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学校での僕は「休学」という扱いになっていた。
学校側の計らいなのか元々そういう制度なのかは知らないけど、僕はいくつかのテストを受けた後、四月から二年生として復学することになった。かつての同級生たちとは丁度一学年差が出来てしまったわけだけど、一夜漬けでどうにかなったテストの内容を思えば、もう一度一年生から、とならなかっただけマシだった。
僕が事故に遭ったのは一年生の二学期だから、新たに同級生となる新二年生の中に知った顔はいない。それでもどこからか噂は流れるらしく、教室の誰もが僕から一定の距離を置くのに三日と掛からなかった。
教室に一人だけ年上がいる居心地の悪さというよりは、事故で昏睡状態にまで陥った不吉さを忌避しているきらいがあった。どちらにせよ本当のことだから、クラスメイトたちに罪はない。こちらとしても、今まで仲良くやってきた「同世代同士」の仲を無暗に掻き回すつもりはなく、自然と双方が身を引く形となった。それが誰も傷つかない、たった一つの冴えたやり方だった。
一方で、かつての同級生たちは僕の復帰を喜んでくれた。特に陸上部で一緒だった人たちは、熱烈に部活へ戻るよう誘ってくれた。そんな彼らに僕は、笑みを浮かべたまま応とも否とも答えなかった。といって、気持ちははっきりと後者で固まっていた。まだどうせ走れるようになるまで時間は掛かるだろうし、どうせ大会にだって出られない。それに、彼らの目の奥にはやはり、教室のクラスメイトたちが持つのと同じ色の光が見て取れた。
結局、「死」に近づき過ぎた人間は疎まれる。ほんの少し肩に手を乗せられただけでもにおいは移り、強烈な臭気となって辺りに漂う。大抵の高校生はまだ「死」を間近に感じた経験も少ないだろうから、耐性がない。好むと好まざるとに問わず、臭気に反応してしまうのだろう。
それでも一度、放課後の練習に顔を出した。無碍に断れば、彼らの優しい言葉の裏側を覗いたことがバレてしまう気がした。彼らを傷つけたくなかったし、僕自身も傷つきたくはなかった。
コンクリートの道とグラウンドとを隔てる縁石に腰を下ろし、練習を眺める。全員そろってのランニングから始まり、準備運動を終えると競技ごとに分かれての練習が始まる。
グラウンドは他にサッカー部とラグビー部が使っている。三つの部が肩を寄せ合うようにして、時には譲り合いながら練習する様子は素直に懐かしい。と同時に、かつては当たり前過ぎて何とも思わなかったことにいちいち気を留めてしまうことに、自分が随分遠くへ来たのだと教えられている気分にもなった。
トラックの方から手前へ目を引くと、走り高跳びの選手たちが練習をしている。その中に佐々木の姿があった。
彼女とは小学校からの付き合いだ。クラスも同じで、クラブ活動も同じ陸上クラブだった。「付き合い」といっても、いわゆる男女のそれとは違うのだけど。
でも、「お付き合い程度」という人間関係よりは幾分親密だと己のことながら思う。僕はクラスの男友達よりも佐々木に何でも話した。彼女の方でも真摯にそれを受け止め、適切な(時にはハッとしてしまうほどの)言葉を返してくれた。どれだけ同級生たちにからかわれようと、僕は佐々木と話すのが好きだった。それは今でも変わらない。
またこれも誤解を招く言い方かもしれないけど、僕は彼女に憧れていた。女性として、ではなく、一人の人間として、だ。彼女はいつだって自分に厳しい目標を課していた。勉強にせよ部活にせよ、己の限界より少し高い位置にハードルを設定し、挑戦する構図に身を置くのだ。もちろん、誰もがこうあるべきなのはわかっている。けど、頭ではわかっていても、それを実践出来る人間は少ない。そういう意味で、彼女は僕の憧れなのだ。
佐々木はバーを落としてしまった。マットの中から起き上がった彼女は首を振っていた。それからマットを出てペットボトルを拾うと、後輩に休憩にすると言い渡してこちらへやって来た。
隣に良いかと問うので、もちろんと答えた。
「どうしてもあの壁が越えられないのよね」
彼女は昔から、バーを壁に見立てる。その方が余計に「飛び越えなくては」という気持ちになるらしい。
「惜しいように見えたけど」
「惜しくても、越えられなかったら意味ない。記録はつかない」
「それはそうだけど」
「それはそうだけど、それが全て」
ペットボトルの蓋を回しながら、彼女は言う。目標を果たすためなら、どこまでも自分を追い詰めることを厭わない。僕みたいな人間の眼には、それが逞しく映る。だけど、どこか危うさも感じてしまう。
佐々木は水を一口飲んで、蓋を閉める。
「ところで、どう、新しいクラスは?」
「あまり楽しくはないかもしれない」
誤魔化しても無駄だから、正直に言う。
「残念だけどそう見える」
「でもまあ、一人でいることも直に慣れるよ」
「慣れていいものじゃないよ、それ」
グラウンドではラグビー部が試合形式の練習をしている。楕円のボールが蹴り上げられ、屈強な男たちがそれを追いかけていく。
隣の佐々木がぽつりと言った。
「――長距離の選手、去年も今年も入ってないよ」
つまり、僕以外のメンバーは僕が長い眠りに就く前にいた同級生たちということだ。
「向田は、もう陸上やらないの?」
佐々木の問いは、字面こそ他の同級生たちと同じだったけど、響きが違っていた。彼女の言葉には、社交辞令的な響きがなかった。そして、芯から僕に部へ戻ることを求めているように思わせてくれた。
だけど、僕に出来ることはやはり、曖昧な笑みを浮かべて首を小さく振ることぐらいだった。佐々木は「そっか」と今度はペットボトル自体を回しながら呟いた。
「今は歩くことで精いっぱいなんだ」
僕は言った。毎日1500mも走っていたのが、夢のようだ。
二年生だろうか、後輩が佐々木を呼びに来た。佐々木は「今行く」と答えた。
「そろそろ帰るよ」
そう言って、僕は腰を上げた。よろめくまいと心掛けたけど、佐々木に支えられてしまった。
「向田なら、すぐ元の通りになれるよ」
単なる激励ではない、祈りのような響きがあった。
僕は頷いた。
「ありがとう。佐々木も大会、頑張って」
今度は佐々木が頷いた。三年生は六月の地区大会が実質の引退試合となる。無論、勝ち抜けばその先もあるのだけど、うちはそれほどの強豪校でもない。それ以降も小さな記録会などはあるけど、「地区大会が最後」というのは部員全員が無言のうちに持つ共通認識だった。
グラウンドに背を向け、歩き出す。誰かがホイッスルを吹き鳴らす音が聞こえた。
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