雨の森-2

 曇り空は森の上に停滞し、雨は耐えず降り続けていた。現状、私達はこの森の長雨に足止めを食らっているのである。

 ヴィダルへ黄金色の粒を手渡してから半刻程が経った。遙か彼方で、遠雷の光が曇り空を不規則に明るくさせている。

 肌寒さに眼を覚ましたのか、ベラが眦を擦りながらもぞもぞと身を起こしていた。寄り掛かる私の膝へ、べしゃりと身を乗り出しては転がる様子に肩を竦め、手を貸して隣へ座らせて遣る。


「あめ……」

「ええ。出発は雨脚が弱まったら、……とは、思っていましたが、どうにも、雨が止む気配がありません」

「まだまだやまない、ですか?」

「はい。加えて、気温の変化が激しいですから。貴女が濡れて、風邪を引いてしまうのは困ります」

「かぜ」

「ええ。風邪です」

「かぜ! だいじょうぶです、先生! わたし、お水だいすきです!」

「いえ、そういった事では無く……」


 自らの両手を拳に変え、胸の前でたくましく握り込むベラはどこか得意気であった。

 身体へ掛けていた私の上着がずるりと落ちていくのに、慌てて振り向き、再び頭から被り直して、……毛布よりは重たいそれにバランスを崩し、再び私の膝を目掛けて前のめりに転んだ。

 重たくはない、痛くもない、だが、勢いの強さに。私は、名状しがたい表情を浮かべてしまった事だろう。

 これはしたり。


「せんせい!」

「はい?」


 不意、ベラが此れまでに見たことが無い素早さで顔を上げた。私の声は、随分と素っ頓狂な物となった。


「あしたは晴れます、はれです!」

「……晴れですか。…どうして、晴れだとわかるのですか」

「晴れるからです!」

「ミー!!」


 空を指差してそう訴えるベラに引き続き、先の飴を強請るかの如く、ヴィダルもまた短い手を上げて私へ詰め寄った。

 静寂に抱かれる雨音を押し退けるが如く、一挙に鼓膜を賑やかな声が叩く。誰がどう見ても頓珍漢な会話となろうが、余計な茶々をいれる事はせず、喉を小さく鳴らし、ベラの頭を布越しに撫で摩る。


「わかりました。ベラ、貴女の言うことを信じましょう。明日の何時頃、晴れますか?」

「おひさまが、お空にのぼるときです!」

「太陽が空に昇る時……明け方でしょうか」

「お空にのぼるときです!!」


 しばしば会話が成り立たなくなる点は、今に始まった物ではない。


「わかりました。お空に昇る時、を覚えておきます。ベラ。雨の日の夜は、より肌寒くなります。私の上着をきちんと羽織って、体力を温存して、明日の朝を迎えましょう。雨が止んだら、すぐ出発できるように」

「はい!」

「お腹がすいたら、きちんと言ってください」

「ミィ!!」

「ヴィダルは食べ過ぎです」


 ここぞと主張するヴィダルからそっと視線を反らし、暗にベラへ眠るように促した。

 言う通り明日が晴れるとすれば、肌寒い気候は、汗を垂らす程に暑くなる季節へ移ろう事を示している。暑くなればなるほど、この子の嫌う虫が活発になる。

 あの村へ入る前に拵えた虫除けの水を、この雨が止む前に作らなければ。

 地面へ敷いた薄い布の上へ身を横たえるベラの頭部の下へ、食事の器を包んでいた布を四つ折りにして潜らせる。曇り空の下では正確な時間を把握しきれないが、夕刻までまだ時間があるだろう。

