火と寵愛の村-1

 俺達は火を崇拝している。火は文明の礎その物だ。暗い夜を明るくし、冷たい空気を暖かくさせ、喰えない物を喰えるようにし、喰える物はより美味しい喰い物にしてくれる。


 ある時は轟轟として山肌を焼き切り、貴重な食糧源でもある家畜達を育ませる草原を作ってくれる。またある時は拵えた粘土細工を静かに焼き上げ、硬度を増した食器として食事に助力してくれる。葉っぱで掬うより、陶器でたんまりと酒を注ぐ事が出来るのも火のお陰だ。


 深い森に王者の様相で座すでかい活火山の麓に俺達は村を築き上げた。自然がごく当たり前に影響されているように、あらゆる意味で俺達も活火山、即ち、火に影響され、同時に恩恵にあやかっている。地熱で湧いた温泉が老若男女を問わず俺達に力を与え、身体を癒やしてくれた。数年前に物珍しさからか、極々少ないながらも口伝いに村への客も増えた。滅多に来ないが、奴等の落とす金品と商人のお陰で生活も結構豊かになった。


 そうさ。なんでもかんでも火のお陰だ。そして、気が遠くなるほど遙か昔に東の国から渡来した祖先のお陰でもある。この地で古来からの狩猟部族として名を馳せてきた祖先は火の力によって発展し、数十年前にはいよいよ此処ら一帯を治めた。

 上り詰める所まで『シャルラ族』は上り詰めたのだろう。族長である親父は否定していたが、喧嘩っ早い気質も以て上り詰められたってのも、あるはずだ。

 他に要因があるとすれば、ひたすら大規模な篝火を囲って、音楽を鳴らし飲み食いをし騒ぎ立てて朝まで酒をカッ喰らう陽気さが、きっと火と、元来の民と、客人に好かれたんだろうな。



 火の神様が居るとしたら、火を崇拝するシャルラの末裔である俺も救いあげてくれるだろうさ。此の状況からな。



「テスカ!」


 あーーーあーーー、うるせえ。喧しい声が聞こえやがる。


「テスカ!!」


 あーーーーー、うるせえ。うるせえなァ。


「そこの岩陰に隠れてるのは判ってるんだよ! 赤い髪が跳ねてるのが見えてるんだから、さっさと出てらっしゃい!!」


 ほう。見えていたとはしらなんだぜ。親父譲りのよく跳ねる髪質が此処で役に立っちまうとは。


「いーーまーーせーーーんーーー」


 俺はサっと岩陰から顔を出した。

 

「いるじゃない!」


 再びサッと岩陰に戻った。嗚呼、ああ。火の矢を放たれるより、落雷を直撃するより、見ただけで大やけどしちまいそうな程におっかねえ形相だったぜ。

 隠れている岩越しに怒鳴りつけてくる声の主は、族長の妻。詰まる所が、俺のお袋だ。岩影からこっそり覗き込んだお袋の顔は、それはもう火にくべられて踊り焼きされたタコみたいに真っ赤に燃えたぎっておいでだ。黒髪を振り乱し騒ぎ立てる姿は、荒波に揉まれながらも逞しく生きるわかめみてえだ。言ったらぶち殺されっから、俺の独白に留めておこうか。

 さて。岩の向こうでカッカカッカと騒ぎ立てるお袋をどう躱すかが今やり遂げなきゃならねえタスクだ。目標だ。目的だ。なにせ俺は、一週間後に迫る客人の音楽持て成しの為に、五日ほど三味稽古の缶詰にされるトコだからだ。テスカ・シャルラの缶詰なんぞ誰が食いたがるんだ。ゲテモノ過ぎて吐き気がしやがる。何より酒禁止令を敷かれるときた! 無理だ! 酒を飲まんと震えが止まらん俺にはどえらい拷問でしかない!! マジで無理だ!


「テスカ!! いい加減になさい!! 

