閑話-坑道の暗がりで-1

 如何した物か。私の独り言が木霊する。


 足元の地面が私を狙ったかの様に地割れを起こしたのが、昨日の話だ。恐らく丸一日は過ぎていよう。

 ぽっかりと空いた穴の中を落下して、空に輝く太陽の日差しがどんどん小さくなる光景は中々見られるものではなかっただろう。太陽が世界から消失する瞬間を見られたような気がして、私は感慨深い表情を提げていた。

 奇跡的にも、私の落下地点には浸水した地下水が溜め込まれており、その水中に落ちた私は崩れた土砂に巻き込まれる事無く済んだ。人災でない以上、この体が人間のそれと違う以上、手足の一本もげた所で支障は無かっただろうが、服に目立った汚れが無かったのも奇跡に近かった。


「………さて」


 自然の水瓶から這い上がった私は、今、落盤の原因でもある坑道を歩いていた。

 坑道の至る所に楼台の跡が見られるが、何れも随分昔の物のようでその殆どが土埃を被っていた。手で土埃を払って、幾つか使えそうな蝋燭が無いか探してはみたが、生憎火を起こせる物を私は持っていなかった。火打ち石の入った鞄は、ベラを突き飛ばす折に落盤地帯の周辺に投げ落としてしまっていた。

 よって今現在、私が持っている物といえば、以前訪れた街で成り行きのまま持ってきてしまった長柄の剣が一刀。

 それと、年季の入った蝋燭数本。それを確りと懐へしまい込む。持ち物の種類が二つに増えるのは大変喜ばしい。

 長柄の剣と蝋燭数本。どの様に使うべきか、私は坑道を歩きながら憮然と考え込んでいた。物は考えようと言ってのけた、誰ぞの言葉が頭に浮かんだのだ。


「……ふむ。今度はあっちへ行ってみよう」


 薄暗い坑道の中、伊達に丸一日を持て余していたわけではない。暗がりに慣れてきた眼を凝らしながら、長柄の剣で行き止まりとなっていた坑道の地面にバツ印を描く。バツ印の交差する真ん中へは、切断して半分にした蝋燭を浅く埋めた。

 印が万が一消えてしまっても、白い蝋燭が埋めてある道は既に来たことがあると解る。判断材料は多く残して置いた方が良い。

 入り組む坑道の道を一つ一つ虱潰して、着実に道の選択を狭めて往く。この坑道から早くに出なければ。


「……あの子は。何か、きちんと物を食べているだろうか」


 落ちる少し前に周辺を確認した時、遠目からではあったが目的の村も見えていた。それはあの子にも伝えていた。もう少しで着きますよ、と伝えた時に、あの子も頷いていたはずだ。

 『おいしいものをたべたいです』

 そう、私に返していた。昨日の今朝方、味気の無い携帯食料を気怠そうに食べていたばかりであったから、よく覚えている。ヴィダルもあの子を倣って、かなり時間を掛けて囓っていたと思う。


「慣れていない山では、見たことのない果物を食べるなとは教えはしたが」


 これは山に入った初日に言った言葉だ。

 山道を歩き始めて幾許も経たぬ内に、毒々しいほど真っ赤な色をした果物を得意気に持ってきたあの子を私は渋い顔をし懇々とそう言い聞かせた。だからと、地味な色をしたきのこを持ってきた時でも、私の対応は何一つ変わらなかったのだが。

 あれも駄目これも駄目、何なら良いんだ、と。そう言いたげに私を見上げていたのを思い出す。手に取るように思惑を知れた私が携帯食料を差しだし、大人しく受け取った姿に感心を覚えたのも束の間。直ぐ近場の木のうろに身を寄せて、ヴィダルと何やら話し合っている背中を見詰めていた記憶も新しい。頭の硬い私への文句でも言い募っていたのだろう。無理もない。

