続、失跡の占星術士

 壮年の男と、幼い少女。二つの影が、森の中にある小屋から離れていく。

 あくまでも手を振ろうとはせず、然し背中が見えなくなるまできっかりと見送る一つの影があった。

 海色のローブを着こなし、海色の髪を爽やかな風にたなびかせ、ドングリのような茶色の眼を持つ少女である。

 じきに森の木立の中へと姿を消していく背中から視線を落とす。そんな束の間だった。

 ぐしゃり。形容すると、そんな音だ。

 彼女がたったいま話し込んでいた小屋が跡形もなく潰れた。斜めになった屋根の縁にたまっていた雨水が彼女のローブの裾に跳ねる。

 やたらと頑丈な棚が瓦礫の中でも強健な姿を晒しているが、木の板で作ったほかの家具らしい家具はみな一様にして潰れているようだ。


「あら」


 なんて事のない顔をして呟く彼女であったが、その通り、意に介している様子もない。鳥が目の前を通りすがっていく姿を目で追いかけるほどの余裕はあるらしい。

 首を軽く横振って、彼女は足元まで転がってきた一枚の木の板を爪先で軽く小突く。


「また立て直さなきゃならないわ。……村まで材木を取りに行かなきゃ」


 あっけらかんとして呟くと、小突いた木の板を引っ張って、小屋前の開けた場所へと運び直す。

 瓦礫の山と化した小屋を繕う為の木板を一枚、また一枚と引っ張り出しては積み重ねて往く。まるで毎月、毎週行っている行事が如く、とても手慣れた動きだった。


「人間だ!」

「人間!!」


 数枚から十数枚、十数枚から数十枚。たくさんの木板と木材を運び終えた彼女の前に、二体の小鬼が躍り出た。

 血に汚れた衣服をまとい、血の付着したウシとヒツジの頭蓋骨をそれぞれ胸当てとして装備している。

 二体とも片手に得物を持ち、きょとんとする彼女を前に一歩二歩と距離を詰めていく。


「人間?」


 きょろきょろと周囲を見渡す彼女は、彼らがいう人間が自分なのだと改めて把握する。

 

「火の気配がない!! お前、火の人間じゃない!」

「違うな、違う! お前は食べていい人間なんだ!」


 驚くとも言い難く、言葉にならないとはまた違う。さながら、不可思議な物を見つめる眼だ。

 引きずっていた木の板を丁寧に積み重ねる山のてっぺんへと置き直すと、彼女は彼らの格好をまじまじと見つめた。

 星の声を聞く水晶玉は棚の傍らに転がっており、少しだけ彼女とは距離がある。

 背中を見せたらひとたまりもない。

 ……などと彼女は思う事はなく、ふうん、と口に出しながら自らの顎先を撫でていた。

 そして、顎先を撫でていた手を、徐に彼らへと差し向けたのだ。


「ウシとヒツジだわ」


 彼らの動きが止まった。食べると言っていた口を、間抜けにもぽかんとさせている。


「ウシくんとヒツジくんでいいかしら。くん付けも癪だけど。あたしを食べるなら、あたしの家を建ててからにしなさいよ」


 傾きだした夕日色の陽が、ふんぞり返りながら物を言う彼女に後光を差して、彼らに届く。

 突っ立つ彼らの目元を、少しだけ眩しい日差しが照らしている。

 ウシとヒツジ、そう称された彼らは、互いに顔を見合わせると、胸元に飾る頭蓋骨を頭に被り直し、得物を地面に突き刺してこう言葉にした。


「仕方ないなぁ!!! 人間のくせに偉そうなヤツ!!!」

「しょうがないから、人間のお前の家つくってやる!!!」


 得物の代わりに、彼らが手にしたのは木板だった。

 まだ片付け切らない木板を両手に片し始める二体の小鬼に、彼女は水晶玉を手に抱える。近場の切株に腰掛ける辺り、これ以上動く気は無いようである。


「あら。識別がし易くなったわね」


 ずいぶんと従順に聞く彼らを驚く事もせず、彼女は機嫌良さそうに笑みを浮かべた。

 彼女が確りとした小屋を寝床に眠りに着くのは、一晩置いた明晩の話である。

 そして彼らが今宵口にできたのは、クランベリーのクッキーと、ラニーディのシロップが入った、ニルギリの茶葉で作った紅茶であった。 

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