火と寵愛の村-7
俺の視界を染め上げた血に伴って、俺とベラに得物を向けていた奴等の悲鳴とも言いしれぬ声が聞こえた。
「男もいる! 女もいる!!」
「今日の食べ方は何にしよう!!!」
幼い子どもの笑い声が二つする。目許を拭い去って視界を取り戻そうとする俺のすぐ傍を、声の主が通りすがった。
パァン、パーンと、あの耳の鼓膜をぶち破るかってなデカい音が立て続けに聞こえる。
「ひっ!! なんだ、お前等は!? どうして此れが効かない!!」
「やっぱり! じゅうもってるヤツらだ、かーさんに愛されてないヤツらだ!!」
「きゃあああ!!」
「あはは!! こればっかに頼ってるヤツらだ、自然にも愛されてないぞ!!!」
「! 我がいもう……」
…なんだ? 奴等の声が聞こえなくなった。
……いや、どうだろうか。俺自身の意識が朦朧とし始めているのかもしれない。どうにか右腕を突いて上体を起こしてはみるが、如何せん状況の把握もままならねぇな。
ぼやける視界の中、見慣れない小柄な子どもがあの男女を抱え込んで、誰かと喋くってるらしいのが見える。誰かは誰としれないが、ベラが立ち上がってその誰かへと走っていってる。ああ、そうか、ソイツがもしかしたら、ベラの言う先生かもしれねぇな。
それなら良いんだが、ああ、……なんだか眠たくなってきやがったな……。いけねえ、気張れ、足が無事なんだ、村に戻らねぇと……。
「……、…!」
あ?
「テスカ!!」
「どわっ!?」
耳元でハッキリと叫ばれる。何をって、俺の名前だ。
いつのまに居たのか、ミアモが俺のすぐ目の前、目と鼻の先まで顔の距離を詰めていやがった。
「ミア…モ……?」
言葉の尻が笑う様な色を含んだのは致し方ねぇ。なんせ、村で一番おっかねぇ女になるヤツが、目許にでっかい涙の粒を溜め込んでやがるもんだからよ。
腰から下はなんとか無傷だ。俺は地面に腰を据え、泣きじゃくるよな顔してるミアモの頭を、右手でぽんと軽く撫で叩く。
「いっってえ」
「テスカ!?」
渾身の最期の力めいた。
俺はヤツの頭を撫でくった右腕を下にして、再び地面とがちんとぶつかりあった。
――どうにも、記憶のストックは此処までらしい。
俺が目を覚ましたのは、いや、起こさせられたのは、ミアモに思い切り頬をビンタされた時だった。
この時の俺の第一声は、きっと稀に見ない間抜けぶりだったろうよ。
ビンタの振動が、手当てを施されてはいるが、肩に響いて仕方ねえ。
「いっってええ!」
「遅い」
「遅いじゃねーよ!! 彼方此方怪我してんだ俺ァ!! どこの集落に男を張り手して起こす女がいらあか!」
「私がいる」
「お前は特別だコラ!!」
「テスカ。お客さんの前」
「はぁ? お客って……」
ミアモが無愛想なツラで一瞥を向けた先を見る。どうにも記憶が混濁しているが、そっちへ目を配ると…椅子の上で眠りこけるベラ、と、親父とタメ張るか、少し下かってくらいの男がいる。
白髪、に、銀っていえばいいのかあの目は。そんで、修道士が着るような服にローブを羽織ってら。さながら教会の人間か。
「……先生かお前!」
「ええ」
素っ頓狂な声を上げる俺の指摘に、男は、いいや、ベラ曰くの先生はこっくりと頷いた。
先生と言うからには血は繋がっていやしないと思ってはいたが、何から何まで全然似てねえ。なんざ失礼か。じろじろと眺めている俺の視線に嫌気も差さず、先生とやらは手許で何かを拵えていた。
…なんだ? 白と、黒い布? 針をもっている……繕ってる?