 その初日の夜、前の村から貰い受けた日持ちする焼き菓子の存在を提示し、中腹まで登れば数個、頂上についたら全て差し上げよう、と。

 馬の面の前に人参をぶら下げる要領で、あの子が山越えを出来るよう……あの子の機嫌が直るよう、せせこましい細工をしていた事は、神のみぞが知る話である。


「そろそろ効果が切れてしまっているかもしれない」


 ふと山に入って三日目に施した、虫除けの塗り薬を思い出した。

 あの子の頭部には生きた花が在る。夏と呼ばれる季節に差し掛かっている旅の合間、活発になる様々な虫は花を求める傾向にある。

 害の無い虫が大半を占めるとは思うが、あの子はあまり虫の類いが得意では無いと旅の渦中に知った。故に虫を避ける目的で、山に自生していたミントの葉をすり潰し水で薄めた物を塗布薬にしてあの子の腕に塗っていた。良い匂いだと嬉しそうに笑うあの子の顔が、たまたま私に向かって飛んできた大型の虫を見て青ざめていたのが懐かしい。


「……ベラとヴィダルが居ない旅路というものは、こんなに静かだっただろうか」


 誰にいうでも無く私は呟いた。 

 この坑道は、私の足音や息遣い以外何も聞こえて来ない。運用されていたのが昔というだけある、静かであるのが当たり前だ。

 道しるべを作り上げる私の声だけが無様にも響き渡って、それに私は嫌気を覚えた。

 あの子と出会う前、そうであったように。

 人間として生きていた時、そうであったように。

 私は、歩いていた足を止め、僅かな時間深く呼吸をする。

 表情の変化の乏しい、無愛想な面構えはどんなだったか。


「早く出なければ」


 すっかり忘れた。

 長柄の剣を確りと持ち直し、以前について考える事を止め、私は坑道を再び歩き出した。

 あの子と無事に再開できたら、何か変な物を食べていやしなかったか聞かなければならない。何処か怪我をしなかったか聞かなければならない。寂しい思いをしていなかったか、それも聞かなければならない。

 いや……それは些か、心配が過ぎる。執拗に質問責めをするのはあまり良いとはいえない。無事でいてくれればそれで良いだろう。無事でいてくれた、それだけで褒めてあげなくては。

 そうして坑道を赴く足も徐々に早さを増し、幾重にも分岐する道一つ一つを潰す。また一日経ってしまっただろうか、昼夜の感覚がつかない坑道の景色も見飽きてきた。

 蝋燭の残り本数も少なくなってきた頃合いに、それは聞こえてきた。


「――人間の匂いだ、人間の匂いがする!」

「――人間が此処に迷い込んだんだ……!」


 まるで存在を誇示するかの如く、子どものような甲高い大きな声が二つ、私の向かう先から聞こえてきた。真っ直ぐ伸びて枝分かれする坑道の内の一つが、ぼんやりと明らんでいる。恐らく今の声の持ち主達の持つ灯りに違いない。

 声の感じからして、アレは恐らく、人間では無い。


「匂いの中に"火"の気配を纏ってないぞ、久々の喰える人間だ!」

「女だったら焼き殺そう、男だったら燻り殺そう!」

「またその食い方か? お前はいっつもそればっか! たまには茹で殺すのだっていいのに」

「どっちにしたって、食べりゃおなじだもの!」

「ばか舌!」

「よく言うよ!」


 会話の内容から見て、どうやら人間を食い殺す存在であるのが窺える。だが、どうも恒常的に人間を捕食できる存在では無いらしい。

 私は今一度足を止め、息を殺した。緩慢に、だが確実に、此方へ距離を詰めてやって来る得体の知れない何かを待った。地面を削るばかりであった剣の柄を握り、剣先を正面へと向けその存在を見定める。

 農具ばかり扱っていたのが私の生前ではあるものの、剣の心得が無いというわけでは無い。

 それに私は人ではない。人の皮こそ被ってはいるが、全く別の何かだ、そうと知ればあの声の持ち主二人も、食欲が失せただのと言って諦めてくれるかもしれない。


「お前だってさ、肉ならなんだっていいんだろ!」

「そうだけどね!! でも喰うんだったら人間が一番だもん!」


 撤回しよう。諦めてもらえるという展開は、期待できそうにない。仕方ない。

 しかしながら。入り組んでいる坑道だというのに、彼らは真っ直ぐ私の元へと向かってきている。灯りが近付いてきている。この坑道に頻繁に出入りする存在で道順に精通しているのか、それとも匂いとやらを辿ってきているのか。

 どちらにせよ、坑道に入ってきたからには、坑道から出る道も知ってくれていよう。そうでなければ困る。


「人災でなければ、どうにかなるだろう」

 

 私の一声が坑道に木霊した。

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