 この木の範囲で、何かハーブを……。


「せんせい!」


 腰を上げかけた私へ、ベラが声を張り上げた。思い掛けず、地へ露出した木の根へ引っ掛けそうになった足を踏ん張らせ、中途半端な姿勢で何かと首を捻る。


「昔のおはなししてください!」


 今暫くはしていなかったからと安心しきっていたのだが。

 私の上着を毛布代わりに、口許まで被るベラが、くぐもった声を再度と張る。


「……わかりました」


 元いた位置へと座り直し、ベラの眼許を手で隠し、私は重たげに口を開く事にした。




 今日は雨ですから、雨のお話をしましょう。ベラ。

 雨とは、植物、動物、人、精霊、魔獣、神霊……種を越えて、命を持つ物全てへ恩恵を与えるものです。切っても切り離せない、命を育むには絶対的に必要なものなのです。

 特に。小さな集落から大きな街までを問わず、水源を断たれた人間の生活は、悪い方へと著しく変貌してしまいます。

 あの村へ辿り着くまでに、私達はあらゆる村、町を見てきましたね。

 手の平に乗る小さな水瓶から、人の手で作り上げた大きな湖、手段は違えど、皆一様にして雨水を溜めていました。

 私達はこの長雨のお陰で此処を動けていません。ですが、この雨を必要としている存在は、この森に多く存在しています。

 もちろん、余りにも雨が続けば、植物は地中に張る根を腐らせ枯れてしまう事も、穏やかな川が氾濫して動物を呑み込んでしまう事もありえます。

 雨とは、命を育ませる上ではとても大切な存在であり、或いは恐ろしい存在でもあるのです。

 ……昔話でしたね、すみません。します。しますから、ベラ。私の上着を噛むのは止めなさい。


 私の村は、どちらかと言えば、雨よりも日照りの続く場所にあった……と、思います。

 いつ降るかもしれない雨を待つより、自分達で湖を作り、そこに水を溜めた方がよい。そう村長が決め、ひと月ほど掛けて湖を作り終えたある暑い日。

 かんかん照りの続いていた空が突如暗雲を立ち込めさせると、大きな雨粒が大地へ降り注ぎました。始めは喜んでいた皆も、一日、また一日と経っても止まず、耕していた作物すら流されて、恵みの雨から恐ろしい豪雨へ変わりゆく自然に恐怖を抱いていました。

 いつ止むだろうか、太陽の日差しを浴びる事はもう叶わないのだろうか。

 家の屋根を叩く雨音に怯えて、怯えて、五日。ふと目を覚ますと、雨音がしない。やっと止んだのか……村長が恐る恐る起きると同時、ベラ、貴女と同じくらいの歳の子である、村長の息子が飛んでやってきました。

 父さん、父さん。外が、外が!

 尋常では無い息子の様子に恐れおののきながら、村長は意を決して、家の戸を開けて外を覗こうとしました。

 ですが、何やら他の村人の声が聞こえてきます。

 これは一体、なんと、ありえない。そう口々に零す村人の声に、戸を開く指へなかなか力が籠もりません。 

 早くとはやす息子の声に無理やり発破を掛けられ、漸く戸を開け放ちました。

 するとそこには、……




「七色の……、……ベラ?」

「ミー」


 話の肝をいざ口にせんとして、また反応を窺う意もあり。ベラへ一瞥を向けると、眼を閉じて健やかに眠る姿に、私は自然と口を閉ざした。

 ベラの代わりに反応するヴィダルを憮然と眺め、無意識下に肩を落とし、大樹の幹へと背中を預ける。

 からり、乾いた音を立てて転がる瓢箪を慌ただしく取り押さえ、ベラの寝顔を今一度確認した後、私は鞄の中へそれをしまった。


「寝物語がいざ盛り上がる、……という場面で眠りにつく。これは彼女の才能でしょうか。……寝物語を作る才能、私にもありますかね」

「ミ?」


 湖を作る、までは、ベラが起きる前に思い出した断片的な記憶の通りなのだが、その先は由緒正しく作り話をしていた。

 自慢含めてヴィダルへ問いかけはしたが、首を傾がれてしまった。きっと独り言にでも思われたのだろう。

 私は、木の葉の隙間からぽたりと眉間を突いた水滴に数度瞬きをして、予定通り、ベラの肌膚に塗る虫除けの塗布薬を作る事に専念しよう。

 何より、長雨のお陰で水に事欠かない今、飲み水の確保もきちんとしなければ。嗚呼、思ったよりも忙しいかもしれない。明日の朝が期限と思うと、途端に時間が短く感じる。


「……物語を最後まで聞かずとも。ベラの言葉が本当であれば、きっと明日には真相が知れるだろう」


 雨音に掻き消されない声量で。誰に語るでもないが、そう声に出していた。

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