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ニュースで「梅雨の中休み」と言われた晴れた朝、変化は突然やって来た。
真新しい椅子で朝食を食べていると、母さんが向かいに座った。普段僕が食べている時は洗い物や洗濯をしているから、朝に向かい合うことなんてほとんどない。あんなことがあってからは、夕食時だって顔を合わせることが少なくなっていた。
何か話したそうなのはわかったけど、僕はテレビを観続けた。交通事故であれ戦争であれ、どこかで誰かが死んだというニュースばかり流れていた。
「ユキちゃん、あのね」
母さんが固い声で言った。
「うん」
無視するわけにもいかず、僕はトーストを齧りながら母さんの方へ目を向ける。
「その子のことなんだけどね」
初めは「その子」が誰を指すのかわからなかったけど、母さんの眼差しが僕の後ろに向いていることに気付く。
「ああ、これ」
「レンタルの会社に返そうと思うの」
「そう。大丈夫なの?」
僕は言った。大丈夫には二重の意味を込めていた。一つは、死亡認定を誤魔化して器材を借りていたことが判明して厄介なことになるのではないかという他人事めいた心配。もう一つは、OMOKAGEがいなくなって母さんは平気なのかという疑問だ。
母さんは薄い笑顔を浮かべた。
「うちにはもう、必要ないもの」
もっと早くその言葉を聞きたかったな、という思いをコーヒーで流し込む。
「ごちそうさま」
僕は食器を重ねて席を立った。
「ユキちゃんはどう思う?」
「何が?」
母さんは眼を逸らす。彼女が欲しがっている言葉を、僕は知っている。だからこそ、それを攻めの手段に用いることも出来る。
「母さんの好きにすればいいと思うよ」
食器を流しに置き、僕はリビングを後にした。それから家を出るまで、母さんの姿は見なかった。だから学校で授業を受けていても一日中、彼女が同じ場所で同じように項垂れている気がしてならなかった。
放課後、喜多君と稲見さんが僕の席にやって来た。
「ユッキー、今度の日曜、誕生日だろ?」
「少し早いですけど、お祝いしましょう」
僕は二人を見た。他意のなさそうな、晴れやか顔だった。それだけに、直視していられなくなった。
「ごめん。気持ちは嬉しいけど、今はそんな気分じゃないんだ」
すると、喜多君の腕が僕の首に回された。
「そんな気分じゃねえなら尚更だ」
「え、ちょっと……」
僕は無理矢理席を立たされた。喜多君は稲見さんに僕の鞄を持ってくるよう命じて、僕をヘッドロックしたまま教室から連れ出した。流石にその恰好で外を歩くわけにはいかないので、降参の意を表明して腕を解いてもらった。
二人に連れていかれたのは、国道沿いにあるファミレスだった。学校から一番近い、高校生にも手頃な値段の飲食店だ。僕も事故に遭う前は、陸上部の仲間たちと練習終わりに何度か来たことがある。だから席に案内されるまでは、つい周囲に気を配ってしまった。現に店内には、うちの制服がちらほら見受けられた。
向かいの席で喜多君が言った。
「じゃんじゃん好きな物頼んでいいぞ。今日は稲見の奢りだから」
その隣で稲見さんが言った。
「プログラミング大会の賞金が入ったんです。だからお財布のことは心配しないでください。あ、喜多君は別ですけど」
「そうそう――っておい!」
「自分の分は自分で払うよ」
僕は言った。
「それじゃお祝いにならないだろ」
「そうです。わたしの賞金は、バイト代みたいなものですし」
「本当に、気持ちだけで嬉しいから」
喜多君が目を細めた。
「じゃあ、ユッキーの分は俺が」
「駄目です」
稲見さんは喜多君に厳しい。そんな二人のやり取りを見ていたら、笑ってしまった。
「向田君、久々に笑いましたね」
「そうかな?」
言われてそんな気がしてきた。何かが面白くて笑うなんて、いつぶりだろう?
「最近ずっと上の空だったもんな。俺が何言ってもぼんやりしててよ」
「ごめん」
「喜多君はくだらないことしか言わないから、誰だって途中から聞かなくなっちゃうんですよ」
「何それひどいんだけど。傷ついたからステーキセット奢りな」
「お皿洗いする覚悟があるのならどうぞ注文してください」
「ケチな女は嫌われるぞ」
「人にたかる男になんか好かれたくありません」
二人は互いに、ツンとそっぽを向く。何でもない言い争い。
「まあまあ」
僕は言う、何でもない仲裁。
傷つけたり、傷つけられたりすることのない、何でもないやり取り。こういうものを、僕は長い間忘れていた気がする。入ってくる全ての言葉に余裕をなくし、自分が発する言葉に神経を磨り減らす。このところ、そんな日々を送っていたように思う。すぐ傍に、こんなにも「何でもない」日常があったことにも気付かずに。
急にお腹が空いてきた。夕飯前だし軽く済ませようと思っていたけれど、僕はチキンソテーセットを取ることにした。喜多君は頑としてステーキを譲らず、稲見さんもパスタを注文するようだった。学校帰りの寄り道は、期せずして食事会になった。
二人とは毎日学校で顔を合わせていたし、昼も一緒に食べていた。それなのに、随分久しぶりに彼らと言葉を交わすようだった。たしかに僕は「久々に笑った」し、「最近ずっと上の空だった」のだ。そんな自分の姿が二人にどう映っていたかを考えると、恥ずかしさと己に対する怒りが同時にやって来る。もちろん、二人に対する申し訳なさも。僕が一番の年長者である筈なのに、もがくことで手一杯になっていた。
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