火と寵愛の村-9

 襤褸布みてえな身体の俺を余所に、シャウリアの村はこれ以上に無く賑やかに、夜通し馬鹿騒ぎへしゃれ込んでいた。

 誰と酌み交わしたのかも定かじゃない、血の滲む包帯をぐるぐる巻きにしている俺を指差して笑ったり、身体に良い物食えと野菜ばかり口にねじ込んできたり、いつもの宴その物だった。

 異端だったと言えば、土の上で寝転ける男共へ布を掛け遣っていた親父が、何時に無く真剣な顔をして俺にこうべを垂れたとか、そんなもんだ。お袋も揃って垂れてきた時は、流石に止めてくれと難じたものだ。

 空が白み、山が白煙を噴き上げる。鳥が囀り、虫が鳴く。何てことのない朝のはずだが、俺には何処か、目に映る全ての景色が、俺達に風雲急を告げようとしているんじゃねぇかって、勘繰っちまう。

 今日、俺達は、この村を置いていくんだ。


「あ"ぁ"ーーーーっッ」

「うるさい」

「飲み過ぎたァ……!」


 声を荒げる俺の隣で、少ない荷をこしらえるミアモが淡々と言った。

 夜の目も寝ずに馬鹿騒ぎしたのは男も女も同じはずだが、女衆はキビキビと起きだして彼方此方と村を走っている。中には旦那を叩き起こす女もいて、重い荷をこしらえていた。

 俺はと言えば、怪我も勿論あるんだが。目は覚めても身体が鉛にでもなっちまったかと疑う程、動ける身じゃねぇもんで。地べたに寝そべって、夜の紫と朝の白が混じり合う空の色を眺めているばっかだ。

 ねみい。

 ふあ、とデカい口を開けて欠伸を逃す。目許に滲む涙を軽く拭って、目を細めた。


「おはようございます」


 この村では聞き慣れねぇ、丁寧な挨拶が上から降ってきやがった。

 見れば、ミアモがどっかいった入れ替わりに、先生と、眠たそうなベラが手を引かれて俺の寝転ぶ傍までやってきていた。

 ベラの肩に乗っかるヴィダルは、未だ寝てんのか、ぴくりとも動かねぇ。


「おう。はよう、先生、ベラ」

「身体の具合は如何ですか」

「あ? あぁ。まぁまぁだな。七日くらいは寝転がってた方がイイとは言われたがよ、デカい動きしなきゃ痛くねぇさ」

「そうですか。ともあれ、どうかお大事になさってください」

「ありがとよ。……ベラはまた、随分と眠たそうにしてやがるけどよ。先生達はもう此処を出るのか?」

「ええ、そのつもりです。私達は南の森を抜けて東へ…南東へ向かう事になりますか。道を違えると、貴族がいるという街へついてしまうようなので。明るい時間を多く割いて、慎重に向かおうかと」

「賢明な判断だな」


 俺の世辞に肩を竦めると、先生はもう一度だけ「お大事に、ありがとうございました」言葉を残して踵を返す。

 引っ張られるベラの足がもつれて身体をふらつかせていたが、先生に引っ張られてツンと背筋を伸ばした。


「先生」

「はい」


 ちょうど背中を向けたばかりの先生が、俺の掛けた声に振り向いた。

 

「あんたらに――」

「ちょっと良いですか」


 俺の声を綺麗に遮って、ミアモが何かの包みを手にして戻ってきた。

 真四角の形に何かを包んである物と、瓢箪が二つ。ちらと俺と先生を交互に見たミアモが、先生へとそれらを差し出す。半端に声を掛けた俺へと目配せした先生へ、手を軽く振って、受け取ってやれと暗に所作で示してやろう。


「これは……」

「三食ぶんのお弁当。一番下の箱は、一日くらいなら持つから最後に食べて。上の二つの箱は、日持ちしない物だけど、今日中に食べれば大丈夫。…です。そっちの瓢箪は冷ました煎茶と、お水。南の森はちょっと深いから、多めに」

「ありがとうございます」


 ベラの手を離してそれらを受け取る先生をよそに、ミアモは懐からまた新しい包みを取り出し、寝惚けるベラへと何かを手渡している。

 意識もそぞろか、ベラは首を傾いだまま受け取りはしても、手の平に収めるだけで開ける様子が無い。


「ベラ、お礼をちゃんと言いなさい」

「あっ、あ、ありがとう、ございます!」


 親か。いや、親みてぇなもんか。

 先生の声にハッと意識を戻すと、ベラはミアモに向かってへこへこと頭を下げる。


「これ、は?」

「金平糖」

「こ…ん……?」

「金平糖。お砂糖とお水で作った、あまいお菓子」 

「だとよ、ベラ」

「お菓子…!!」


 目に見えてベラが声を弾ませやがる。眠たげなツラは何処へやらだ、瞼をパッチリ押し上げて、大事そうに抱えなおすと、それを服のポケットへと仕舞い込んだ。

 先生とベラへ渡すものを渡すと、ミアモは村中で寝っ転がった侭の男共を起こしに行った。


「あの。先程、何か仰いかけていませんでしたか」

「あ? あぁ」


 そう言えばそうだったか。

 俺は上半身を起こして土に座り込み、のっろい仕草で以て立ち上がった。いて、と無意識に声へと出すが、動けない痛さじゃあねぇ。気遣いの手を伸ばす先生に待ったを掛け、俺は村を見渡した。

 村の皆がばたばたと忙しなく動き回っているのが見える。遠目に、親父が馬へ餌を遣り、お袋が布類を持ち出しているのもまた見える。


「親父とお袋へは声掛けてったか?」

「えぇ、はい。貴方の様子を見る前に、挨拶は済ませてきました」

「そっか。なら良いやな」


 コッチだ、と手招いて先生達を引き連れて歩く。方向感覚は大丈夫だろうが、あの雑な地図を見るに、多少の節介は焼いといた方がいいだろうさ。

 俺の後を確りついてくるのを後ろ背に確認しながら、俺は動物避けの香が焚かれている一角で立ち止まった。簡素な村の柵の途切れた箇所を指で示す。


「位置的にはちょうど真南だが、獣道の所々に木で作った道標があらぁ。それを頼りに出りゃ、そうさな……ベラの足で頑張りゃ、三日三晩程度で森を抜けて街道にでられるはずだ」

「ありがとうございます」

「おう」


 道を明け渡すみてぇに、俺はくるりと身を翻す。ほれと顎で指すそれは正しく獣道だが、火の神様が腰を下ろすあの山よりかは、大きな急勾配もない。まだ緩い道のりだろう。

 サクッと礼の言葉を述べる先生に手を引かれ、ベラとヴィダルが森の道へと入っていく。

 花と緑の道、木々に覆われている其処は、太陽が昇れば暖かい木漏れ日を差して先生達の行く先を照らしてくれんだろう。

 馬鹿騒ぎする俺達に浅く付き合った後、温泉に長々浸かっていたのはお袋から聞いていた。足腰は無事だろうからな、港町に出るのも苦労しないはずさ。

 逆に、山を越えて北へ向かう俺達の旅の方が過酷かも判らねぇ。まあ、どうにかなるだろう。

 森の植物たちに隠されるみてぇに、徐々に見えなくなるその背中へ、俺は右手を挙げて見送る。いつもいつもそう言って、訪れた人間を見送ったようにだ。此れが最後の見送りになるんだ。


「火の加護を」


 火の神様に寵愛されたこの村を、俺達もまた去って行く。今日もまた、快晴だ。

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