火と寵愛の村-6
村が遠のいていく。猟以外離れたことのないシャウリアの村から、どんどんと離れていく。自分の意思で、嗚呼、自分の意思で俺はあの村を出て、このいけ好かねえ奴等の後を情けなくもついていっている。
左肩から流れていく血が服の袖を伝って、点々と軌跡を残していっている。応急処置すら施す気がないらしい奴等の薄情さに、俺は文字通り血の気が引いていく思いを抱く。
俺の手に引かれながらも、フードを目深に被ったベラが泣きそうな顔で見上げてくるその顔へ、俺は懸命に繕ったような笑みを向けた。酷く力ない、間の抜けた顔をしてんだろう。
「はぁ。お父様やお母様に内緒で、先んじてあの村に入るつもりだったとはいえ、少々遠い所に荷馬車を置いてしまった……、そうは思いませんか? 兄さま」
「いいや、いいや。あの村は秘匿とされ続けてきた村だよ、我が妹よ。多少の泥を被って間抜け面を見せた方が、彼ら……"彼"は警戒心を解かずとも、すんなりと村へ招き入れてくれただろう? ご丁寧に歓待の準備を始めるために村の
「あら。どちらにしても、賊のようなやり方で未来の伴侶方を拐かしたのだもの。兄さまの猿芝居、無意味だったのではなくて? ふふ」
「随分達者な口を利くようになったものだな」
「――……達者な口。といえば、すっかり大人しくなってしまわれましたわね、"テスカさま"?」
「!」
不意に女が振り返って、俺へと小首を傾げて告ぐ。挑発でもしてんのかって程度に、言葉の節々に嫌味とも…軽蔑ともしれない、嫌な感情を汲み取れた。
「無理もなかろう我が妹よ。なにせ彼は手負いの男、銃弾を受けて気絶しない様子から察するに村の戦士でもあろうが……。賢しらぶる族長殿の息子だ。所詮は文明の利器に疎い蛮人といえように」
……加えて嘲ってくれやがるこの男に、俺は心底から睥睨とした目を向けた。別に俺ァ貴族に何言われようが構いやしねぇが、まるで岸壁の遙か上から見下げられるような心地はいけ好かない。
「ああ! 海の潮騒の音を早く聞きたいわ」
「そう急くものではないぞ」
「えぇ、わかっておりますわ。……未来の旦那様には、私達の国の事を多少なり知っていて貰った方がいいかしら?」
悠長に会話をこなす奴等が、俺達へと振り向いた。立ち止まった俺に伴ってベラも歩みを止め、代わりに隠れるようにして俺の半身、背中側へと身を寄せる。
絶え間なく流れる血が、草の茂る地面に吸い込まれていく。
「ンなもん聞きたかねぇよ」
「おや」
無理やり口角を上げて笑う俺に、男が片眉を吊り上げて喉を可笑しげにくつくつと鳴らしやがる。
一歩、また一歩と俺へ近寄る貴族の男に身を逸らして右手の拳を構えた。
刹那。奴は腕を振りかぶって、血が流れる俺の左肩を強く
どうせ楯突いた所で、奴等は容赦なく俺をいたぶる事くらいは……!
「ぐぁッ!!」
ベラから手を離した俺は、右手で庇うようにして左肩を抑え込む。妙に温かくもぬめった血の感覚に、痛みに、俺は顔を顰めて蹲る。
せめて、せめてだ、俺をいたぶっている間くらいは、いいや、何があってもベラに矛先が向いちゃいけねぇ…!
肩で息をする俺に構わず、立ち竦む男が俺の腹を強く蹴って転がした。
「う"ッ…! ぐ、うぅ……!!」
「兄さま! 私の旦那様を文字通りの傷物にする気でございますか?」
「いいや、違うさ我が妹よ。これ、は、私なりの、躾さ!!!」
「がァ!!」
「あ、あ……」
視界の端でベラが表情を強張らせているのが見えた。クソ……こんな、人間の醜悪をぐずぐずに煮詰めたみてぇな光景を見せちまった事だけが、これだけが、悔いといえばそれに値するんだろう。
「躾ついでに教えてやろう、我が愚弟となる男!」
「つッ……!」
「お前の父親が恐れた我らの国、街。お前の骨を埋める場所をなぁ……!」
「ッが!!」
地面に転がした俺の左肩を踏み、血を流す脇腹を踏み、序でに俺の胸元を蹴りつけた。なんべん蹴っても満足いかねえのか、手前の靴が俺の血で染まるほどに、奴は俺を蹴りに蹴った。
そうして俺は、長い拷問を受けながら要らねえ知識を頭に叩き込まれた。この男は、森を抜けたずっと先にあるという海沿いの街だかに住んでいると。
時々訪れる商人は、昔は低い山もあったとかいうが、初っ端から喧嘩吹っ掛けてきた時にいってたみてぇに、山を切り拓いたと豪語してた様に自然を排除しまくった街の人間なんだろうが。
だから、人間の肩を平気でぶち抜くような、あんなおっかねぇ武器が作れるのさ。だから、同じ姿の人間を平気で嬲るような真似ができるのさ。
都度都度叩き込まれる鈍痛に息を飲み、振動で脇腹を蝕む疼痛に苛まれながらも、俺は歯を食いしばって奴の玩具にされていた。
「宵の明星がその根を張る国、我らが街はその重鎮が集う! 貴様らみたいな矮小な部族を汲んでやるというのだ!」
「ぐッぅ、うう……!」
俺達は、あの火山の元で息を潜めて暮らしていただけだ。俺らが何をしたってんだ。……そう、意識が朦朧としては啖呵を切って返すことも俺はできない。
口の端から唾と一緒に鉄の味が染みて地面へ零れ落ちる。腹をこれだけ蹴られまくってんだ、大方骨の一本二本折れて内臓にでもぶっささっちまってんだろう。
見れば男の後ろで、女が実に愉快そうに笑っていやがる。未来の旦那だなんだと言えども、奴等にすりゃ俺はあの部族の中の一人に過ぎねぇ。死んだところでどうとも思っていやしないんだろう。
クソが、死ぬかもしんねぇって時にこんな冷静に考える俺もどうかしている。睨むだけしか出来ない俺だ。出来る事は、奴等の嗜虐の目がベラへ向かわせんと意識を保つしかねぇんだ……!
