雨の森-1

 シャウリアの村を発ってから一日が経つ。私達は、雨の降りしきる森の中、大樹の下で雨宿りに耽っていた。

 日持ちする食材以外はベラとヴィダルに食べさせ、空にした二つの箱を軽く雨水で拭いてから貴重な水分を溜め込む。気を遣ってくれたのか、汁気の少ない食べ物を多めに持たせてくれていたお陰で、箱は汚れが少なく済んでいた。


「ベラ」

「! はい」

「こん…ぺい、とう。は、大事に食べるのですよ」

「も! もちろん、です!」


 袋に指を突っ込んでいたのは、見なかったことにしてあげましょう。ええ。

 ベラと私のやり取りを気にする素振りも見せず、ヴィダルはその布地に水気を集らせてぐったりとしていた。無理もない。一昨日繕ったばかりでは、縫い目も馴染んでいないだろう。常より多く湿気を吸い込んでしまっては、身軽とは言えまい。

 茫洋とするヴィダルの見詰む先を眼で追えば、大樹の対面に位置する木々のうろから小動物が顔を覗かせている様子が窺えた。

 雨はつい先程から、唐突に降り始めた。時間が過ぎるごと、次第に雨粒は大きくなり、勢いも少しずつ増し始めている。

 大樹の陰に素早く潜ることが出来た私達は、きっと運が良かったのだろう。ずぶ濡れになった狐が目の前を通り過ぎ、また違う木のうろへ逃げ込む姿も見られた。

 持たせてくれた食事には煎茶が良く合って、甘いジュースばかりを好むベラでも飲みやすい物だ。煎茶が入れてあった瓢箪へほんの少し、溜めた雨水を流し込んで軽くすすぐ。

 ベラは極々薄味の煎茶を好まないだろう。私はそれを飲み干し、逆さにして大樹の幹へと立て掛けた。


「……湿気の籠もった森の中で、乾かす行為など意味はないだろうか……」


 ふと横を見れば、長雨の景色に飽きたのか。ベラはヴィダルを懐へ抱え込み、私へ寄り掛かるように眠っていた。土砂降りでない雨音は、子守歌には丁度良いのかもしれない。……つい、数分前まで喋っていたはずが。昔話を強請らなくなって、寝付きがよくなったと思えば、良い事、ではあるだろう。

 しかし不安定な態勢だ。

 自らの上着を取ると、寄り掛かるベラの身体を抱え直し、包むように上着を掛ける。途中ベラの手から滑り落ちたヴィダルが、地面と顔をぶつけていた。のたうち回る小さなその身も、ベラと一緒に包んでしまおう。多少なりとも温かいだろう。

 これから暑い季節へ移ろうはずだが、この長雨は肌寒さを引き連れてくるものだ。


 しとしとと、雨が降っている。

 

 酷暑へ移ろう前準備として、雨は地に降り注ぎ、大樹を始めとした植物たちはその潤いを身に蓄え込む。動物達は、その植物たちの恩恵に預かって暑い季節を乗り越えていく。

 人も同じように、水瓶や貯水湖を使って渇きを収め、実りの秋へと備える。人であった頃、私も貯水湖作りへ従事していたと、朧気ながらも記憶が蘇る。

 川の水量が増して、眼と鼻の先にあった集落が流されていた事もまた思い出した。運が悪かった、そう口を揃える村人達を、私は肯定も否定も出来ずに、何もかも流されてしまったその跡地へ只管に十字を切っていた気がした。

 背の高い数本のザクロだけが、水圧に抉れた幹を晒しながらも確りと根を張り立ち尽くしていたか。

 雨音だけが響く静寂とした森の中、何れの記憶も、たったいま思い出した物ばかりだ。


「ミッ」

「……ヴィダル。…ベラは、まだ起きていませんね」


 寝入るベラの懐から這い出てきたヴィダルが、私の膝上へ飛び乗り、短い手足をぐるりと回した。何かを主張するよう引き続き振り回しているが……思案に余る私へ、態とらしいまでに大げさに肩を落として座り込んだ。

 胡座を搔き、腕を組み、ふんぞり返る様は、何処かの領主めいて権高に出ている。


「ミ、ミィ、ミッ。ミミ、」

「はぁ」

「ミ!! ミ、ミィ、ミー!!」

「はい」


 何を言っているのか、全く判らない。適当な相槌と知られているのか、不機嫌そうに私の膝を叩きながら、引き続き主張を続けている。

 静寂な筈の森にヴィダルの奇妙な鳴き声が響き渡ると、解けかけていた記憶の塊が姿を掻き消していく。雨風に振り落とされたザクロの実を拾い上げて口にしたら、美味しかった、…それだけが頭に残る。

 訴えかけていたヴィダルも次第に息を切らせ、短い手足を広げて背中から倒れ込んでいた。聞き流していた私が恨めしいのか、釦の眼をじっとりと向けてきている。

 こほん。

 一つ、空咳を落として、私は鞄を引き寄せて中を漁る。手の平よりも小さな小瓶の中に、円く成形された黄金色の粒が転がる様子を見せる。


「ミっ?」

「たしか…べっこ…う……飴……という、物だそうです」


 同時に手帳を取りだし、名前の確認をしながらヴィダルへ教えよう。斜めになった機嫌を直して、ヴィダルは小瓶へと手を伸ばす。

 手帳を戻したその手で小瓶のコルク栓を抜き、布地の腕をめいっぱいに広げるその上へ一粒、ころりと転がした。

 瓶越しに見た色の通り、粒は澄んだ黄金色のまま光っている。


「果物より甘く、こん…ぺいとう……と等しく甘いそうですが、暑くなってきたら、此方の方から先に食べる様言われましたので。……内密にお願いします」

「ミ!!」


 起きる気配のしないベラから顔を背け、潜めた声で慎重に告げる。首を縦に幾度も振るヴィダルに浅く頷くと、小瓶に栓をして鞄の奥へとそれを隠した。

 さて。

 大樹の幹へと背を預け、止まぬ雨を眺める半分。飴を頬張るヴィダルの様子を窺う半分。眉一つ動かさず、私は今暫くの時間をじっとして過ごしていよう。

 美味しさにか甘さにか、もう一つ寄越せと鞄を叩くヴィダルを摘まみ上げ、咎めていたのは言うに及ばない。


「……明日には、止んでいると良いのですが」


 独り言ちる私の声は、静かな雨音に掻き消される。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る