火と寵愛の村-8

 扉の閉まる音を合図に、静まりかえった部屋の中。ベラが起きる前に何の話をしていたっけか、と宙へ視線を反らして喉を鳴らす。

 あぁアレだ、次に向かう街の話だった。

 背景に聞こえるのは村の奴等の賑やかな声。客人が来た時のうるささと同じだ。それを耳に入れつつ、ヴィダルの修繕とやらを終えて両手の空いた先生へ、俺は地図を見せてくれと右手を差しだす。

 一瞬でも不思議そうに首を捻ったのに、あ、と俺の間抜けた声が響く。


「ベラのもってた鞄なら、そこの棚に置いてあるぜ。あー、引き出しじゃねぇ、下ッ側引き戸になってんだろ? そっちの右側、詰んでる空箱の裏だ」

「そうですか、……ん? 空箱の裏は板が……」

「その板を上の方で小突いてみ。とれんぞ」

「……! ありました、が。随分と用意周到ですね」

「絶対に無くさない為の隠し場所みてえなトコだな、それは。ベラが大切そうにもってたからよ」


 俺の指示通りに棚を物色する先生の後ろ背が、ベラがもってた鞄を腕にして此方へ向くまでを眺める。

 俺を真っ直ぐだと称したあの先生とやらは、素直っつう、似たり寄ったりな言葉を抱く。

 頻りに鞄の中身を探る様子に片眉を跳ね、言うことの聞かねえ左手でなく、右手を擡げてひらひらと手を振る。


「どうだい? 無くなったもんはないだろ。流石に子どもとは言え、人の鞄をぶちまけて漁る事ァしねえぜ、俺らは」

「……ええ、いえ。失礼しました。習慣と言いますか、……目の届かない範囲に鞄を置いたことが無い物でして。地図でしたね」

「おう」


 鞄を長机に置き、先生は地図を広げて俺へと手渡した。滅多に集会所を夜に使う事がねぇから、窓から差す月の光に向けて地図を偏らせて地形を追う。

 ……テキトーな地図だな、地形の書き方が雑過ぎる。なんざいっては失礼か。双眸を細め、眉間に皺を寄せ、んな感じの面構えをしている所為か。地図を預けてくれた先生のツラが妙に強張っている様にも見えた。


「――ま。さっき言った通りだがよ。アンタらが越えてきた山は、俺等の村からすると北に位置する。そんで海沿いにあるだとかいう街は、……さっきの通りだ。西は北の山を迂回する順路にあるようなちっぽけな集落しかねぇしな。その先は崖があるんでどん詰まり」

「そうですか。とすれば、必然的に南へ向かうことになりそうですが……」

「そうさな。南はまた深い森に覆われちゃいるが、あの山を越えようとして、山の坑道に落っこちたんだろ? んで出てきたんだろ?」

「いえ、あれは、偶然といえるような……」

「偶然も幸運、幸運も実力のうち。抜けられんだろう。で、南の森を抜けると、やっぱり海が見えるわけだが。東の街道沿いを行くと、行商してるおっちゃんの言うことだが、穏やかな凪の海、と、港町が広がってるって話だ。行くなら東を勧めとくぜ」

「……そうですか。話を聞いている限りは、其方側へ向かうつもりですが。どうあれ旅路は、今夜にでも決めたいと思います。お話をありがとうございます」


 ほれと手渡す地図を受け取りがてら、先生は随分と堅苦しい言葉で礼を言ってくれた。

 別に何てことねえが、妙にソワソワとしちまう。落ち着かねえ、ってヤツだな、此れは。

 顎を引いて口角を上げた俺は、ふはァと息を吐きながら窓越しの夜の村に視線を遣った。火の神様がいると信じてる性分、何てことねえと思っていた村の景色も明朝で見納めかと思っちまうと、妙に落ち着かねえ。


「テスカさん」

「あん?」

「よい村ですね。此処は」

「おう」


 俺の不遜だろう態度でも嫌気の無い声を投げる先生に、視線だけ向けて首を頷かせる。

 

「ですから、貴方がたがこの村を発ってしまうのは、些か残念ともいえます」

「俺もそう思うさ。折角掘り当てた温泉も置いてかなきゃならねぇし、馴染みの狩り場も捨てなきゃならねぇ」

「伴って、私達の滞在期間が少なってしまったのは、非常に残念に思います」

「はは! そらそうだ。だがなァ先生、此処に長く居ると、"シャウリア病"に掛かっちまうぜ」

「シャウリア病……ですか?」


 さも深刻そうに言う俺の表情に、僅かだが眉間に皺を刻んだ。この先生、案外表情ありやがる。


「そうさ。温泉、飯、音楽。村の空気が居心地良すぎて帰りたくねえって輩が増えちまう」

「それは……ベラが重病患者として掛かってしまいそうなので、些か問題がありますね……」

「だろ? だから此れで良かったんだよ」


 俺の言葉に肩を竦め、先生は地図を丁寧に畳んで鞄の中へと仕舞い込んだ。


「先生よ」

「テスカさん」


 お、と掛けた声が見事にハモった。互いに瞬きしてしげしげと見つめ合う奇妙な時間が数十秒ほど続いた。表情を変えねえで、どう切ったもんかと切り口を探す先生の様子が伝わってくる。