「その目だ……」
「は……?」
「その目だ……!!」
幾度蹴られようが、一睨を向ける俺に、男が言葉を二度繰り返した。
なんだと見上げる俺をより一層嫌悪するかの如く、俺の腹を複数回連続して男は蹴りつけた。死なないように俺の脳みそが気張ってんのかしれねぇが、肩の傷はもう痛み……よりか、既に感覚が無い…。
めいっぱい蹴りつけるそれは男でも貴族だ、親父の蹴りとはワケが違う。だが痛くないわけでもねぇ、……妙に、硬い。長めに息を吐き、俺は改めて奴を睨みあげた。
「過日に獲った狐の親子がそんな目をしていた! 黙って死に晒せば良い物を、子の仇だと言わんばかり噛み引き千切った……! 貴様のそれは、害獣に等しい目だ!!!」
「ああら、……」
俺の腹を蹴りつけていた足振り上げ、思いっきり振り下ろした時にそれは見えた。…奴の足が、異様に細い。今知れた、それはきっと義肢だ。
がなる兄の所行を諫める所か、他人事だと顔に書いたような表情で女がニヤついて嘲った。
狐の目だと言われる筋合いなんぞねぇが、食うでもない狐を狩り殺していやがるのが容易に目に浮かんだ。あの銃でだ。
いまにも奴の靴裏が俺の顔なり頭なりを踏み付けんとした間際、こつん、と、奴の足に何かが当たった。それのお陰かどうか判らないが、奴の足は俺ではなく地面を踏み付けるに至った。
「や…やめて……ください…」
「ベ、ラ……」
「テスカさんを…いじめちゃだめです……」
転がってきたそれは小石だ。ベラのいる方向から飛んできた。ベラが震え気味の声で言った。きっとベラが投げたんだろう。
名前。そういや、初めて呼ばれたっけか。自己紹介もまともにしてなかったな、そういえば。
……まて、そんな悠長に考えている暇はないはずだ。だめだ、ベラが危ない。やべぇ…!
「この男に飽き足らず、女子供すら躾の一つもまともに為れていないとは……怯えるしか出来ない様なちっぽけな娘を選んだつもりだったが……」
「お、い、やめろ……!」
「どうやら間違えたらしい」
「おい……!?」
「だめですよ、死にかけの旦那様」
「!!」
じりじりとベラへ迫る男へ、這いずってでも迫るその足を止めないといけねえ…!
そうは思っても動かない体に辟易とする。伸ばした俺のその手を、女の銃が口を押し付けて地面に縫い留めた。
「あの子はもう、兄さまの獲物ですもの」
「ベ、ラ……!!」
「あ…ぁ……」
男が何かを懐から出しているのが見える、あれは、そうだ、きっと銃だ……!
ベラが近場の樹木に背をとられ、その場にへたり込むのが見える。クソ、クソ…ベラを庇う為にしたつもりだった、それだってのに…!!
かちゃ、と金属音が聞こえた。あの銃をぶっ放すための予備動作らしい音だ、なんべんも聞いた、俺だって痛みに耐えるのがやっとだった代物だ。ベラみてえなちっせえ子どもは、一発で死んじまう…!
「ミ、……ミィ…!!」
「!?」
「ヴィダル…!」
「な! この薄気味悪い物体が……!」
ベラのローブから白い物体が声を荒げて飛び出していった! 見りゃずうっと静かなまんまだったあのぬいぐるみだ、奴の握り込む銃に必死に食らいついている。
俺の上で女が鼻で笑ったような息を零した。
「ミッ…!」
「!!」
振り払われたヴィダルが宙を舞ってベラの足許に落ちて土埃を上げた。良く見えないが、気の抜けた声がする限りはまだ……そう、俺が、一瞬でも安堵した直後だった。
パァン、と、男の銃から甲高い音が響いた。目を剥いて見た先には、…ヴィダルの頭部を打ち抜いたらしい、小さな体が裂けているのが見えた、
「ヴィダル、ヴィダル…!」
必死にベラが名を呼んで抱え込んでいる。千切れたらしい布を懸命にかき集めているベラの頭部に、男が銃の先端を向けやがった。
「にげろ…ベラ……逃げ、ろォ…!!」
俺の言葉なんざ届いていないかもしれない。声を発した俺の頭部にもまた、女の銃がぐいぐいと先を押し付けてきているのが判った。
此奴等は俺達を街へ連れて行くんじゃ無かったのか、生かして連れて行くんじゃ無かったのか。俺達は、…ベラは、ヴィダルは、こんなしょうも無い事で死んじまうのか…。
血を吐き出す唇ではそんな長い文句を言い募る事すら侭ならず、俺は、どうする事も出来ないまま、這いずる地面の土を爪で抉り拳を握る。
「せめてもの慈悲だ。あの時の狐のように、一発で仕留めてやろうじゃないか……!!!」
「ええ、そうですわね、兄さま」
どうする事も出来ない怒りか、それともこれは、この感情は悔やしさなのか。俺の頭の中に奴等の声が嫌に響いた。その一瞬。
俺の目の前を、視界を、嫌になるほどに真っ赤な血の色が染めていった。
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