2-6

 こんな夢を見た。

 僕はまだ小さくて、昼寝から目を覚ましたところだった。

 部屋には誰もいない。居間に続く引き戸が少しだけ開いていて、母さんの背中が見える。誰かと話しているらしい。僕は起き上がり、引き戸の方へ向かう。母さんに声を掛ける。だけど、返事はない。母さんは振り返ろうともしない。僕は怖くなって、引き戸の隙間から何度も呼び掛ける。それでも母さんには、僕の声などまるで届いていないらしい。

 引き戸に手を掛ける。けれど、開けようとしても戸は重い。まるで岩で出来ているみたいだ。

 僕は母さんを呼び続ける。やがて、彼女の背中越しに話し相手の頭が見える。

 子供だ。

 丁度、僕と同じぐらいの背格好をした少年。

 その顔は――

 起きた時、僕は息を切らしていた。

 暗い部屋。目を走らせ、何か明かりを探す。何でもいい。僅かな物でも構わない。焦る気持ちの奥底には、縋るような祈りがあった。

 デジタル時計の表示が見えた。三時五十五分。そこでようやく、自分が現実の世界にいるのだと実感する。ちゃんと身体があり、ちゃんと生きているのだと。手を動かすと、ちゃんと顔を拭うことが出来た。

 一息吐く。仰向けになったまま、闇の向こうに広がっている筈の天井を見上げる。もう一度寝入ろうと試みても、頭の芯が燃えるように気持ちが昂っている。

 どうしてあんな夢を観たのかは、わざわざ考える必要もない。心理学者じゃなくてもわかるぐらい、むしろわかりやす過ぎるぐらいストレートな夢だった。そんなものを観るほどに、自分が打ちのめされているのだと思い知る。

 掛布団を顔まで引き上げる。相手はたかだか機械じゃないか、と自分に言い聞かせる。

 その「たかだか機械」が原因で、自ら命を絶った人がいる。

 その「たかだか機械」に、母さんはさも楽し気に話しかけていた。

 夢で見た光景が蘇る。母さんの背中。何度呼び掛けても、こちらを向かなかった後ろ姿。

 果たして母さんには、僕の声は届いていたのだろうか?

 夢の中の出来事に現実の道理を持ち込むなんて馬鹿げているとは自分でも思うけど、どうしても気になった。

「疑問」はやがて、「疑念」へと変質する。

 母さんは、僕の声を無視していたのではないか?

 まんじりとも出来ないまま、僕は朝を迎えた。


 母さんはやっぱり、僕にOMOKAGEのことを一切打ち明けようとはしなかった。

 すっかり僕が何も知らないと思い込んでいるようだった。僕の方でも、OMOKAGEの存在に気付いていることは伏せていた。夜中に何度か話し声を聞いても、それについて問うことはしなかった。

 僕たち親子は、図らずも互いを騙し合う形となった。

 相手が隠し事をしていると知ってしまうと、他の全てまでが疑わしく思えてきた。母さんの笑顔や、優しい言葉や、温かい手料理が、偽物にしか見えなくなった。

「本当のことを教えてよ」と一言いえれば、どんなに楽だったか知れない。けれど僕には、そんなことを言う度胸も、言ったとして語られるであろう真実を受け止める勇気もなかった。僕に出来ることはただ一つ、無知を装うことだけだった。始終演技に徹せられるほどの強さも持ち合わせてはいないのだけど。

 当然の結果として、母さんと顔を合わせているのが辛くなった。前は夕食後の時間をリビングで過ごしていたけど、早々に部屋へ引き上げるようになった。あまり露骨だと怪しまれかねないから「学校の勉強が思いのほか難しくて」などと理由を捻り出した。

 散歩に出るようにもなった。事故に遭ったのが夜ということもあって母さんは難色を示したけど、リハビリという大義名分を示すと簡単に引き下がった。

 人も車も少ない夜の田圃道を歩くのは、僕にとって数少ない心落ち着く時間となった。空には月が輝き、星々が瞬いている。遠くの国道を行き交う車の音が微かに響く他は、何も聞こえない。物理的な独りぼっち。誰かに嘘を吐くことも、吐かれることもない。たったそれだけの事実が、僕を安らかな気持ちにさせてくれた。

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