 俺はくくくと喉を鳴らしながら、自分の身体に巻かれてる包帯の結び目から伸びる布きれ部分をなんとなし掴んで、また離す。

 手遊びみてぇな所作の後、先生を指でさし、そんで俺自身をさす。先生からどうぞ、ってな意味だ。


「……テスカさん」


 勘の良い先生は俺の言わんとした事が判ったらしい。思案するような間を置いて、鞄の中から何かを取りだした。なんだ? と、首を傾ぎながら覗き込む。本……じゃねえな、羊皮紙かなんかを使った手帳だろう。

 片手の掌より少しは大きいか、と思わせるそれは、随分使い込まれているらしく、表の革が多少なり剥げている。


「私は、訪れる先々の村や国を全て書き記す事が……趣味のようなものでして。眼で見て回る、そんな余裕はありませんでしたから。貴方の口から、宜しければもう少しだけ、この村の事をお教え頂けないかと思いまして」

「へえ。粋な趣味じゃねえか、そいつぁ良い。旅人らしい趣味だ」

「ありがとうございます」

「鞄を仕舞い込んでた棚、それの左上の戸棚によ。赤い仏桑花ハイビスカスの染料があんだよ。ペンくらいもってんだろ? 俺の村を書くんだぜ、ド派手な赤色で書いてくれや」

「……ええ、そうしましょう。灯りの火を貰いますね」


 あの染料、お袋が自前の服を繕うときに使うとびきり貴重なものだ、ってぶーすか言っていたが、どうせ今暫くは服を拵える暇なんざねえはずだ。バレやしねえって。

 こぉっそりと共犯者となってもらった先生に、俺は動く右手指で宙をなぞりながらこの村を教えた。

 東から渡来してきた祖先の話、火山に据わる火の神様の話、俺達が宴と音楽を愛している話。或いは、この村の女はそんじょそこいらの男は愚か名うての戦士よりもこええって話。

 時に感心したように言葉を潰えさせたり、或いは神妙な面構えで唸ったり、三味とは何かと訊ねてきたり。

 村に訪れる客人への音楽を奏でる事こそままあっちゃいたが、こうしてタイマンで話し込むのは、俺ァ初めてだった。

 三味をかき鳴らすだけで、後はミアモとケンカしながら猟をしてく。そんな生活を繰り返していたもんだ、余所もんの対話には慣れていない方だと思っちゃいたが、半日足らずのベラの世話で随分鍛え上げられたかもしれねえ。俺の口は随分と饒舌になっていた。


「貴方は」

「んぁ?」

「ミアモさんのお話をよくされますね」

「……そうかぁ?」


 合間合間にそう何度か揶揄されたが、笑って流して、また様々と教えてやっていた。

 何分だか、何十分だか、それは俺からも先生からも言葉が出てこなくなった時だった。

 バタン! そうでっけー音を立てて扉が開いた。


「ご飯」

「ごはん!」

「ミ"ッ……」


 威勢良く入り込んできたベラとミアモ、と、なんかしれねえが随分やつれたヴィダルが部屋に顔を出した。


「へいへい」

「わかりました」


 適当な俺と淡々と返す先生と。えらい態度の違いを見せつけながら、俺は手帳とペンと片付けようとする様子に「ちょい待ち」片手を伸ばして待ったを掛けよう。


「先生よ。さっき俺が言いかけた事だがな……」

「! 失礼しました。ええ、なんでしょうか」

「此処の村の飯、びっっっくりするくれえうめえぞ」

「!!」


 閉じかけた手帳を勢いよくガバっと開いた先生が、ペンと染料の入った小瓶を取り落としそうになっている光景には、シツレーだが笑わせて貰った。

 部屋の出入り口に背を向けて座る先生の様子は生憎と俺にしかわからねえ。突飛に笑い出した俺に、ミアモは奇怪なもんでも見るような視線を向け、ベラは先生の背中と俺を交互に見、ヴィダルは……ベラの肩の上で伸びきっていた。

 宴はいつも通り、夜通し続くんだろうさ。三味も弾けなきゃ飯も片手で食うしかできねえ、火の神様にはえらく不躾な男としてしか顔向けできねえ。

 それでも俺は、ボロ雑巾みてえな身体を引き摺って、村の皆が囲う篝火の所に行くとしよう。


「ミアモォ!! 鹿肉、ちゃんとあんだろな?」

「早く怪我が治るように。テスカのぶんは、すごい多い」


 俺の声に、ミアモがふすんと鼻を鳴らして笑った。奴の笑ったような顔は久々に見た気がしたが、そんな事にかまける暇も無く、宴会は夜通し続くんだろう。

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