3-2

 喜多君の家から帰ったあの日、僕は或る決意を固めてOMOKAGEと対峙した。

 正面から立ち向かう、というものだ。

 今、僕とOMOKAGEは越え難い壁に隔てられている。僕と、僕の真似をしているAIは壁を挟んだ両側で、互いに自分が「向田行人」であることを主張し合っているのだ。

 始末の悪いことに、このAIが僕の存在を頑として認めようとしない。そもそも彼(機械相手にこんな呼び方はしたくないけど、便宜的にこう呼ぶ)の中には壁もなければ向こう側なんて概念も存在していない。本来であれば、彼の存在は、僕が死んだことで初めて成り立つからだ。

 だけど、そんな機械の事情などこちらの知ったことじゃない。

 僕は生きている。この通り、存在している。まったく悔しいことだけど、こんな当たり前のことを僕はどうにかして機械相手に証明しなくてはならない。

 機械を壊してしまえば話は早い。水でも引っ掛けてやれば、事はあっと言う間に解決するかもしれない。けれど、それでは駄目だ。壊れた物は、また直される可能性がある。外側だけにダメージを与えても、中身がそのままでは意味がない。

 OMOKAGEのプログラムそのものに何かしらの攻撃を加えられるのなら、それに越したことはない。でも僕にはそんなことをする技術はない。それこそ稲見さんにお願いしようかと何度も考えた。けど、こんな個人的な事情に巻き込むわけにはいかないと思い、踏み留まった。それに、どう説明して良いかもわからなかった。久しぶりに家へ帰ったら自分と同じ記憶を持ったAIがいて悩んでいるだなんて、悪い冗談にもなっていない。

 だから僕は、僕なりの方法でこの件に片を付けることにした。

 わからせるのだ、僕の存在を。

 そして悟らせるのだ、彼我の違いを。片や人間であり、片やその模造品であることを。

 なにも、絶望させて死に追い込もうとまでは考えていない(AIが自殺するのかさえわからない)。もし彼が僕との共存を望むのなら、受け入れないことだってない。けれど、今のままでは駄目だ。彼が向田行人で、僕が「正体不明のイレギュラー」という状況は、常識的に考えてあってはならないのだ。

 では、どうやって僕の存在をOMOKAGEに植え付けるのか。その方法は、割に早く思いついた。

 を、母さんに認めてもらうのだ。

 僕の面影――いや、幽霊に憑りつかれた母さんを救うためにも、それが最善の策だった。


「美味しいね、このパスタ」

 次の一口をフォークに巻き付けながら、僕は言った。

「そう? 少し茹で過ぎちゃったかもしれないわ」

「これぐらいが丁度いいよ。アルデンテって、固くてあまり好きじゃないから」

 本当はもう少し固いぐらいでもよかった。けど、そんなことは間違っても口にしない。

 向かいの席で母さんが肩を竦めた。

「ユキちゃん、何でも美味しいって言ってくれるから張り合いがないわね。前はもっと好き嫌い多かったのに」

「そんなことないよ」

「あら、そうよ」

「そうかな」

「そうよ」

 言われてみると、全く好き嫌いがなかったとは言い難かったように思える。なんといっても、すき焼きを出されても白滝ばかり食べていたような子供なのだ。

「人参を食べさせるのにどれだけ苦労したことか」

 甘く煮付けたり、細かく刻んでハンバーグに混ぜ込んだりしてあったのを覚えている。今では普通に食べられるけど、昔は野菜が、特に根菜が苦手だった。

「どんなに味付け変えても、ユキちゃん誤魔化されないんだもの」

「苦労を掛けました」

 僕は恭しく頭を下げる。

「他にもあるわよ。グリーンピース」

「あれは結果的に、箸使いの練習になったよ」

 どれだけ料理の奥深くにあるものでも、一粒残らず掘り返して皿の隅に除けることが出来た。今なら面倒だから全て食べてしまうけど。

「ミニトマト」

「あれは腐りかけを食べたから」

 幼稚園で育てたものを貰った中に、悪くなったのがあったのだ。その日はお腹を壊し、散々な目に遭った。それでも今日、こうしてトマトソースのパスタを食べているのだから、克服したと思ってほしい。

「秋刀魚の肝」

「あれ、好きな人の方が少ないでしょ」

 思い出しただけで舌に苦みが広がる。

「お母さん大好きよ、あれ」

「若者にはまだ早いんだよ」

「あ、ひどーい。どうせわたしはおばさんですよ」

 母さんはわかりやすくむくれる。こういう仕草をする辺りが、まだ若いのだなと思う。前にも、手芸教室の先生だか誰かに、とても四十には見えないと言われたことを嬉しそうに語っていた。

「でも、嫌いな物以外は全部綺麗に食べてたよ」

「そうね。なんだかんだ、ユキちゃんが文句を言ったことなんてなかったわよね」

 母さんはフッと笑みを漏らした。

 僕はフォークを回す。後ろに佇むモノリスを振り返りたい気持ちを抑えながら。

 おい、見ているかい?

 母さんは笑っているよ。

 僕が笑わせたんだ。君ではなく、ここにいる僕が。

 僕はフォークを回し続ける。茹ですぎたパスタを巻き付ける。トマトソースに濡れたベーコンや刻まれたピーマンが、アリジゴクの巣に落ちた虫のように引き込まれていく。手を止めた時、パスタの渦は禍々しいぐらい肥えていた。

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