あ、いや、そういうつもりじゃなくてよ」

「わかってるよ」

 僕は笑いながら言った。

 でも、喜多君の言うことは正しいと思う。人は優れた道具を作れるけれど、それを上手く使いこなすまでに時間が掛かる。使いこなせない時だって偶にある。そういう物でも作ってしまうのは、人が「弱い」からではないか。強くなりたいと願うから、自分の手に余る物でも作ってしまう。それに頼ってしまう。

 そうした習性が端的に表れたのが、ここに並ぶ数々の事例であり、母さんなのだろう。

 もちろん僕だって――。

「ユッキー?」

 喜多君が、覗き込むように声を掛けてくる。自分がしばらく黙っていたことに、僕は遅れて気が付いた。

「ハンバーグ、食うか? 食いかけだけど」

 そう言って彼は、コンビニ弁当のハンバーグを割り箸で摘まみ上げる。確かに一口齧ってあった。

「……気持ちだけいただいておくよ」


 夕方になり日が傾いてきたのを見計らって、外での練習に切り替える。特に涼しくなるわけでもないけれど、真昼の炎天下で走るよりはいくらかマシだ。

 走れるようになるまでは園内のジョギングコースを使っていたけど、タイムを念頭に置くようになってからはトラックに移った。幸い、照明もあるので夜も八時までなら練習が出来るのだ。

 ロッカーで着替えを済ませ、グラウンドに出る。ストレッチをしていると突然、声を掛けられた。

「お疲れ様」

 見上げると、佐々木が立っていた。部活と同じ練習着姿だった。

「わたしも一緒に走っていい?」

 突然のことに云とも寸とも言えずにいると、僕の後ろにいた二人の方が騒ぎ出した。

「お、おい、ユッキーの知り合いか?」

 喜多君は明らかに浮き足立っている。

「もしかして、向田君の?」

 稲見さんは何か期待を込めたように言う。

 佐々木が微笑む。

「はじめまして。陸上部で向田と一緒だった佐々木です。よろしくね」

 僕は、ポエムを綴ったノートを見られたような(そんな経験したことないけど)気恥ずかしさを覚えながら、僕は佐々木に訊ねた。

「どうしてここが?」

 やがて僕は言った。

「小母さんに訊いたら、ここで一日中練習してるって言うから」

「予備校は? 受験生が夏休みに、こんなことしてていいの?」

 この間の帰り道、彼女は部活を引退したら予備校に通うと話していた筈だ。

「たまには身体動かさないとね。気分転換しないと勉強にも集中出来ないし。それに、タイム上げていきたいなら、ペースメーカーは必要でしょ?」

 それはまあ、そうなのだけど。

「そうだぜ、ユッキー。折角一緒に走ってくれるって言うんだから、ここは素直にお願いしようぜ!」

「喜多君、なんだかいつもよりテンション高いですね!」

「稲見こそ声上ずってんじゃねえか! あ、俺、飲み物買ってくる!」

「お財布落っことしてますよ!」

 駆けていった喜多君を稲見さんが追いかける。

 二人が去った後で、佐々木が言った。

「ユッキーっていいね。わたしも今度からそう呼ぼうかな」

「やめてよ」

「どうして? イヤ?」

「そうじゃないけど……」

 想像しただけで耳が熱くなる。ずっと苗字だったのが、今更綽名なんて照れ臭い。

 そこへ、笑い声が降って来る。佐々木は言った。

「向田は独りぼっちじゃないんだね」

 この時間には珍しい涼やかな風が吹き、彼女の髪を揺らした。火照った僕の耳も冷ましてくれた。

 僕は、中断していた準備運動を再開する。

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