 

 しかし諦めねえなあのお袋。俺が逃げ回っている理由なんざもうなんべんも言ったはずだがまるで理解しちゃいねえ。いいや、三味を弾くのは俺も好きだ。だがな、『客人様ようこそ~~』なんて間抜けた歌の伴奏にされるのは御免だ。まだ猫がクソを拵えている間のバックグラウンドミュージックにでもされた方がマシだ。要はそれぐらい俺にとって屈辱的な行為を強要されているんだ。わかるだろ? 俺の苦悩。

 さあさ、お袋の様子はこれいかに……っと、覗き込むと、いつのまにやら騒ぎ立てていたお袋が姿を消していた。なんだ? 今日はやけに諦めがイイな。それじゃあ俺はそろそろ此処いらでお暇して山間のアジトで酒でも、


「テスカ」


 ドゴッ。そんな音が、なんと驚くなかれ、俺の隠れていた岩から聞こえてきやがった。十二分に警戒しながら岩肌を確認すると大きくて綺麗なヒビが入り込んでやがる。これはひでえ。注意深く見ると、ヒビの中に鏃が突き刺さっているのが見える。

 これはアレだな、剛強な一矢が俺の隠れている岩に深々とブッ刺さって岩を今にも砕かんとしているって事だ。なんて事だ。こんな暴力的な行いを出来るのはヤツしかいねえ、そう、ヤツだ。

 掛けてきたのは紛れもなく女の声だが、無愛想でトーンはバリ低音、今にも獲物を仕留めんとする血気盛んな狩猟中の野郎の其れだ。ヤツは女じゃねえ、野郎だ。

 クソ! こんな所でヤツに捕まって堪るか! 俺は帰る! なんぞフラグを建てかねねえ状況だが俺は本気だ、マジだ、不真面目で言っているわけじゃない。捕まったら確実に腹パンされるに違いねえ。

 さあ、岩越しに感じるビリビリとした殺気を放つヤツからの逃亡経路を考えろ!

 眼前の岩肌は手を掛けるには少々キツいが、帯刀している刃を隙間に刺して足場にしよう、此れは捨て置いてでも逃げなきゃならねえ。次に、登り切った岩肌からちょこっとした崖を挟んで背の高い木の上に飛ばにゃならん。此奴は背負い込んでる槍を捨て置いて高飛びの要領でいけっかな。

 よっしゃ、テスカ・シャルラの大立ち回りをとくとお袋とヤツに示さなきゃいけねぇ!


「テスカ」


 ヒュンッ。今度はこんな音が俺のすぐ真横から聞こえてきやがった。宙を吹っ飛んでった一矢が、ご丁寧に俺の最終到着地点に決めていた木の枝(結構太い枝だぞ)を綺麗に打ち抜いて折っちまった。ドスの聞いたような低音ヴォイスが俺の名前を呼んでいる。なんて事だ。

 ヒュンッ。そうこういっている内に次の一矢だ。そろそろヤバいんじゃねえか俺。勢いと気合いと恐ろしい殺気を纏った一矢が、ついには俺の頬を掠めていきやがった。この弓の正確性、皮一枚を綺麗に擦っていくコントロールの仕様、お袋の笑い声が遠くに聞こえるぜ。こっそり様子を伺い直すと、お袋とヤツの姿が確認できた。


「テスカ! 今なら、三味を完璧に弾ける事が出来たのなら缶詰期間を三日にするわ!」


 なんだその譲歩は。お袋何時にも増して意味が判らんぞ。


「テスカ。今なら、その頭頂部にぴょんぴょん跳ねている毛を射抜かずに許す」


 ますますなんだその譲歩は! 言わずもがな、此れはヤツの声だ。

 …………しかし。これ以上はどうしようもない。万事休す。毛といわず腕の一本二本もっていかれそうな頃合いだ。俺は観念の意を込めて長ったらしく息を吐くと、今にも割れちまいそうな岩を飛び越し、お袋とヤツの前に姿を晒した。

