2-9
ホイッスルが鳴る。
グラウンドでは、岩のようなラグビー部の面々がスクラムを組んでいる。あれを見る度に毎回思うけど、敵味方で押し合っているというよりは、ああいう形の組体操をしているみたいだ。皆で美しい形を作るための共同作業。実際あの中にいる人たちが聞いたら怒るだろうけど、傍からみたらそう見える。
「なんだか久しぶりだね」
縁石に腰かけた僕の隣に、ドリンクボトルを持った佐々木が座った。休憩中に身体を冷やさぬよう、肩からジャージを羽織っている。
「部活、戻って来る気になった?」
僕は首を振る。
「まだようやく普通に歩けるようになったぐらいだよ」
「なんだ、残念。突然来たから少し期待したのに」
「今日はいつも一緒に帰る友達がいないんだ」
「へえ、友達」
佐々木はボトルの蓋を指で玩ぶ。
「なに?」
「別に」
「別にってことないだろ」
「別に。ただ、珍しいなと思っただけ」
「僕に友達がいるのが?」
「というより、向田が誰かを友達と認めるのが、かな」
「僕はそんな偏屈な人間じゃない」
「ま、そういうことにしておこう」
僕が口を噤むと、佐々木は肩を揺すって短く笑った。
また笛が鳴った。気合いを入れるような野太い声が続く。僕は、組み合わせた手に力を込める。
「でも、その友達も今日で終わりかもしれない」
佐々木は「どうして?」とは訊かない。ただ黙って、続きを待っている。話したければ続ければいいし、嫌なら止められる。
僕は、今朝のことを話した。机が降ってくるという珍事はそうそう起こることではなく、佐々木も勿論知っていた。けどさすがに、僕と関わりのある人間が起こした騒動だということまでは知らなかった。
「その彼、単なる暴れん坊というわけではなさそうね」
「うん。やり方は間違っていたけど、ちゃんと理由はある筈なんだ」
稲見さんの机にあった何か。それが何であるのかは、大体想像がつく。それでも「ある筈」と言わなきゃならないのは、結局あれきり、喜多君とは話せず仕舞いになってしまったからだ。
「向田はいいの、このままで?」
「え?」
振り向くと、佐々木の真っ直ぐな眼差しとぶつかった。
「このままだとその彼、もう学校来なくなっちゃうんじゃない?」
彼女の言う通りだ。怪我人がいなかったとはいえ、あれだけのことをしでかしたのだ。ただでは済まないだろう。それに、今までの喜多君の出席状況を鑑みると、彼がどんな答えに至るかは簡単に予想出来る。
でも――
「それが本人の出した結論なら、僕に何か言う資格はないよ」
長めのホイッスルが響いた。ラグビー部の練習が一段落着いた合図だ。つまり、陸上部の休憩の終わりを告げる合図でもある。
「さて、と」
佐々木が腰を上げた。僕は咄嗟に「あ」と声を出してしまった。縋る気持ちがなかったといえば嘘になる。尤も、隠そうとしたところで、佐々木を誤魔化すことは出来なかった。
「わたしは何も言わないよ」
彼女は肩越しに言った。
「それが向田の出した結論なら、わたしに何か言う資格はないもの」
言葉がなかった。言えたとしても、情けないものしか出てきそうになかった。
佐々木は悪戯っぽく肩を竦めると、グラウンドに向けて歩き出した。残された僕は、その後しばらく縁石に座っていた。
気付けばまたペンを回している。設問に向き合っても、何を問われているのかが全く頭に入ってこない。
僕はペンを放り、唸り声と共に伸びをした。時計の針は九時を回った所だった。
そろそろ歩きに行こうかと考えていると、机に置いた携帯電話が鳴った。画面には知らない番号が表示されていた。見たところ、相手も携帯端末のようだ。
「はい」
電話を取ると、スピーカーから息を呑む気配が伝わって来た。ややあってから、決心したように相手が喋り出す。
『……も、もしもし』
女性の声だ。それも若い。というより、幼い。
『突然ごめんなさい。わたし、稲見です。同じクラスの……覚えていますか?』
「稲見さん?」
僕は耳に当てた携帯電話にもう片方の手も添えた。
「うん、わかるよ。どうかしたの?」
『今、時間ありますか?』
「大丈夫だけど」
『今から言う場所に、来てもらってもいいですか?』
お願いがあるのです、と彼女は言い、うちと学校の間に位置する公園の名前を口にした。周りの音からして、たぶん彼女はもうそこにいる。断ってはいけない気がした。
「――わかった。三十分ぐらいで行けると思う」
『ありがとうございます。では後ほど』
電話は静かに切れた。
何かが頭に引っ掛かる気がしたけど、とにかく僕は出掛ける準備を始めた。
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