2-4

 昼休み。屋上で昼食を摂りながら、僕は自分の身に起きたことの顛末を喜多君に話した。

 購買で買った焼きそばパンを齧りながら聞いていた彼の反応は「へえ~」というものだった。

「そいつは大変だったな」

 別に驚いてほしかったわけでも、手を取って泪を流してもらいたかったわけでもない。けれど、このリアクションは想定の範囲を超えていた。あまりに簡素なので拍子抜けして、むしろこちらがどう言葉を継げば良いのかわからなくなってしまった。

「まあ、生きてりゃ色々あるだろうさ」

「そうだね」

 下手な同情や気遣いよりも、この素っ気なさが僕は欲しかったのかもしれない。自分の人生を変えた大きな出来事を、俯瞰出来るくらい小さくしてくれる素っ気なさが、今はお湯のようにお腹の底にしみ渡る。

 喜多君が怪訝な顔で訊いてくる。

「なにニヤニヤしてんだよ?」

 言われて僕は、己の微笑に気が付いた。

「エロいことでも考えてるのか、不死身の男」

「不死身の男?」

「生きてりゃ色々ある。エロいこと考えるのも、命あってこそのことだ。生き返って良かったじゃねえか」

「いや、死んではいないんだけど」

 まあ、いいか。僕はパックのお茶をストローで吸った。


 午後のロングホームルームは、社会科見学の班決めに充てられた。

「一班最低三人以上で組んでください」

 担任が言った。

 銘々が動き出すと、教室の彼方此方で人間の塊が生まれ始めた。かくいう僕も、至って自然な流れで隣の喜多君と小さいながらも塊を形成した。彼がいなかったら、あぶれていたに違いない。

「一人足りねえな」

 喜多君はもう一人の人員を探して、教室を見回した。僕も倣って目を走らせる。

 廊下側最前列の席に一つ、自席に座ったまま動かない小さな背中があった。女子だ。名前は何といったろうか。周りの女子たちが皆グループを作っているため、その姿が際立っている。友達に誘われるのを待っている、というのでもなさそうだ。

「あいつでいいか」

 喜多君も同じ方を向いていた。

「女子だよ?」

「でも『一人』には変わらない」

 こちらが引き留める間もなく、喜多君は女子の方へ行ってしまった。僕も腰を上げ、そちらへ向かった。

 喜多君に声を掛けられた女子は、黒いショートヘアを揺らしてそっぽを向いた。ファーストコンタクトは上手くいかなかったようだ。それでも喜多君はめげることなく、果敢にアタックを続ける。

「なあ、組もうぜ。どうせまだ決まってないんだろ?」

 女子は、まるで何も聞こえないというように机に突っ伏してしまった。

「感じ悪いな」

 喜多君が呟いた。

「言い方だと思うけど」

 こういう時でなくても、相手を説得したかったら「どうせ」という言葉は口にすべきじゃない。

 すっかり打つ手がなくなったように思えたけど、喜多君の中では違うらしかった。彼は突っ伏した相手に顔を寄せ、あまつさえ肩まで揺すり出した。豪胆とか無神経という物差しでは測れない、彼なりの道理があるようだった。

「おい、起きろ。授業中だぞ」

 女子は顔を上げた。けど、素直に喜多君の言葉を受けたわけではないことは、すぐにわかった。彼女が目にも止まらぬ速さで繰り出した右ストレートが、喜多君の鳩尾に完璧な形で入ったのだ。

 喜多君は前屈みになったかと思うと、そのまま膝から崩れた。

「い……息が……」

 ヒューヒューと漏れる呼吸の合間から、聞いているこちらまで苦しくなるような掠れた声がした。

 けど、ぼんやりと喜多君を観察している場合じゃない。わざわざ自分に言い聞かせるまでもなく、すぐに女子の尖った眼差しとかち合った。長い前髪の間から向けられるそれは、叢から睨みを利かせる猛獣のようだった。

「あ、いや、無理にとは言わないんだけど――」

 僕は頭の中に散らばった言葉を掻き集めながら言う。具合の悪いことに、広範囲に亘ってバラバラになっている。

「一応、一班三人以上って決まりがあるわけだし、誰とも組まないってわけにはいかないんじゃないかな」

 眼差しは、まだ尖ったままだ。

「他に誰かと組む予定があるんなら仕方ないけど、もし良かったら名前だけでも貸してほしいんだ。僕ら、他に頼める人がいなくてさ」

 張りつめていた何かが緩むのがわかった。女子は少しだけ俯いた。目元が前髪に隠され、どんな表情をしているのかは窺えなかった。

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