 やれやれといった表情のお袋から眼を反らし、俺はヤツへと顔を向ける。しれっとした面で、何か用かと喧嘩を吹っ掛けるにも似た表情をしている。なんてヤツだ。


「今日は毛、無事に済んだな」

「ひと月前にお前に射抜かれたからな。折角戻った毛をまた射抜かれて堪るかよ!」

「ああ、そうか。、お前が根を上げたから、私の勝ちだな」


 俺と同じ燃えるような赤髪に、俺と同じ紅玉の眼。纏め上げた長い髪の端を手遊びしながら笑みを浮かべるヤツこそが、ミアモヤツだ。類い希なる弓の腕前を持つ女だが、しばしば、お袋に俺を仕留める目付役として駆り出されている。

 ……俺が最も苦手とする女だ。 

 如何にしても此奴を根負けさせるか、考え尽くしても一回として白旗を揚げさせた事が俺は無い。畜生、今日も負けた。クソ。


「ミアモ、今日もありがとう! さあ! テスカ、さっさと戻るわよ!」

「ッだー! わあってら、ガキじゃねえんだから首根っこ掴むんじゃねえ! しゃあねえ、先に戻ってやるよ!」


 お袋の手を振り払い、俺は二人を置いて先に森を走った。お袋がミアモに弓を構えさせる指示が聞こえたから、不本意だがきちんと村へ戻ることにしてくれよう。

 ああ、火の祭りに使う曲目であれば俺だって逃げる真似なんざしなかったってのに。半年ずっとこうだ、一ヶ月に一度の頻度で客人を迎える間の抜けた祭事をやるようになったのは。今の今まで一度たりともしなかったってのに……。


「あの!」


 そう、様々な事を考えながら歩いていた俺の腕を、誰かが掴んだ。声はか細く、高い。子どもの声だ。見れば細っこい腕、辿って姿を改めて拝見すると、此処らじゃ見たことのない髪の色に眼をしている。春に咲く花の色に、新緑の眼だ。よくよく見れば彼方此方擦りむいてるようで、体中がぼろぼろだった。

 おまけに裾ポケットには得体の知れない白黒の動物がいる。ありゃなんだ? いや、その前に、この子どもはなんだ?


「迷いました! せんせいがいないんです!」


 は? 迷った? 迷子、迷子か。ん? せんせい、先生ってなんだ。

 ここ十日分ぐらいの疑問符を浮かべてこの子どもを見下ろした。参った、これはアレか。村の客が落としてった迷子か何かだろうが。ああ、きっとそうだろう。しかしまた、おっきな落とし物をしてったな。


「ああ、待て待て。判った、待て。お前、名前はなんていうんだ。どこからきた。迷ったのはいつだ、先生とやらとドコではぐれた?」


 ちっと矢継ぎ早だったかもしれんが、俺は懇切丁寧なつもりでこの子どもに尋ねた。身を屈んで視線を合わせ、不安がらないように頭を撫でながらだ。めちゃくちゃ優しくしたつもりだ。

 子どもは俺の言葉にすんと鼻を鳴らしたかと思うと、息を吸って口を開き、再びか細い声でこう言った。


「 ベラ 」


 そして、これがまた驚いた事に、名前を告げたと思った瞬間、子どもの瞳にじわあーっと大粒の涙が滲み出てきやがった。

 "おいおいおいおい、待て、泣くな、いいか、絶対大きな声を上げるな、いや別に泣いちゃいけないってわけじゃないが、流石に此処で大声を出されたら俺が何かしたかと思われるだろう。"

 そんなこんなの言葉を、できる限りやっさしい声で言ったつもりだったんだが。いよいよ大粒の涙が頬を伝って大地へ吸い込まれていった。それを狙っていたかの如く、この子どもは大きく口を開いた。


「わああああああああああああん!!!」


 顔中で泣くとはこの事だろうな。火であぶった木の実より目元を真っ赤にしちまって、泣き腫らしてしまうのも時間の問題だ。

 そして、遠くから、テスカが子どもを泣かせた、あのばか息子、というお袋の勘違いしまくった声が聞こえてくるのも大問題だ。

 更に言えば、ミアモがギリギリと弓で矢を射らんとしている鈍い音が聞こえてくるのが今生のうちトップクラスに輝くだろう大問題も大問題だ。

 さあ。どうしたものか。

 取りあえず。


 火の神様。助けてくれ。

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