「ミ"ィ"」
「ッ!?」
「ああ、失礼しました。此れはヴィダルです。修繕作業をしております」
「しゅ、うぜん? ま、待てよ、確か……」
相変わらずこんがらがっている記憶だが、糸を解すようにゆっくりと思い出す。そうだ。
ヴィダルはベラを撃とうとした貴族の男から庇って、ヴィダルを地面に落としてから撃っていやがった。
そうだ、そうだぞ。
「ソイツ、ヴィダルはベラを庇って撃たれて……」
「そうでしたか。それは偉いですね、ヴィダル」
「ミ"ッ!! ミ、ミイ!」
「おい!? ソイツ、そんなちっせー体で撃たれたんだぞ!? 俺が言うのもアレだがよ、なんで生きて……」
「布製ですが、
「ゴーレムだァ?」
「ええ」
淡々と言いのける先生とやらは、そこで初めて小さく笑った。
ゴーレム…あの行商人から聞いたことがあるような気もしたが、なんだったか、思い出せねえ。
考え込む俺を放り、継ぎ接ぎの布を繕い直す先生とやらは延々と手を動かし続けていた。
何もかんもとっ散らかりすぎて、どうにも口から言葉がさらっと出てきやしねぇが、……ベラは、無事だ。俺も、肩だの脇腹だの包帯でぐるぐる巻きにされていやがるが、命はある。
えも言われねぇ感覚に、俺は深く溜息を吐いた。…ほんの一瞬だが、シンとなった室内にいる所為か。外の喧噪が聞こえてくる。
何人も外をバタバタと走り回っているらしい。親父の声も遠くに聞こえてくる。俺のではない三味をかき鳴らす音も合間合間に聞こえてきた。三味だけじゃ無い、聞こえてくるのは宴を催す時にやらされてた曲目だ。
「奴等は、…」
「いない」
「……あの貴族の奴等がどうなったのかイマイチ覚えてねえけどよ。奴等、もってかれたんだろ」
「うん。……まぁ、お陰で、宵の明星が直ぐにくる事もないだろうけど」
「けど?」
「今日、此処で最後の宴をして。明日の朝には此処を出る事になった」
「出ッ……!?」
「……テスカのお父さん、…族長が決めた。山を越えて、遠くに逃げる」
「……そっか」
「だから。ベラ…ちゃん、と…」
「ベラで構いませんよ」
眠りこけるベラを一瞥した先生が、無理して言い直すミアモへ柔らかい言葉遣いで口を挟んだ。
ミアモが空咳をして、控え目に頷く。…いざ保護者、と思えば俺の親父とタメ張る大人だったんだ。ミアモは俺と違って、大人にきちんと敬意をもつ人間だからな。
こう言うと俺がただのきかん坊みたいでアレだがよ。
「…ベラと、ヴィダルと。先生と。持て成して、明日の朝にお別れする。歓迎とお別れの宴の準備してる、…長い長い、引っ越しもあるから。もたない食べ物はぜんぶ使う。だから、外が少し賑やか」
「へえ。俺もなんか…」
「テスカは怪我してる
「うおい!? そこ強調すんじゃねえや!!」
「先生。ベラがもし起きたら、おにぎり、作ろうって言っておいてくれますか」
「ええ。いいですよ」
綺麗に無視しやがった。
まあ良い、と、俺は肩を竦めて、集会所に緊急で設えられたらしい藁敷きのベッドの上で居直る。
出て行くミアモの背中を見送り、残された俺は、ちくちくと裁縫仕事に励む先生へと視線を遣る。同じ頃合い、先生と目が合った。
さっきまで笑っていた表情を潜め、代わりにミアモ以上に愛想の無い先生と、寝転けるベラと、繕われて時折妙な声を上げるヴィダルと共に時間を過ごすことになる。
「テスカさん、ですね」
「あ? ああ、そうだけど」
「ベラとヴィダルの面倒を見て頂き、ありがとうございます」
「別に、礼を言われる事なんざねえさ。不甲斐ねぇが、ベラとヴィダルが居なかったら、俺ァ今頃得意の自棄起こして馬鹿やらかして、息してなかったさ」
その声掛けは酷く突飛だったと言えようが、淡々としていながらも、改めて礼を言われると妙なこそばゆさを覚える。
そうして返した言葉に嘘偽りはない。事実、小石を投げてくれたベラと、あの男の銃の矛先を身を挺して自身に向けさせたヴィダルがいなけりゃお陀仏だったはずだ。
「真っ直ぐですね」
「そりゃどうも」
「……この村の長である方と…先程の彼女と。貴方が目を覚ますまで、様々な事を聞きました。宵の明星の手が伸びている事も聞きましたが、……此処から海の方へは行かない方が良いでしょうか」
「さてなァ。旅の目的に因るが、まぁ、あんな貴族がうようよ居る街に向かうのは賢明とは言えねえ。行くんだったら此処から南の町を目指した方が…」
「んん……」
何てこと無い会話を熟す俺達の声に気付いたのか、ベラがもぞもぞと身動ぎながら瞼を押し開けた。
先生の手もヴィダルの修繕を終いとしているのが見える。
「ベラ、起きましたか。ミアモさんが、おにぎり…? を。作ろう、と言づてを残していきましたよ」
「! おにぎり、ですか!」
先生の言葉に飛び起きたベラが声を張り上げた。あんなおっかない目にあったってんに、宝石でも前にしたかのように、顔を輝かせていやがる。
最初の第一印象、泣きっ面をしていた迷子、ってのが、払拭されちまう。
「そうだぜベラァ! この"先生"にたらふく食わせるおにぎりだろ? 確り拵えてこいよ」
「は…はい! たくさん、つくってきます!」
「なるほど。ああ、では、ヴィダルの修復も終えましたから。一緒に作ってきなさい」
「ミッ!?」
ベラへ手渡されたヴィダルの声が、なんで俺?! とでも言う様に、焦れた声色に聞こえたのは気のせいか。
「楽しみにしていますよ」
「はい!!」
元気に応えるベラの手が、ぎゅうう、とヴィダルを握り…握りつぶしてやがる……。
助けを求めるみてーに両手をバタバタさせてるが、先生は針だの糸だのを悠長に仕舞い込みながら、楽しそうに部屋を後にするベラを諫めるでも無く送り出した。
「ミ"ィ、ィイイ―――……」
……ヴィダルの悲痛な叫び声が、後味悪く俺の耳に残っていった。
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